襲撃

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襲撃

アンリエッタはその夜、パラパラと本を捲り、真剣に本を読んでいた。スウスウと寝息を立てる音に目を向ければベッドで妹が眠っていた。姉はそんな妹を見やりながら起こさないようにそっと本に目を通した。 「これね…。」 姉は魔法陣が書かれた箇所に目を通し、そこの文章に手を這わせた。紙に何かを書き足していく。そして、それを書き留めると姉はその紙を大事に仕舞い、そっとベッドを抜け出した。 次の日、イリスは姉と一緒にいつものように朝食の支度をした。朝食をすませると、小屋で飼っている牛の世話をする。水を汲んだり、食事の材料を買え揃うために買い物に行ったり、森に木の実や果物、野草、きのこを摘みに行く。いつも通りの日常…。けれど、今日はいつもと違った。 「お姉ちゃん、どこ行くの?」 「いいから、ついて来て。」 姉はイリスの手を引いて、どこかに向かった。紙を見ながら、何か材料を揃えていく。森で草や虫を物色してそれらを籠に詰めていく。薬屋や骨董品屋、鍛冶屋に行って何かを調達していく姉の姿にイリスは不思議そうに首を傾げて姉の行動を見ていた。姉はイリスの手を引いて帰りの道を歩いた。 「イリス。これはね。母さんの身体を治す為に必要なお薬なのよ。」 「母さんの?」 「そう。方法を見つけたの。これをすれば…、きっと…、」 イリスは顔を輝かせた。昨日、言っていたのはそういう事だったのか。そう思っていると、不意に姉がぴくりと表情を固くし、視線を走らせた。 「お姉ちゃん?」 「…何か来る。精霊が…、ざわついている。」 「え?」 その直後だった。ドーン!とどこからか大きな爆撃の音がした。二人は慌てて音のする方に駆けつけた。砲撃の音のようだった。それが立て続けに音が鳴り響く。開けた場所に出て、丘のふもとから街を見下ろした。すると、そこに広がっていたのはいつもの見慣れた街並みではない。建物や店、風景が赤い炎で包まれている。街が燃えていた。 「ど、どうして…?」 イリスは目の前の光景が信じられなかった。姉が息を呑んである方角に視線を向けた。その視線を辿ると、そこには…、海の上に大きな船が浮かんでいた。黒い帆を翻したその船のてっぺんには海賊旗が掲げられていた。 「海賊…!」 街の方では悲鳴や銃や剣の音が聞こえる。立て続けに大砲を撃ち込まれ、民家が破壊されていく。すると、運悪く放たれた大砲が二人の近くの建物に当たり、激しい音と衝撃を与えた。悲鳴を上げてイリスは地面に倒れ込んだ。 「イリス!」 姉がイリスを庇うように身体の上に覆いかぶさった。破壊された建物の石が降りかかるが姉が手を翳す。すると、固く大きな石は方向を変えて別の場所に落ちていった。アンリエッタは急いでイリスの手を取った。 「逃げるのよ!イリス!」 「逃げるって…、どこに…?」 アンリエッタは立ち止まった。ぐるりと四方八方を確認する。前方だけではない。海に面した場所は既に囲まれている。見れば、島の裏側からも海賊の声が聞こえる。きっと、挟み撃ちで攻撃しているのだ。戦い慣れた海賊達は住民が逃げられないように攻撃を仕掛けたのだ。アンリエッタはこの街から脱出は不可能なのだと悟った。 「街が…、燃えてる…。」 見れば、さっきよりも炎の勢いが増している。煙が立ち上る。喧噪の声が聞こえる。またしても、砲撃の音が聞こえる。ハッと砲撃された方角を見ればそこはイリスの家がある場所だった。 「母さん!家にはまだ母さんが…!」 アンリエッタはイリスの手を引いた。 「母さん!」 二人で家の方角に走り出した。行く先々で倒れた家の下敷きになっている者や砲撃の流れ弾に当たって血を流して倒れている死体を目にする。イリスは目の前の光景が信じられなかった。やがて、家に辿り着くと、家は半分崩れかかっていた。 「母さん!母さん!どこ!」 イリスは叫んだ。必死に叫んだ。姉が魔力を使って母の存在を探し出した。 「あそこ!あの瓦礫の下だわ!」 姉の言葉に急いで駆け寄った。 「母さん!母さん!聞こえる!?」 イリスは必死に叫んだ。瓦礫の隙間を見れば、頭から血を流した母の顔が見えた。 「イリス…。