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父の心痛 1
翌々日。
愛想のない灰色一色の城壁に囲まれた居城に着いたロアは、愛馬のシュリュッセルを馬丁のフランツに預けた。
そして乗馬用のブーツのまま、玄関の靴拭きで靴底を拭いもせずに廊下を走る。
「父様!」
ノックはせずに壊れるかと思うほどに激しく大きく書斎の扉を開ける。それと同時に、びしょ濡れの体のまま転がるように部屋へ入った。
「おお、来たかロア。……馬車で帰ってくるよう言付けたはずだが?」
手元の書状からびしょ濡れのロアへ視線を移した父、トラウゴット・ジャンメール男爵は呆れたように言って眼鏡を外した。表情は明らかに困り切っている。
ロアはつかつかとジャンメール男爵に歩み寄った。点々と床にささやかな泥水の足跡が残る。ベルンシュタインは雨の多い国だ。
「皇帝陛下が、私をウィンフィールドに行かせるって?」
父様の問いは耳に入っていなかった。ロアは肩で息をしながら、机のすぐ前に立つと両手を机についた。
ぽたぽたと滴が机の上に落ちて、男爵は濡れては困る書状やその他の書類などをさっと手前に引いた。
「そうだ。だが何故そんなに嬉しそうなんだね、ロア」
手紙を受け取ってからずっと憂鬱だったらしい男爵は、喜色満面の娘を恨みがましい目で見た。
「だって、天馬に乗れるんだよ。嬉しくないはずないでしょ!」
ついはしゃいだ声を上げて、ロアは夢見る瞳でうっとりと昔の記憶を思い出す。
元々絵本に出てくる天馬騎士は大好きだったが、母親が死んでからは雲の上に行けば母に会えるような気がして、ロアはますます天馬に憧れるようになっていた。
もちろん今はもう雲の上に天国はないことは知っていたが、それでも雲の上はロアにとって幻想的で神秘的な特別な場所だった。
「子どもの頃は、よく天馬騎士ごっこしたよね。白馬に羽をつけようとして蹴られたの、あれは何歳の時だったっけ。父様、覚えてる?」
浮かれて思い出話をしてしまう娘とは対照的に、男爵は顔をしかめた。
「何を言っているんだ、おまえはウィンフィールドの二人の王子の花嫁候補として行くんだぞ」
「え、天馬レースの騎手じゃないの?」
きょとんとしてロアは男爵を見た。
「何だって?」
「だってウィンフィールドの夜会では、天馬レースをするんでしょ? 私はそれに出るんじゃないの?」
男爵は顎に握り拳を当てて考え込んだ。確かに、ウィンフィールドでは夜会の余興に天馬レースをすると聞いたことはあった。
「……む。確かにその可能性もあるか」
男爵は改めて皇帝陛下からの手紙の写しを見た。文面には花嫁候補としてとも騎手としてともはっきりは書かれていない。
もしも騎手として行くなら少しは気が楽だと考えて、男爵は顎から手を離してため息をついた。
「まあいい。とにかくウィンフィールドの前に帝都へ行かなくては」
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