対馬にて

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対馬にて

稜がユースフの研究室で現実の世界に戻った後、すぐに皆で話し合い、ミカは夢遊状態の仁と付き添って日本に帰ることにした。ユースフはウリグシクに残りこの数ヶ月の軟禁状態の間に溜まった仕事を片付けることにした。そして稜とセナは対馬に行き、銅鏡を探し出し、見つけ次第鎌倉に戻り、そこで北悟志と仁を現実に引き戻すため銅鏡を使うという手はずを決めた。 十八時間後、稜とセナは島の西端にある対馬西空港に降り立った。そこで空港で客待ちしていたタクシーで島の東海岸沿いを走った。セナは車の助手席に乗り、稜は後部座席を左右に移動しながら、窓越しに海岸の様子と海岸近くまで迫った山の形を眺めていた。運転手が「この辺の地形に興味がおありのようですね」と話しかけて来た。陵が嬉しそうに元気な声で答えた。 「そうなのですよ。山とかの形にすごく興味があるんですよ。この島で猫の耳のような形をした峰がある山を知りませんか。三浦神社の近くにあるはずなのですけど」 運転手はちょっと考えてから言った。 「いや、聞いたことないですね。すみません。三浦神社はあと百メートルほど行って、山のほうに曲がってすぐですよ」 このやりとりを聞いてセナが陵に言った。 「陵。それって鎌倉時代の景色でしょ」 タクシーの運転手が笑いながら言った。 「鎌倉時代、そんな千年も前の景色じゃちょっとわからないですね」 セナも笑いながら訂正した。 「鎌倉時代だから七、八百年位前です」 陵が口を尖らせるようして言った。 「そんなに自然の景色は変わらないと思うけど」 タクシーの運転手が言った。 「いやいや、この辺も最近はリゾート開発やらなんやらで、山を削ったりしてるからね。まあ、いずれにしても分かりません。おっと、もう三浦神社に着きましよ」 セナは「ありがとうございます。じゃここで」と言うと、料金を払い、陵とともにタクシーを下りた。二人は、少し先に見える鳥居を目指して歩いて行った。 「なんか、神社って変じゃない」とセナが言った。 陵はきょとんとしてセナの方を見た。 「鎌倉にあった銅鏡は樹恩寺にあったよね」とセナが続けた。 「この銅鏡自体、宗教とあまり関わりがないものではあるけど、あの重々しい装飾とか材質とか、それと人の心に突き刺さっていくことを考えるとお寺に保管されているのが相応しいのじゃないかな」 陵は全く意に介した様子は無く、 「まぁ、幻視で出てきた武士の名前が三浦悠馬で、ここは三浦神社で、名前がどんずばりだし。いいんじゃね。何か景色の雰囲気も似ているし」 セナは少しあきれ顔になって言った、 「仁だったら、もう少し緻密に分析するとだろうけどな」 陵はやれやれという顏になって独り言のように言った。 「仁か。今頃鎌倉に戻ったかな」 二人は鳥居の下をくぐり、神社本殿の横にある社務所で、事務を執っていた初老の男に神奈川の鎌倉大学から歴史遺産の学術調査のために来たと言って、探している銅鏡について尋ねた。しかし彼らが期待したような答えは得ることが出来なかった。男はこの神社の宮司をしていると言い、この神社については、「このお宮はそれなりに歴史があるが、建てられたのは今から二百年位前です。三浦というのは、そのころの旧地名で何か言い伝えがあった訳ではない」と言った。 二人はとぼとぼと、三浦神社を後にした。セナはさすがに気落ちしている陵の方を見て言った。 「せめて三浦神社の歴史ぐらいは、事前にあたっておくべきよね」 陵は困った顔をして「ごめん。でもここだと思ったのだけどな。どうするか」 その時、車のクラクションの鳴る音がした。二人がそちらを見ると先ほどの運転手がこちらに手を振っていた。 「あれ、待っててくれたのか。助かるな」と陵が言うとセナが「あの運転手さん何か話があるみたいよ」と言った。 二人が運転手の前まで来るといかにも親切そうな中年の運転手は言った。 「この辺じゃ、タクシーも通らないし、バスもあと二時間は来ないから待ってたよ。お客さん達、三浦神社でお目当てのものは見つかったのですか?」 二人はうつむいたまま首を横に振った。 「そうだろうと思った。お客さん達は鎌倉時代の鏡か何かを探しているのですよね?」 