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 濡れた瞳から滴り落ちる涙を拭うことなく、私は夜の公園で佇んでいた。このとき私は心底に温もりを感じていて、紛れもなく幸せの絶頂にいた。一方で体は震えていた。諸行無常の流れの中で、私の刹那的な感情を表現することは出来なかった。放り出して知らないふりを決めるのも自由であったが、私は時を振り返ることで私の中身を理解できる気がした。結局のところ、そうしなければならなかったのだ。私の人生、そして肉体を救うために、失われた精神を求めて。  新宿歌舞伎町の裏路地にあるホテルには無駄のない幾何学的な配置ですりガラスが並べられている。一見平凡に見えるそのホテルで異彩を放つと言うべきか、ひときわ特徴的なのは屋上にある高さ3mほどの自由の女神像である。夜の帳が下りた新宿の中で豪奢にライトアップされているその女神像は、街の雰囲気から逸脱していると評せざるを得ないが、砂漠にあるオアシスのよう、逆説的にその存在は硬固で現実的なものになっていた。そして今宵、新宿には雨の知らせが届いていた。窓に当たる無数の雫もすりガラスの内側からは音でしか認識できず大した問題にはならなかった。いや、むしろ少しも問題にならなかった。少し酒を飲んでいた。顔はわずかに紅潮し、悪い気持ちはしていなかった。私はベッドに裸で横たわり、同じく横で寝ている若い女の髪を撫でてやったが、三十路を過ぎた男には1回だけで十分であった。生酔いの私は心地よい疲労感と満足感で体中を包まれていた。その時、雷の光が窓から飛び込んできたが、私はその光景を夢見心地でぼんやりと眺めるままであった。当然、その時の私に不足しているものはなかったし、彼女もそれなりに充実感を感じていたのであろう。その夜、私は言うまでもなく熟睡することができたのだった。  目を覚ましてみても辺りは暗く、曇天変わらずであったが雨は止んでおり、外界は完全なまでの静寂に包まれ、時計の針は頂点を少しばかり超えていた。十分な睡眠を得た私だったが寝起きで脳がぼんやりとした。そこで、ベッドテーブルに置いてあった酒をコップ一杯一気に飲み干して頭を冴えさした。空きっ腹に酒が沁みていくのが直に感じられ、指の震えが止み、すっかり蘇った気分にさえしてくれた。  そろそろ一日の行動を始めなくてはいけないと、大きな伸びをしている傍ら、私はある違和感に気づいたのである。狭いベッドのみが置かれた部屋をいくら見渡しても、昨日存在したはずの彼女が見当たらないのである。ベッドにはシワの一つ残されておらず、完全犯罪のごとく、カバンや衣服もその痕跡が微塵もないのだ。  偽りの言葉で慰めあった相手だったとは言え、私個人に関して言えば、喉から発せられた言葉の中には少なからず本心が混在していた。髪の毛を撫でたときの手に残る感触を今も強く覚えているのは、少なからず一定の好意を有していたからなのだろう。しかし、私はそれをうまく伝える術を持っていなかった。いや、彼女自身にそれを受け取る気がなかったのだ。若者にありがちな、火遊び感覚での一夜だったのだろう。  そもそも、彼女は存在すらしていなかったのかもしれない。昨晩の出来事は全て夢だったのかもしれない。彼女の存在していた痕跡は部屋に何一つ残っていなかったし、私のなけなしの金に手をつけた様子も見受けられなかった。せめて最悪の事態に転じていればそれが真実であったと確信できていたのに、と諧謔的な妄想をしてみたが、さすがに私自身の心にすら何も響かなかった。  とりあえず一服しようと煙草を取り出したがライターが見当たらなかった。これもか、と思わず失笑し、衣服を身につけると、一歩一歩重い足取りで出口へと向かった。扉を閉めた時に昨晩の記憶は記憶として残るのか、考えてみたがどうでもいい事のように思えた。どちらにせよ、人生の中では些細な出来事であることに変わりはないのであるから。  ホテルを出ると、湿った空気が顔全体を執拗なまでに出迎えてくれた。不快に感じていた私だったがそれ以上にお腹が空いていた。1日以上、口にしたのは酒だけであったのだから当然であった。最近は食事に対する意欲、人間本能的な執着心を失いつつあるということを身にしみて感じていた。そもそも味わうことに喜びを感じなくなったのはいつだろうかと考えてみたが、思い当たる節はなかった。とは言え、私から食事の喜びを奪いつつあるナニカにアルコールの存在が大きく関与していることは明らかであったが、今となってはアルコールなしで生きていくほうが辛いと感じる身にもなっていた。