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プロローグ
プロローグ
「広斗、あそこを探検しに行くぞ」
君継が汗に濡れて肌に張り付いたTシャツの裾をツンっと引いた。
日焼けして赤くなった鼻の頭に汗をかいて、瞳の大きな目がクルリと悪戯っぽく回る。
とろみのある温い空気は掻いたら手応えがある。黄色い電気系のモンスターが笑いかけるビニールサンダルがアスファルトの熱で溶けてしまいそうだ。平行感覚を奪い去るシャーシャーと鳴きせぶる蝉の輪唱が煩い。
すぐに返事は出来なかった。
「あっち」と君継が指を指しているのは隙間なくこんもりと盛り上がった暗い茂みだ。
「行かないか?」ではなく「行くぞ」。
君継はいつもそう言う。
それは問いかけではなく決定事項なのだ。無理な強要でも無い。当然付いてくると信じているから「行くぞ」と言う。
「うん……でも…」
倒壊寸前の廃屋に出来た狭い穴に「入ろう」と誘われた時よりはマシだがちょっと躊躇する。
街を分断するように広がっているその古い雑木林は「バケ森」と呼ばれていた。主に友達の間で……。学校からも親からも「森には近寄ってはいけない」と注意を受けている。
今日は君継の「ホーム」で一緒に昼を食べる約束をしている。終業式が終わった後、散々校庭で遊んだ後腹が減って帰る途中だった。
バケ森に入ると言うのは、いつも君継が突然思い付く数々の悪さとは少し違った。この森にどんな危険があるのか知らないが、大きな木がモコモコと生い茂り、昼間でも薄暗い秘密をたたえた森は不気味に見えて探検に行くのは怖いのだ。
「………あのさ……この前深山がバケ森で白い影に追いかけられたって言ってたぞ」
「それを確かめに行くんじゃん、何?広斗は怖いのか?」
君継の大きな瞳が「"まさか"行ってみたく無いの?」と益々膨れる。
何であり得ないって驚くのか不思議だけど、君継には「怖い」とか「禁止されているから駄目」って発想は無い。
どうせ夏休みは毎日のように君継と一緒にいるのだ、今説得して押し留めてもそのうちにまた探検しようと言い出すに決まってる。
君継が行くと言えば行くしか無いのだ。
嫌だと言えば君継は一人でも行ってしまう。
無茶で奔放でやんちゃ。そして一人にしても結局巻き込まれてしまう。
「行くけど……俺さ、前にここで爺ちゃんに会ったんだ」
「え?広斗はバケ森に入った事あんの?」
「違うよ、森の入り口に爺ちゃんがいて……手を振ってた」
「何だ、それだけ?」
「……うん」
それだけだ。
笑いながら手を振る爺ちゃんに、手を振り返してそのまま君継の家まで行った。
その時は何も不思議じゃ無かったし変な所も無かった。
爺ちゃんはもういなかったって事以外。
後からその事に気付いたが怖いとは思わなかった。
それでも森を見る度にあれは何だったんだろうと今でも考える。
「行くぞ」
「う……うん」
怖いと言うより不思議の臭いがする森。
誰かが踏み固めた入り口は初夏に伸ばした枝葉で狭くなって足元の雑草は地面を隠してる。
入るなと言われているようだ。
蔦の絡まる青い枝は、いかにも虫や蜘蛛の巣が付いていそうなのに君継は気にすることもなく両腕でガサガサと枝を掻き分けて進んでいった。
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