「運転手さん、何で知っているのですか?」と陵が訊いた。 「何でたって、空港からここにつく三十分の間、男のお客さん随分大きな声で話していたよ。耳栓でもしてなきゃ聞くなっていうほうが無理だな」 「そうですね。でそれが何か?」セナが尋ねた。 「お客さん達を待っている間、島の観光所や年寄りの運転手仲間に携帯電話で聞いてみた。多分、お客さん達が探しているものは三浦神社の上の方の山の中腹にある樹恩寺というお寺じゃないかと思うよ。そこまで車で連れていこうか?」 セナと陵は同時に言った。 「ありがとうございます。よろしくお願いします」 セナは陵に小声で言った。 「陵は本当にタクシーの運転手さんと縁があるわね」 陵は、それは俺とセナの二人がでしょと思ったが何も言わずにこっと返した。 車の中で、今度は後ろの席に並んで座った二人に運転手が言った。 「樹恩寺と三浦神社はもともと同じ境内に建っていたらしいのだけど、明治時代の神仏分離で分けられたらしい。樹恩寺は鎌倉時代からあるから、随分古い仏像や仏具も所蔵しているらしいよ。それと・・この坂も昔は猫耳坂と呼ばれていたらしい。今は森林で覆われているが江戸時代以前は地肌がむき出しで山は猫の耳のような形をしているんだって。これはこの辺の年寄りというか私の父親に聞いた話ですけどね」 二人は神妙に運転手の説明を聞いていた。 「あっ、もう着くよ」と運転手が言った。 車を止めると運転手が言った。 「ここで待っているよ。夕方の便に間に合うためには、三十分ほどで切り上げないちょっと苦しいな」 二人はお願いしますと言って運転手にお辞儀をすると小さなお寺の山門をくぐって、本堂に向かった。本堂に着くまで境内の中を見渡したが人の影は無かった。本堂の中では僧侶が経をあげていた。二人はこのお寺にはこの僧侶の他には人がいないと感じて、読経が終わるまで待つことにした。やがて経が終わり、小柄な僧侶がこちらを振り返った。 「先ほどから、そこにおられるようだが、何かご用事かな」と僧侶が言った。 二人は、先ほど三浦神社で話した内容を説明した。 僧侶は光源と名乗った。セナは祖父と同じ名前だとびっくりしたが、それは言わずに僧侶が何と言うかを持った。光源は言った 「確かこの寺に鎌倉時代から伝わる銅製の鏡はあります。後でお見せしますが、それは有形文化財なので、この寺から持ち出すわけにはいきません。それなりの手続きが必要ですよ」 セナは光源の言葉にとまどったが、それももっともな話であり無理はできないだろうと考えた。まず物を見て、それからどうするかミカに相談しようと考えた。 「はい。わかりました。ではそれを拝見させてください」とセナが言うと、光源がこちらへと本堂の裏手に二人を案内した。そこには本堂と渡り廊下を挟んだ小さな建物があった。案内されて二人が中に入ると、正面に仏像が三体並んでいるのが見えた。セナはおじいちゃんには申し訳ないけど鎌倉の樹恩寺の倉庫に比べて何十倍も立派なものだと思った。部屋の横の壁に掛けてある長方形の板状のも のが見えた。「あれが銅鏡です」と光源が言った。うん?何だこれと二人は思った。それは青緑に錆びた銅の板であった。 陵はセナの方を見て光源に聞こえないように小声で言った。 「銅鏡が錆びている。どうしようもない。どうしよう。なんちゃって」 セナは陵を見て思った。こんな時にだじゃれなんて陵って何考えているのだろう。いずれにしてもこれを持って帰っても使えそうにない。 陵が言った。 「これ磨きましょうか。少し時間がかかるだろうけど。持ち帰らせて頂いて」 光源はそれを聞くとほっほっと笑い出した。セナと陵があっけに取られていると光源は言った。 「よっぽど持ち帰りたいと見える。あなた方は鎌倉から来たとおっしゃったな。鎌倉樹恩寺の廣元さんはお元気か」 セナはびっくりして言った。 「祖父をご存知なのですか」 「はい。宗派も違うし、字も違うが同じ樹恩寺のこうげんですから、何か縁があるのかと思い何度か連絡を取りました」 陵が目を光らせて言った。「じゃあ、貸出しオーケーですね。ぴかぴかにして戻しますよ」 「いや、そうはいかないのだ。また仮に貸したとしても、それを鏡のように光らせるのは何年も掛かってしまうだろう」 陵はがっかりしてうなだれた。 「どうもあなたは分かりやすい人だね。