しかもアルコールのせいだけではないことは火を見るより明らかであった。  本日初めての食事は、全国どこにでもあるチェーン店の定食屋で取ることにした。食べたい物があったわけではなかったが、「いつも食べたくなる家庭の味」と馬鹿馬鹿しく書かれた看板を目にし、他の店と比べて男性一人で入りやすい店であると感じたからであった。店の内装は木を基調とした小奇麗な居酒屋といった印象であった。店の中は比較的混雑していたが、私が立ち入ると、店員は前の客が残した皿を片付けて一人分の席を速やかに確保してくれた。  店員に案内された席に腰を下ろすと、生姜焼き定食を注文した。メニューで最初に目に入ったからだった。大学生らしき活き活きとした店員は、オーダーを取ると忙しなく他の客の元へと移っていった。彼の笑顔が本当の笑顔でないことは明らかであったが、笑顔の店員を悪く思う客もそうそういるのものではなかった。 続いて、笑顔の彼が運んできた生姜焼きの実物は、メニューに掲載されていた写真のそれよりも貧相なものでしかなかった。飲食店では常識的な手法であるが、注文通り生姜焼きが出てきた以上、一般的に文句を言う人はいないのであろう。例に漏れず、私もその生姜焼きに文句を言う類の人物ではなかった。しかし、味に関しては疑問を持ちざるを得なかった。家庭の味が看板文句の店だったが、少ししょっぱい点を覗けば生姜焼きは美味であった。そして、おそらくどんな家庭の生姜焼きよりも美味しいことが瞬時に理解できたのだ。ただ二律背反的に、残念ながら家庭の味を何一つ再現できていなかったし、それは当然のことのように思えた。  それでも、全体的に言えば満足のいく食事であったことは認めなければならない。定食には野菜も付け合わせてあり、栄養学的な観点からも780円の出費は納得いくものであった。会計をすませ店を出ると、冷たく重い風が鋭い気流を作りながら通り過ぎていった。私の人生の中で図らずとも研ぎ澄まされた野生の勘が、再び雨が降る前兆であることを予見した。傘を持ち合わせていなかった私はまさしく風に背中を押されるように帰路についたが、5分もしない内に雫が雲から零れ落ち始めてきたのだった。  仕方なく私は道を折れ曲がり、近くにある公園で雨宿りをすることにした。人間とは2つのことを同時に考えることができないものである。公園の門を跨ぐまでの私は公園に向かうことに気をとられていた、主従関係が従属の意思によって伴われたのである。そして、目的地に到着して初めて、わずかに降雨強度を増した細かい雨が体に落ちている事実を認識可能になったのだ。そして、引き続き恵みは肌にポツポツと舞い降りた。触れた瞬間に皮膚が萎縮し、ヒンヤリとした感触が体を巡る。体に沿ってつたう雨粒の神秘性、その魅惑的な禁断の果実は、私を深い郷愁にかりだした。雨に濡れるのがいつぶりなのかすら覚えていなかった。  何歩か足を踏み出せば、クスノキの元で雨に触れずに済むのだとわかりながら、私は恍惚としてその場にしばらく立ちとどまることしかできなかった。白シャツ上では雨跡が生物のようにうごめき、結合を繰り返しながら全体を乗っ取ってゆく。顔に落ちたそれはついには合流して大きな生命の流れをつくり、一部は儚さを体現しようと涙のように頬をつたった。  次に私を現実に戻したのも、一滴の流れる雨であり、額から目に差し込んでは微妙な違和感と痛みを呼び起こした。とは言え認めなくてはならなかった、この時感じた全てが心地よかったのであると。時間経過で言えばさほどのことはなかったはずであったが、ホテルを出たばかりの時とは一転して、どこかしらかが秋晴れのごとく清々としていた。それは、瞳を外から濡らした原因が居場所を失い、目尻から顎へと溢れる過程において私の感情ごと奪い去ったからであろう。とにもかくにも、朝から感じていた漠然的な憔悴は公園の地に流れ、地母神の肥料となるであろう。  雨脚は強くなり降り続いていた。正気を取り戻し、寒気を感じた私は満を持してクスノキのたもとへと移動した。  シャツはその大部分が湿っていた。肌にまとわりつく布地から体温が奪われると、次第に体がだるく重く感じ始めた。そして、正直すぎるほどの生態的な反応として、体が小刻みに震えだしたのである。この時、隠すまでもなく私は自分の身体における自己性を失いつつあり、他人の人格が憑依している感覚を明瞭に得たのだった。意識ははっきりとしていたが、思考はうまくいかなかった。