八雲

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父が亡くなって母の実家である祖父の家に越してきたのは幼稚園の頃。 その祖父ももういない。 仕事に出る母を見送ってから家を出るのが広斗の日課だった。 そのせいで広斗はいつも遅刻の境界線に登校する。今日もカウントダウン中程で門に滑り込むと「安倍は要領がいいな」と山下に笑われた。教師達は遅刻を無くす為というより、毎朝巻き起こる悲喜こもごものイベントとして遅刻者締め出しを楽しんでいる。 その証拠に「今日の収穫は…」なんて上がりの数を毎日数えグラフにしていた。 鬼畜だろ。 ガラガラとレールを抉る鉄の門が動き出すと走ってくる君継の姿が見えた。間に合うとは思えない距離だ。声をかけると鞄が飛んできて、手を出すと……足を束ねて跳び箱を飛ぶようにトンッと鉄柵を弾き、高く跳ね上がった軽い体が真正面から照らす朝日を遮った。 君継が動くとしなやかな体の内から、綺麗な音が聞こえる。 薄い金属が共鳴するような、クリスタルのグラスが震えるような音。 「どけ!!広斗!」 「え?」 日に透け、フワッと舞った茶色い髪に見惚(みと)れていた。 飛んできたのはドロップキックだ。 「わ……っ!」 君継の尖った足が鞄を抱き込んだ胸に刺さってドスッと音がした。鞄の中の硬い感触は弁当箱だ。体重の乗った蹴りに容赦なく吹っ飛ばされたが鞄は離してない。 君継は人の体を跳ね板代わりに使って態勢を立て直し、綺麗に着地した。 派手に尻餅を付いた俺を振り返って「あーあ」と他人事みたいに笑ってる。 「痛えな…」 「何で着地点にいるんだよ」 「何でって……」 受け取れと鞄を投げたのはどこのどいつだ。 人を蹴っておいてごめんも無しに、まだ閉まりきってない鉄の門を仰いで「セーフ」と笑っている。 慣れてるからいいけどね。 「君継、今のセーフか?」 「セーフだろ、ほらまだ門は閉まってない」 少し吊り上がった綺麗な目尻を撓ませて君継が門を指差すと、のしのしと威圧たっぷりにやって来た山下に襟首を掴まれ「アウトだ」と襟首を掴まれた。 体育教師の山下には細い君継なんて五歳の子供に見えるのだろう、いとも簡単に吊るされ連行されていった。 深森君継(ふかもり きみつぐ)とは幼稚園の頃からずっと一緒にいる。 仲がいいとか気が合うとかそんな話じゃなくて、もう囚われていると言ってもいい。 やんちゃで無茶でちょっと馬鹿……いつもマイペースで少しぼんやりしているが運動に関しては何をやらせても上手く、体が軽い。離れないように、離されないように付いて行くのは大変だった。 あれは多分小2か小3の頃だ。手を地面につかないで前転する宙返りを会得した君継に、どれくらいの距離を飛べるか確かめたいから線になれと言われた。嫌な与感はしたが言われた通りに寝転ぶと………お約束って感じで頭の上に降って来た。 真面目に両腕を上げて伏せていたから……どうなったかって、地面と君継のお尻に挟まれて歯が折れた。 気の遠くなるような出血と抜け落ちた歯根の見える前歯に慌てた君継が着ていたTシャツを脱いで口に突っ込んできた。 その時、血と汗と涎で真っ赤に染まったTシャツの胸を見た君継は狼狽えるどころか「スイカを食べたみたいだな」って笑った。 それが君継だ。 君継と一緒にいると色んなとばっちりを食らうが楽しいのだから仕方がない。 中学を卒業する頃には背丈を追い越し、いつの間にか君継を見下ろすようになっていたが追いつけなくて…必死で追いかけているのは今でも同じだ。 君継を語らせると他の奴には絶対負けない。 ずっと……幼稚園の頃からずっと一緒にいたのだ、やらかした悪事も怒られた悪事もまだ暴かれてない悪事も……悪事ばっかり…… 君継は小学生の頃からヤバイくらい変わってない。 中身も変わってないが顔もあんまり変わってない。性別不明だった小学生からニョロッと背丈だけ伸びたみたいで、今もちょっとユニセックスで男臭さはまるで無い。 少し茶色い目、髪は地毛だと学校に証明書を提出しなければならないくらいの明るい栗色をしている。全体的に色素が薄く、痩せている訳でも無いのに細い体に目を疑いたくなるような小さい顔が乗っている。 「黙っていれば」と注釈が必要だが、人形のような姿はどこにいても目立ち、どこにいても注目を集める。 もう一つ…… 君継には目立つ要因がある。 君継は児童養護施設「森の子供園」の子供だった。 知らない人にそう言うと勘違いされてしまうが、君継の場合は家庭に事情があるのでは無い。 君継の両親は市の委託を受けた施設を経営している。事情は様々だが常に10人前後の子供を預り、君継はそこに混じって育ってる。美人と評判の母親は(本当に綺麗)預かった子供と実子を分け隔てなく育て、その結果君継は出会いにも別れにも淡白で兄弟と友達の境目が無い。 初めて会った奴でも十年付き合って来た友達と同じテンションで話すし、女子も男子も子供も老人も、車に轢かれて死にかけてる烏にだって「痛いか?」なんて話しかけたりする。 (君継と誤認された白いシャツを来た誰彼が仲間を守ろうとする烏の群れに襲われて大変だった) 君継は危なっかしいを通り過ぎて色々危ない。自転車に乗ったまま土手を乗り越えて、真冬の深い川に飛んで行った時は本気で死んだと思った。 学校の窓ガラスを頭突きで割ったり、塀から飛び降りて引っかかった自分の服で首を吊ったり、目が離せなくて側にいる。 ただ、目が離せないのはそれだけじゃない。 君継が好きだった。 出来れば、心が綺麗な所が好きとか、真っすぐで純粋な所が好きって言いたいが君継のジェンダーフリーとも言える綺麗な顔が好きだった。 追いかけて追いかけて、誰も区別しない君継を独占したくて……とうとう今年の春、自分の中で整理をしない内に口が誤作動を起こし「好きだから付き合って欲しい」……と、やってはいけない駄目な告白をしてしまった。 断っておくが君継は男で俺も男だ。 ホモなのかと言われればどう答えていいのかわからないが、理想は可愛い女の子と付き合いながら君継も独占したい。我ながら短慮で都合がいいとは思うがそれが本音だ。 君継の返事は「いいよ」だった。 勿論ここで浮かれたりはしない。 何故なら君継にとっての「付き合ってください」、「いいよ」の下りは年中無休、増産セールされて片手に余ってる。自称彼女が何人いるのか知らないが問題は人数の話じゃない。 何を持って彼氏だとか彼女だとか言うのか………問題はそこに尽きる。君継は家の事情から一切の金を持たされておらず、いつも無一文で携帯も持ってない。デートに誘っても乗らないのは知ってるし、学校の帰りだって一人でさっさと消える。 たまにクラブの無い時は男達に塗れて泥だらけになっているし、帰りは必ず「広斗」と寄って来てくれる。 好きだと言った告白は当初の目的通り「独占したいから」って役目を果たしているが、つまりは幼稚園から続く現状は維持されたままだった。 「低学年の頃から成長してないよな…俺もあいつも……」 偉そうに腕を組んだ山下の前で、悪びれる事なく言い訳を垂れている君継を見て諦めの溜息をついた。
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