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父の心痛 2
男爵の言葉に驚いて、ロアは目を見開いた。またぽたりと滴が落ちる。
「帝都に? どうして?」
「やれやれ、手紙を最後まで読んでいないようだな。来月の始めに皇帝陛下と謁見だ、皇帝陛下直々にウィンフィールド行きの命を下されるのだろう。おい誰か、拭くものを持ってきてくれ。書斎に雨が降っているぞ」
たまりかねた男爵が声を掛けると、すぐに背の高い眼鏡の侍女、マヌエラが乳白色のタオルを手にして近づいてきた。
失礼しますと呟いて、マヌエラはそのままロアの顔にタオルを押しつける。
「むぐっ」
「全く、おまえが陛下に謁見などどうなることやら」
男爵はまたため息をついた。顔を拭われた後は髪を力強く擦られて揺れながら、ロアは明るい声を上げた。
「陛下と話すのは初めてじゃないよ。レースの後の表彰式では、何度か皇帝陛下から声を掛けてもらってるし、慣れてるから大丈夫」
「陛下の祝辞におまえが礼を言うくらいで、陛下ときちんと会話をしたことはないだろう」
「そうだったっけ?」
「それに、万一花嫁候補だとしたら、騎手ではなくジャンメール家の息女として陛下にお会いするのだぞ。どういう会話が望ましいか分かっているのか?」
ベルンシュタインでは、社交界にデビューした貴族の子女は皇帝に挨拶に行かなくてはならない風習がある。
ロアが騎手としてではなく男爵令嬢として皇帝に会ったのはそれが最初で最後だったが、その時も会話らしい会話はなかった。
だからなのか、男爵は不安で仕方がない様子だった。
「まあまあ、何とかなるって」
「おまえは皇帝陛下がどんな方か分かっておらんのだ。あの方には人の心がない。即位の時こそ善悪の分からぬほんの子どもだったが、十を過ぎた今でもまだことあるごとに人の首を刎ねておられる」
男爵はしかめっ面で娘を見つめて、声を潜めた。
辺境の小さな領地しかない男爵が帝都に行く機会は少なかったが、そんな男爵の耳にも少年皇帝の悪評は届いている。
ロアもちらほら噂を耳にすることはあったし、怖いとも思ってはいるが、本当に自分の首が刎ねられるとはとても思えなかった。
「大丈夫だってば、ちゃんと気をつけるよ。ねえ父様、シリュッセルをウィンフィールドに連れて行ってもいいかな?」
愛馬の同行を頼み込む娘に、男爵は頭を抱える。
「向こうで乗る気か? 駄目に決まっているだろう」
「ええー? どうして?」
ますます背を丸め、男爵は苦悩を露わにする。
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