第一篇 加入篇 憧れと現実、そして、一筋の光

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第一篇 加入篇 憧れと現実、そして、一筋の光

 日本芸能大学(にほんげいのうだいがく)、通称、日芸大(にちげいだい)。十年前に設立された国立の芸術系大学だ。日本の芸能文化におけるさらなる発展を期待して設立された。  日芸大には全部で五つの学部がある。美術学部、音楽学部、文学部、演劇学部、そして最も特筆すべきはアニメーション学部だ。日本のサブカルチャー文化の人気は、今や世界中に広まっている。「日芸大の設立の最大の意義はアニメーション学部にある」と一部の人間が囁いているほどだ。  教室の左、最後方に座る青年はうなだれたように机に突っ伏した。昨晩名作アニメを一気見した事による眠気が、彼の瞼を強引にくっつけようとしてくる。  大学で一年間アニメーション学部でアニメの基礎を学び、大学二年の四月、学科分けが行われた。アニメーション学部は二年生で三つの学科に別れる。手書きアニメーターを目指す作画学科、CGクリエイターを目指すCG学科、そして監督や演出家、脚本家などを目指す演出学科だ。  そしてこの教室では、演出学科のガイダンスが行われた。年間スケジュールや講義の選択の案内、さらには卒業要項の説明まである。そして、ようやくつまらない説明から解放された。と言っても、ずっと内職をしていたわけだが。  机に突っ伏した瞬間に意識を失っていた青年は、十五分後、チャイムの音によって跳ね起きるように目を覚ました。 「(やばい、授業始まる)」  しかし、教室には誰も残っていなかった。そうだ、確か次の時間は空きコマだ。寝ぼけ眼を擦り、ぐーっと伸びをする。その瞬間、彼の視界の右端に、風に揺れる茶髪が入った。 「うおっ!」 「なんやその反応。寝ぼけとんのか」  その茶髪にオシャレパーマをかけた関西弁の男は何か赤いキャンパスノートを見ている。 「って、それ俺の!」  ばっとノートを奪い取ると、その男は苦笑いを浮かべた。 「自分、名前は?」 「稲葉虎徹(いなばこてつ)……」  勢いに押されてつい言ってしまったことを虎徹は少し後悔した。 「そか、ほなまたな」 「えっ、ちょっ! お前の名前は⁉︎」  その茶髪の男は振り返って答えた。 「広沢大和(ひろさわやまと)や。わいも演出学科やけん、これからよろしゅうな」  大和はひらひらと手を振ると、そそくさと去って行った。 「なんだったんだ……」  正直あのようなリア充は好かない。どうせあんな風に女の子とも仲良くなっていくのだろう。友達になることはないだろうな、とその名前は記憶から抹消された。  その日のバイトを十時に終えると、気怠さを抱えながら自宅の最寄駅の改札を通り抜ける。駅前では、ギターを抱えて必死に歌う青年がいた。こんなことして何になるのか。まさかどこかのプロダクションに声を掛けられるとでも思っているのか。そんな夢物語、あるはずはないのに。虎徹は耳にイヤホンをしたまま真っ直ぐにその前を横切る。  そのまま虎徹はスーパーに向かった。今日は豚肉が安い。豚肉ともやしの炒め物か。今日は酒も飲みたい気分だ。缶ビールとチューハイを買い物カゴに放り込む。  家に帰ると暗闇が虎徹を出迎える。田舎から飛び出してから一年も経つと、一人暮らしにも慣れてくるものだ。虎徹は手早く料理を済ませると、夕食をとりながら溜まっていた今期のアニメの一話を見始めた。  酒をちびちびと飲みながら漫然とアニメを観る。それが二十歳を超えてから日課になりつつある。  実家から飛び出してきて一年。華々しいキャンパスライフなんかなかった。  アニメの勉強だけをできると期待して入ってきたは良いが、周りの実力の高さに打ちのめされ、成績は最下層。アニメーターになるために作画学科を目指していたが、成績の殴り合いで敗れて最も人気のない演出学科へ。  友達はいないわけではない。だが、授業が一緒だから話すくらいで、プライベートで遊ぶことは少ない。それに彼らには他の友達もいる。良いサークルを探したが、どれも既に人間関係が出来上がっているような感じがして入れなかった。  勿論彼女もいない。結局バイトだけの日々。無為に通帳に金だけが溜まっていくのがなんとも虚しい。  虎徹はごろんとベッドの上で仰向けになると、ほのかな酔いに身を委ねて目を瞑った。    * * *  翌日、いつものように朝食のパンを食べ、いつものように授業を受け、いつものように学食に並び、いつものようにまた授業を受けた。一年の頃一緒に授業を受けていた友達はみんな作画学科かCG学科に行ってしまったため、最近は一人でいることが多い。  四限の演出特論の授業の始業チャイムが鳴る。これがこの日の最後の授業だ。すると、右隣の空いた席に一人の女子が着席した。髪を耳にかけると、美しい首元とうなじが現れた。 「(綺麗な人だな)」  すらっとした滑らかな流線型の体に小さな顔がちょこんと乗っかっている。絹のような黒髪が腰あたりまでかかっており、透き通るような少し切れ長の大きな瞳が黒板を見ていた。  それから九十分間、虎徹は授業に集中できなかった。  授業後、その女子はカバンにノートと筆箱を詰めると、不意にこちらを向いた。 「あの、あなた今日ずっとこちらを気にされていたようですが、何か用でございますか?」 「えっ!」  つい大きい声が出てしまった。凝視しすぎたらしい。だが、そのアルト気味なハスキーな声は心地よい響きを持っていた。 「いや、あの、別になんでもありませんよ」 「そうですか」  彼女はふわっとスカートを払うと、静かに立ち上がった。各仕草から、育ちの良さが感じられる。そして、彼女はふっと微笑むと、優しく語りかけた。 「実は、私があなたに用があるのですのよ」  彼女の後ろから陽の光が差し込む。俺はただその美しさに目を奪われた。 「私、一目惚れしてしまいましたの」  モテ期が来た!  虎徹は高揚する気持ちを必死に押さえつける。しかも、相手はかなりの美少女だ。だが、ここで焦って相手の印象を下げたらおしまいだ。落ち着いていく。そして、このチャンスを絶対にものにするのだ。 「(って一体どこに向かっているんだ?)」  少し喫茶店で話をしたいと告げられたはずだが、大学の門とは逆方向に向かっている。それにこちらの方向には学食も何もない。 「(まあ、気にする必要はないか!)」  少しミステリアスなキャラは好きだ。それにしても彼女の横顔は何度見ても綺麗だ。すっと通った鼻筋。シャープな輪郭。小ぶりな耳。彼女の顔のパーツ全てに釘付けになる。 「着きましたわ」  目の前には小さなドアがあった。何かの部屋。 「(まさか密室で! あんなことやそんなことを!)」  虎徹の顔が紅潮する。 「ちょっと! まだそういうのは早いんじゃないか!」  その時、彼女は既にドアを開けていた。中から蛍光灯の光が差し込む。 「約束通り、連れてきたわよ」  彼女の口調が突然変わった。すると、部屋の中から男の声がした。 「お〜、お疲れさんな」  その部屋には男子二人、女子一人が各デスクの前に座っていた。そして、そのうちの一人は見覚えがあるいけ好かない茶髪のパーマ野郎だった。そいつはニヤリと笑みを浮かべた。 「ようこそ。日芸大アニメサークル、通称NAC(ナック)へ」
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