アン…。」 母はうっすらと目を開けた。 「母さん!待ってて!今…、助けるから!」 アンリエッタは急いで手を翳した。そのまま瓦礫を持ち上げようとする。けれど、それらはびくともしない。 「グッ…!お、重い…!」 姉は歯を食い縛り、汗を滲ませながらも必死に何とかしようと足掻いた。イリスも近くに落ちていた木材を引っ張り、それを使って瓦礫を持ち上げようとする。 「アン!駄目よ…。力を使っては…、」 「母さん!こんな時までそんな事言わないで!大丈夫!絶対に何とかするから!」 「この騒ぎは…、海賊ね。アン。あなたのその力を彼らに見られでもしたら…、」 「そんなの構わない!全員、あたしの炎の魔法で焼き払ってやるわ!」 「アン!あなたの魔法は万能ではないの!魔力が底を尽きればあなたに勝ち目はない。彼らは一人ではない。大勢いるのよ。多勢に無勢では幾ら魔法が使えても数で負けてしまうの。」 「でも、このままじゃ…!」 「アン。イリスを連れて早く逃げなさい。早くしないと海賊が来てしまう。」 「母さん!嫌だよ!母さんも一緒に逃げようよ!」 イリスは必死に母に縋りついた。母はイリスの手を握る。イリスはその手を両手で強く握った。 「私は…、一緒に逃げられない。私の身体は…、もう駄目。」 「そんな…!やだやだ!母さんも一緒じゃなきゃ嫌だ!」 泣きじゃくるイリスを母は悲しそうに見つめた。その目は潤んでいる。そして、立ちすくんだままのアンリエッタに言った。 「アン。私の言いたいことは分かるでしょう?」 「…。嫌だ…。」 「アン!」 「嫌だよ!そんなの…!こんな瓦礫…、あたしの魔法で…!」 「アン!この瓦礫はあなたの魔力ではどかすことは無理よ。それに、言ったでしょう?私の身体はもう逃げる体力すらない。」 「諦めないで!母さん。方法があったのよ!母さんを助ける方法が!あの術式を完成させれば母さんを…!」 「…アン。あなた、あの魔導書を手にしたのね。あなた達の部屋から出てきたからおかしいと思ったら…、禁じられた術に手を出そうとしたのね。」 「だって、そうでもしないと母さんは助からないんだもの!」 「アン!いい加減にしなさい!幾ら私を助けるためとはいってもこの世には魔法でもどうしようもできない事があるの。魔力があるからと思い上がっては駄目!」 「母さん…。でも…、」 「アン。イリス。よく、聞いて。私の身体が弱いのはね…、もうどうしようもない事なの。私は…、それを承知で代償を払ったのよ。だから…、これはもう変えられないのよ…。」 「…母さん…。」 アンリエッタは呆然と呟いた。母の表情から何かを感じ取ったのだ。 「アン。私からの最後のお願いよ。イリスを連れて逃げて。…そして、妹を守って。」 「母さん…。」 「やだ!あたし、そんなのやだあ!一緒に逃げようよ!」 いつも母や姉の言いつけを素直に頷くイリスだが今は駄々をこねるように嫌々と首を振ってそこから動こうとしなかった。 「アン。イリス。私の可愛い宝物。愛しているわ。…あなた達に海の祝福があるよう願っているわ。」 「母、さん…。」 アンリエッタは背後を振り返った。海賊達の声だ。徐々にこちらに近づいている。アンリエッタは泣きじゃくるイリスを見た。そして、最後に母を見た。母はアンリエッタにもう一つの手を伸ばし、頬に流れる涙を拭った。 「行きなさい。」 アンリエッタは一度頬に触れる母の手を掴み、目を瞑った。強く、強く母の手を握り返した。そして、目を開けると、姉は母の手からスッと離れた。そのままイリスを抱え上げる。 「えっ?お姉ちゃん!?何するの!放して!」 母を置いてアンリエッタは逃げ出した。イリスは必死に母に手を伸ばした。 「まだ…、母さんが…、母さん!」 イリスは涙で滲む視界の中、母に手を伸ばす。しかし、母から遠ざかるばかりで段々母の姿が見えなくなった。アンリエッタはイリスを抱えて走りながら、泣いていた。唇を噛み締めて。そして、ドオン!と一際大きい音がした。目の前が炎に包まれる。イリスの家が焼けていた。 「母さんー!嫌ああああ!」 イリスの叫び声は騒がしい喧噪で掻き消された。
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