ひとつ道がある」 そう言うと光源は仏像の裏に行くと、宅配便の梱包がしてある荷物を持って来た。光源はセナと陵に言った。 「これを開けて見てごらん」 陵が手早く他急便の梱包を解いた。中には柔らかい布に包まれたものが出て来た。今度はセナがその布を丁寧に取り払った。中から見慣れたピカピカに磨かれた銅鏡の板が出て来た。 「その宅配便は、何日か前に届いたものだ。差出人は北悟志となっている。ご存知か」と光源が言った。 「知っているも何も、私たちの仲間の兄で今これを一番必要としている人です」 「そうなのか。もう少し経ったら、鎌倉の廣元さんにお聞きしようと思っていたのだが」 「それでは、その銅鏡を北さんに届けていただけますかな」 セナと陵は何故悟志がここに送ったのかは不明だが、ともかくも目指していたものがここにあったので、喜びが湧き上がってくるのを感じたのであった。 「あっ時間は?」とセナが言うと稜があわてて携帯を取り出して時間を見た。 「やばい。もう出発しないと飛行機に遅れる」 そう言うと稜は銅鏡を宅配便の梱包に戻しそれを担ぎ上げ、光源に向かって首だけで一礼すると外に向かって走り出した。セナも慌てて光源に丁寧にお辞儀をして、「後ほどご連絡いたします。ありがとうございます」と言って大急ぎで稜の後を追って行った。 樹恩寺からは、外で待っていてくれたタクシー運転手が空港まで飛ばしに飛ばし、飛行機の出発時間ぎりぎりで到着、その後福岡で羽田行に乗り換え、電車を乗り継ぎ鎌倉の北兄弟の家にその日の夜に到着した。陵は対馬の樹恩寺から持って来た銅鏡を抱きかかえるようにして仁の部屋に運び込んだ。そこには既にウリグシクから日中、成田に到着していたミカと病人としてミカに付き添われて来た仁がいた。 仁の部屋にはミカ、セナ、稜が集まっていた。本来大型のディスプレイが置かれて居た場所には、数時間前に対馬から稜が持ってきた銅鏡が置かれていた。虚ろな目となっている悟志と仁の兄弟を三人がかりで座らせた。 陵はここに来る途中で、特大の蝋燭を買って来て、それを鏡の前に置いた。板の左側に貼ってある赤い方の鏡にはシートを掛け見えないようにした。準備が出来ると、皆少し緊張した面持ちとなった。陵がすこしおどけた表情になって「では、そろそろ」と言うと、ライターで火を点けた。 蝋燭の灯を受け、右側の銅鏡が青い光を発した。その青い光が悟志と仁の顏をゆらゆらと照らした。何の変化もないまま三分が過ぎた。陵が「ダメかな」と言った時に、仁と悟志の表情に同時に変化が現れた。二人とも、何かと戦っているような怖い形相となった。やがて二人とも手足をバタつかせた、と次の瞬間、二人は起き上がり、取っ組み合いを始めた。陵、ミカ、セナは、慌てて二人を引き離した。セナが仁をミカが悟志の体を揺さぶりながら、それぞれ落ち着いてと言った。数秒後、二人は我に返ったように、あたりを見渡し始めた。やがて悟志が口を開いた。 「あっ。家に帰ったのか」そして仁が言った。 「あっ、兄貴も戻れたのか。良かった」 その部屋ですっかり気持ちが落ち着いた仁と悟志に、セナが二人が夢遊状態の間の話を聞かせた。それを聞いていた仁が「ミカさん、セナ、そして陵、どうもありがとう」とお礼を言うと陵が言った。 「俺、向こうで仁に会ったような気がする。三浦悠馬は仁だったのだろ。俺は何度も自分が悠馬だと思ってたのだが、どうも意識が入りきらなかった。俺は何だったろう」 それを聞くと仁が笑いながら言った。 「あの世界では、僕はずっと自分は悠馬と一体化していた。そして今思い出してみると従者の三郎太と島の漁師が陵に似ていたと思う」 陵がわらいながら「やっぱし。そうか。そんな気もしていたのだが。対馬の樹恩寺での銅鏡のありかもしっかり覚えていたし」と言うとセナが「しっかり覚えていた?」とやり返し、皆の笑いを誘った。悟志だけが先程から皆のやりとりを無言で聞いていたが、次第に涙ぐんでやがて言った。 「皆どうもありがとう。苦労をかけたのだね。本当に迷惑をかけた」 ミカ、セナ、陵が悟志の方を見た。悟志は口ごもりながら続けた。 「私は、学生時代ウリグシクに言った時に知り合ったワン教授に誘われてコンバイとコンタクトしていた。コンバイに協力して鎌倉の樹恩寺の銅鏡を手に入れてコンバイに送る約束をした。かなりの額の報酬を提示されたのでね。