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プロローグ
少しくらい不器用でもよかった。そうしたら自分の執着できる大切なものがなにか、今よりずっと簡単に見つけられたかもしれない。
私の全てが詰まっていると思っていたものが出来なくなった時、絶望なんかしなかった。
涙も出なかった。明日から何しようか、と気楽に空いた時間の使い方を考えていた。
ショックで引き籠もることもなく、翌朝には平然と登校して、逆に友人に心配された。
私にとってかけがえのない存在だと思っていた人、世間一般に言う「彼氏」が離れていっても、まあいいかと思ってしまった。
つまり、それらは私にとって何だかんだと替えがきくものだったという訳で。
その度に無頓着な自分の性格を再認識した。 人に興味がない訳ではない。
友人だって人並みにいるし、人間関係だってちゃんと気にしている。ただ、何に対しても来るもの拒まず去るもの追わずなだけだ。
ぼんやりとくだらないことを考えながら、惰性で、気が向いた時につけている日記帳を開いた。
四月七日
まだ友達がいなくてボッチだけど入学式。紅と千葉瑠は同じ高校だからそのへんは羨ましい。あの2人はずっと一緒にいるな。
部活どうしよう
日記なんかつけ始めたけど長続きする気がしない
――執着心を持てる何かが欲しかった。
――自分の人生を何か一つのものに捧げることが出来る人に少しだけ憧れていた。
四月十九日
部長が意外とタイプだったから新聞部にした。あとなんか楽そう。クラスは違うけど同級生の女の子も入りそう。
――あの日、あの場所に行かなければ
――あの日、君と出会わなければ
四月二十日
最悪だ。部長、彼女持ちだった。他の男子は論外だし。
絵琉ちゃんは今までつきあったことのないタイプだけど仲良くなれそう。
一応友達はできたけど憂鬱なこと多すぎ
――きっと今までと同じだった。
四月二十三日
明日の放課後の剣道部の取材、忘れる気がする。
絶対忘れる。
どうせならバスケ部とかサッカー部とかの取材が良かった。
――知らなければ良かった。
――こんな感情なんか。知りたくなんかなかった。
四月二十四日
やっぱり取材のこと忘れてた。いや、今はぶっちゃけ取材のことはどうでもいい。
あんな人種、この次元に存在してしまっていいのか。二次元とかの方が居場所あるだろ
思い出すだけで胃に穴が開く気がする。
思いの外思い出に浸っていて待ち合わせの時間に遅れそうになっていたことに気づき、慌てて家を出た。
初夏の桜並木は青々と生い茂り、木漏れ日の中を私は早足で歩いた。
雨と蒸し暑さの混じり合ったにおいがした。
待ち合わせをしているのが紅や千葉瑠だったら、急いだりしない。二人もまたかってあきれ顔しながら許してくれるだろう。
だけど今日は駄目だ。君の前では少しでも良い格好をしていたいんだ。
君に少しでも好かれたい。
たったそれだけで自分のポリシーなんかかなぐり捨てて。
レースのトップスに花柄のロングスカート。足下だって、いつものパンプスじゃなくスニーカーだ。
そう、私は珍しく走っていた。
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