目の前の光景はどんなカメラよりも現実的なままに私の水晶体に写りこんだが、細部を認識するには至らなかった。  おそらくこのまま雨宿りを続けても事態が好転することを望むことは困難であった。しかし意外にも、浮遊していたはずの意思は離脱した身体をおもんぱかり、最も冷静な判断を下したのである。そして操り人形のよう、私は雨の中再び帰路に着くところであった、公園を歩く二十代の女性と幼い少年に出くわしたのは。  少年は青いゴム製の長靴を履き、ピチャピチャと音を立てながら大股で歩いていた。時々、水たまりにめがけてさえ足を強く踏み込むので、滴が跳ねて、横にいる女性のワンピースにかかっていた。それでも女性は叱ることなく、少年の無邪気さを誇らげに笑顔のまま、気が向けば手を貸して、少年が跳んで踏み込む手助けすらしていた。二人とも傘を指しているのに足元が濡れていて、逆立ちしながら歩いてきたと言われた方が納得行くように思えた。私は余りにも楽しそうな二人を不思議がり、気づけば目を凝らすように眺めていた。  視線を感じたのであろうか、女性の方が私に気付くと少年の耳元に何かを囁き、私のもとへと向かってきた。女性は愛嬌のある顔をしていたし、少年にも恋多き人生が待っているだろうと、近づく二人を眺めて私は考えた。 「傘をお持ちではないのですか?」女性はある程度の距離になると話を切り出した。優しい、透き通った声をしていたが、芯の強そうな瞳をしていた。 「ええ、あいにく忘れてしまいまして」残念そうな後悔の念を持っているような声で返事をしようとしたが、喉から出てきたのは抑揚のない人間の声であった。それでも女性は手に持った傘を目の前に突き出してから、同じような優しい声で話しかけてきた。 「当分止むことはないでしょうし、ぜひこの傘をお使いください。このまま外にいても風邪を引いてしまいますよ」 「お気遣いありがとうございます、でも傘はご自分でお使いください、大丈夫なので」私にはその傘を譲り受ける権利すらないように思えた。しかし、彼女は一歩も引かず、私の手を強引につかむと傘の柄を掴ませた。 「いいえ、この傘は受け取っていただかなくてはいけません。決して高い傘ではありません、どこにでも売っている安い傘です。重く考えず、家についたら捨てていただいても構いません」そして、傘を完全に私に持たせると背中を向け、少年に向かって言うのであった。 「これから家までは相合傘させてね」少年が嬉しそうに頷くと、女性は傘を取り、二人で身を寄せ合いながら一つの傘の下、歩調を合わせて歩き出したのである。時間というものは人によって様々な時の刻み方をするものなのだ。私には一瞬の出来事のように感じられ、唖然として動くことが出来なかった。 それでも、驚いたことに私の口が勝手に喋りだした。 「ありがとうございました。二人は親子なのですか」意識的に発した言葉ではなかったが、この言葉の責任が私にあることは明白であった。私は息が詰まるような面持ちで二人を見つめた。 「はいそうです。お幸せになられてくださいね」母親は立ち止まって振り返ると、無邪気な笑顔を向けながら私の問いに答えてくれたのであった。それは私の心を溶かすような甘い甘い笑顔であった。不思議なことに息子も嬉しそうにしていた。体の強ばりがほぐれ、肩の力がドッと抜けていくのが感じられた。笑顔を返そうと表情筋に力をいれたが上手く笑うことは出来なかった。体が火照り命の灯火が強く感じられた。  そして、気が付けば親子は公園からいなくなっていた。濡れる公園にただ一人、私は自失して立ちすくんでいた。頭が正常に働かなくなったが、同時にそんな自分を人生で一番理解できた瞬間でもあった。私はその時親子に感謝していた。彼女らのためなら何時間でも祈りを捧げることができたであろう。優しい声が耳で反復され、幸せは伝播して私を包み込んだのである。夢のような出来事であったが、私の手には傘が残っていた。  これから足を踏み出せば現実に引き戻されるということを、誰よりも私が理解しているのだと思う。歩き出したいという衝動が私を襲い、抗えない大波のよう、身体もろとも私を不幸のどん底へと流し去るのである。幸せは余りにも重すぎた。私の人生、この歳で経験するには余りにも重く、耐え難い苦痛なのである。このまま風邪を引いてしまえば少しは楽になるのだろう。私の最後の希望はそこにだけ見出だせた。  結局人生には抗えないのだった。私は傘から手を離し、雨風に紛れた私の精神を探す旅に出た。
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