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暫くして保健室にやって来た生徒指導の山下は、うとうとと眠りかけている君継の傷を見て「出血はあるが深く無いから縫うほどじゃ無い。もう道路はマシになってるから親御さんに連絡して迎えに来てもらえ」と言ってまた職員室に戻っていった。
今日はもう授業は無いらしい。
濡れた服を着替えてとっとと帰れって事らしかった。
「一年のうちに休校が二回もあるなんてツイてるな」
体操服を持ってきてくれた福田が山下の話を聞くと嬉しそうに笑った。
確かに、小中高と学校に通ってきた中でインフルエンザとノロパニックで2.3度学級閉鎖になった事があるくらいだ。
「これってツイてるって言うのかな?」
「ツイてるだろ、しかも今日は課題も無しで無条件に休みになったんだぞ」
「まあ、たっぷり遊んだけどな」
突然言い渡された1回目の休校は身元不明の死体から始まった。
その日は君継が八雲を殺そうとした末に見たくないものを見せられた。
2回目の今日は楽しかったのに、これ以上ないくらい嫌な感情と出くわした。
突発的な休校には不穏なイメージしか湧いてこない。久本と福田は君継の怪我が見た目程酷くなかった事に安心してこの後どこかに集まろうとか相談している。
勿論誘われたが乗る気は無かった。
もうこれ以上不穏な事を積み上げたく無いのに、シャツを脱いで体操服に着替えている間に、久本と福田の間で輪をかけて嫌な話になっている。
それは君継が不当に攻撃を受ける理由とも考えられることだ。
実は昨日の夜に町の建設会社で火事があった。
幸い怪我人はいなかったが、放火の疑いで緊急逮捕された犯人は「森のこども園」に一時身を寄せていた事がある24歳の男だった。
その男と話した事は無いが顔は覚えてる。18になるまでのほんの2ヶ月くらいしかいなかったのに町でも目立っていたのだ。高校には行っておらず、ブラブラとしながらあてども無く劣等感を振り撒いて見るからに荒れていた。
卒園後にどうしたかは知らなかったが、建設会社に雇われて住み込みで働いていたらしい。
その事を知ったのはまだ雪合戦が始まる前に久本と遊んでいる時だった。
昔からそうなのだが、「園の子」と平気で口にする一派は卒園者や在園者が何か問題を起こすと過剰反応をする。
それは勿論「園」にも君継にも関係ない話だが満島や桧山に取って「差別していい人種」として一括りになっているのだ。
もっと用心すべきだった。
口の中が苦くなってくるほど理不尽で悔しい。
「その話やめろよ、君継に聞こえるだろ」
「でもな広斗、そのせいであいつらが調子に乗ってるなら何とかしないとまた暫く続くぞ?」
チョコチョコとイジメに近い事をやってくる一部のクラスメイトに、教師たちは殆ど全員が見て見ぬ振りをしていた。
それはつまり心の根底で「仕方ない」って思っていたという事だ。
そして君継は何をされたとか嫌だったとかは決して言わない。
このままにするつもりなんか無かった。
「何とかは俺がする」
「何とかって、何をするんだ、ってか何が出来ると思う?」
「それは後で考えるけど黙って見過ごしたりは…」
「何ともしなくていい」
君継の声がしてハッと振り向くと、うとうと眠っていたと思ったら起き上がってベッドから足を下ろそうとしていた。
「君継、もうちょっと落ち着いたら家に電話してやるから寝てろよ」
「俺は一人で帰れるから母ちゃんに連絡したりすんな、それから広斗、余計な事を母ちゃんに言ったりすんなよ」
「でもな怪我を……させられて……」
「やめろよ、俺は滑って転んだだけだ、誰も悪くない」
「嘘付け、石を投げたのは桧山だろ、満島もグルだと思う、目を見たら何も言わなくても分かったんだよ」
「誰も悪くない」
しっかりとした口調、断固として人の悪意を認めない。こんな時の君継は、跳ねる時に体内で鳴らす清浄な鈴の音が聞こえるようだった。
「お前……火事の事知ってんのか?」
「知ってるよ、今日の朝に父ちゃんが事情聴取に呼ばれてすっ飛んで行ったからな」
「じゃあ尚更…」
「イジメにあってたんだって、イジメってのは劣等感とか縄張り意識から来る動物の防衛本能が高じたものだから特効薬は無いんだ………って父ちゃんが言ってた。うちの園は行政の委託だから18の誕生日までしか預かれ無かったからそれを教える事が出来なかったって…て。イジメてた人が悪いんじゃない、無視できなくて手を出した方が悪い」
「君継……」
それは満島や桧山がやった事も悪くないって言っているのと同じだった。
昔から君継や園の子に対して嫌悪や差別意識を隠さない満島達は好きじゃ無いし、みっともないとさえ思うが、小さい頃は一緒に遊んだし、話せば普通なのだ。
特別に根性がひん曲がってるとか、心根が悪いんじゃ無くて言わば環境が悪いだけだ。
それはわかるが、もう理屈や事情はわかるだろう、やっていい事と悪い事の区別だってしなくちゃいけない。
悟り切って物分かりのいい事を言う君継にまで腹が立つが言い返せない。
何も言えないでいると黙って聞いていた久本の手が肩に乗った。
「じゃあ君継ん家に連絡しても誰も迎えに来れないって事だよな?」
「そうだな、父ちゃんが警察署から帰ってなかったら母ちゃんは園を空けれない、俺は一人で帰れるからいいよ」
「俺が送っていく」と3人の声が揃った。
君継はいらないと断ったが、協議の結果、大雪の中でも無理矢理に乗ってきた福田の自転車に君継を乗せて3人で歩こうって話になった。
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