大学で講師はしているが、他にもアルバイトをしないと独立して生活もできない状況だったのでその誘いが魅力的だったのだ。先週コンバイから、セナが僕にコンタクトしてくるように仕向ける、そしてそれに従えば、銅鏡にたどり着く。それをコンバイに送ってくれと言われてその通りにしようとした」 ミカが聞いた。 「でも、悟志は銅鏡をコンバイに送らなかった?」 悟志が頷いて言った。 「実際に目の前に銅鏡を見ると、このように我々のご先祖が、一族の宝として代々伝えてきたものを、いくらお金を積まれたからと言って知らない者に渡すことなど、出来ないことだと思った。いやそれどころか、これをコンバイやその裏にいる組織Xに渡すことは人の世に反する行ためではないかと思えてきた」 皆じっと悟志の方を見つめていた。悟志は続けた。 「しかし、樹恩寺に戻してもすぐにコンバイに見つけられてしまうだろう。そこで私はこの銅鏡を一族にゆかりのある信頼の於ける人物に預けることにした」 「それが、対馬樹恩寺の光源さんなのですね」とセナが訊いた。悟志は頷いて言った。 「その通りです。あの光源さんは、鎌倉時代に我々の先祖が対馬に出向いた時にあの島の海岸で出会った漁師の子孫にあたる人物とのことなのだ。私はこのことをミカのお祖父さんの廣元さんに教えてもらった」 そこまで黙って話を聞いていた仁が言った。 「ところで兄貴は銅鏡を対馬の樹恩寺に送った後、どうして魔境の伝説で向こうの世界に入ったのだい」 その質問には悟志は答えを準備していたかのようにすぐに答えた。 「仁があちらの世界に行っている時のことを思い出して、しばし身を隠そうと考えたのだ。あの状態になってしまえば、もうコンバイも私につきまとったり、脅したりすることはあるまいと考えた」 セナが言った。 「それって、相当リスクのあることじゃないですか。もし誰も銅鏡を見つけ出せなかったら北先生を誰も現実の世界に引き戻すことが出来なかったかもしれないし」 悟志は少し笑って言った。 「それはあまり心配していなかった。対馬樹恩寺の光源さんには、受け取ってから十日たったらあの銅鏡をこっそり鎌倉樹恩寺の廣元さんに送るようにお願いしてあったからね」 陵がセナの方を見て言った。 「あの和尚さんそんなこと一言も言わなかった」 悟志は言った。 「それはそうだろう。光源さんにはこのことは、あやしい者には決していわないようにお願いしてあったから」 陵が口を尖らせて小さい声で言った。 「怪しくなんかないぞ」 セナが言った。 「でも、私がいたから、結局は銅鏡を渡してくれたし」 「それフォローになってないよ」と陵が言った。 仁がまた悟志に聞いた 「ところで、僕はあの世界では若い武士の三浦悠馬に意識が入り込んでいたのだけど、兄貴が入り込んでいたのは誰?」 悟志は言いづらそうに言った。 「私が入り込んでいたのは二つだ。一つは対馬沖のイルカ。そしてもう一つは……僧侶の化身の魔物だ。そしてあの魔物は……」 悟志はそこで言葉を一旦止めて、皆の顔を見まわしてから言った。 「あの魔物の名前は呪怨と言う。もともと、字が違う樹恩という名前の僧だったのだ。対馬にある樹恩寺の名前のもとになっている。そして、対馬の海岸で悠馬と呪怨は戦いを繰り広げる。その戦いの最中に悠馬に入り込んだ仁と呪怨に入り込んだ私が現実の世界に引き戻されたのだと思う」 仁がまた尋ねた。 「本当に兄貴は身を隠すためだけにあの世界に入ったのか」 悟志がきっぱりと答えた 「そうだ」 その時、部屋のドアが開いて僧侶の姿をした男が入って来た。ミカとセナの祖父、樹恩寺の廣元であった。 ミカが言った。 「おじいちゃん、お久しぶり」 廣元が言った。 「久しぶりだね、ミカ。話はそこで皆聞いておったから、説明はいらんぞ。悟志と仁をこの世界に戻すことが出来て、まずは良かったな。ここにいる皆のお手柄だ。だが我々にはもう一仕事がある。これは我々一族の使命でもある」 皆、真剣な面持ちになって廣元の言葉を聞いている。 「世界中でコンバイのまき散らした赤い光で幻視の世界に引き込まれた多くの人達を現実の世界に引き戻さないといけないのだ。これは我々にしかできないからな」
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