第一章

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3  学校に着き、体育館の前を通ると中から運動部の声が聞こえてくる。 結構な広さがある体育館は共有スペースだ。 土日にも関わらず、何組かの運動部が所狭しとスペースを譲り合って使っている。 でも今俺達が向かってるのは、体育館ではなく、その先にある道場だ。 俺達が通う公立白神高校には、体育館の他に道場がある。 新校舎を建てる際に体育館も合わせて新しい物が建てられ、元々あった体育館が道場として使われるようになったのだ。 とは言えここも共有スペースである事には変わりなく、その日も当然先客がいた。 「交渉してくるからちょっと待っとれ。」 そう言って牧乃先輩は中に入っていく。 「あ~食べたかったな~…。 ミルフィーユ…。 モンブラン…。 ガトーショコラ…。」 未だぼやく木葉は、道中買ってやったシュークリームをハムハムしている。 「わがまま言うな、いらんのなら返せ。」 「え~もう無いよ~。」 本当こいつ手品みたいに食べ物を一瞬で消すよなぁ…。 まぁ…あの大量のセットが一瞬で消えたぐらいだからシュークリームなんか秒だろう…。 高笑いしながら、食べ物がゴミのようだとか叫び出す勢い。 などと思っている間に、今度は棒付きの飴を舐め始めている。 ちなみに、これはさっき行ったゲーセンで百円入れるとランダムで一個から五個出てくる機械で当てた戦利品だ。 入り口近くにあったから試しにやってみようと木葉が百円を入れると、狙ったように五個出てきた。 その時のドヤ顔と来たら…。 「はいはいスゴーイスゴーイ(棒読み)」 と返しておきました。 と、ここで牧乃先輩が戻ってくる。 「一時的に場所を空けてもらった。」 「あ、どうも。」 普段共有し合ってる分、交渉は実にスムーズに終わったらしい。 勿論牧乃先輩の人望故でもあるのだろうが。 道場に入ると、先に使っていた部員達が後片付けをしてくれていた。 「あ、俺も手伝います。」 「あぁ、助かるよ。」 場所を空けてもらう訳だから、せめてもの礼儀だ。 「うむ、良い心がけじゃのぉ。」 片付けを手早く済ませると、今度は試合の為の準備に取りかかる。 胴着に着替え、防具は牧乃先輩に付けてもらった。 「二人とも準備出来たみたいだね~。」 そう言う木葉はホイッスルを首からかけて吹くタイミングを今か今かと待っていた。 いや剣道にホイッスルっておかしいだろ…。 「さて、始めるとするかの。」 「あ、はい。」 そう言って互いに構える。 「先に聞いておく。 お主は何故戦う?」 突然の質問に、一瞬言葉を失う。 「正義の為、ですかね…。」 「そうか。」 俺が戦う理由、それは勿論日向誠を止める為だ。 その為には今よりもっと強くならなければならない。 だからこうして今戦おうとしてる。 それが今俺の信じている正義だから。 勿論、その辺りの細かい事情は話せないからもっとも適当な言葉で返したつもりだ。 「それじゃ、位置について!よーい!」 かけ声の後、高らかにホイッスルが鳴り響く。 結論から言うと、勝負はあまりにもあっけなく終わった。 いや、マラソンかよ!とツッコミを入れる暇なんてある筈も無い程に。 笛が鳴った瞬間には、もう勝負は付いていたのだから。 あまりの事に一瞬何が起きたかも分からず棒立ちになる。 審査員(?)の木葉も、何が起きたか分かっておらず、試合終了の判断が遅れた。 「勝負ありじゃな。」 牧乃先輩のその言葉で、ようやく時間が動き始め、現状を理解する。 そう、俺は負けたのだ。 試合開始直後、突然首筋に突きつけられた竹刀によって。 そこから悟らざるを得なかった。 この人には敵わない、勝てないと。 「参り…ました。」 そう言う声は震えていたと思う。 事態をまだ脳が処理しきれていないが故に、半信半疑のような感覚から出た言葉だからだ。 出来事自体は一瞬だと言うのに、それを認識する為に必要な時間はあまりに長い。 「正義の為、と言ったな?」 不意に、牧乃先輩が口を開く。 「え?」 「海真、戦いとは本来非情な物じゃ。 試合が終わればノーサイド。 遺恨は無し、昨日の敵は今日の友。 握手を交わし合い、互いの健闘をたたえ合う。 そんな物は所詮憎み合いのない正々堂々のスポーツとしてやるからこそ成り立つ物じゃ。 それだけで全ての戦いが成り立つのなら世の中はどんなに平和な事か。 そもそもそんな平和な世界に本当の戦いなど存在せん。 お主がどんなに情けある戦いを貫こうと、相手も同じように貫いてくれると言う訳じゃない。 戦いは非情であり、それに臨むのなら時に自分も非情にならなければならない時が必ず来るのじゃ。」 「そんなの…!」 それ以上は何も言えなかった。 言い返す言葉を考える余裕も無い。 あった所でそれをぶつけるだけの強さも無い。 「…少し喋り過ぎたかのぉ…。 ワシはこれで失礼する。」 「あ…。」 だから引き留める事さえ出来ない。 「くそ…くそ…!」 牧乃先輩が去って辺りが静まり返ると、頭がやっと状況を理解し始める。 既にやり場の無くなった悔しさが容赦なく押し寄せてくる。 力の差が歴然だなんて試合をする前から分かっていた事じゃないか。 でも…それにしたってまさか指一本触れる事すら出来ないなんて。 思う所はそれだけじゃない。 牧乃先輩は言ったんだ。 戦いは非情であると。 それだって本当は最初から分かっていた事だ。 悪として存在する奴らに情けなんて無い。 でも、正義の為に戦うって決めたのに非情になんかなれる訳無いじゃないか。 そう思っていても結局何も言えなかった。 自分の正義をぶつける事が出来なかった。 「くそっ!!」 その為に何も出来なかった。 試練を乗り越え、力を手に入れておきながら、それだけの強さが自分には無かったのだと、容赦無く現実を突きつけられる。 なんてザマだ。 こんなザマをもし茜が見ていたら、ため息なんか吐きながら鼻で笑うだろう。 だから言ったじゃない、と。 そんな顔が鮮明に浮かび、余計に苛立ちが増す。 「くそっ…!」 叫びながら何度も振り下ろす竹刀が、その都度虚空を撫でる。 ぶつけるべき相手には届かない。 手を伸ばして届く距離でも無い。 むしろどんどん離れていく。 そもそも同じ土俵の上ですらないのかも知れない。 「キリキリ…。」 流石の木葉も、この時ばかりはそれ以上何も言わなかった。 しばらくそうしていると、不意に外から騒ぎ声が聞こえてくる。 「…何だ?」 「外で何かあったのかな?」 「出てみよう。」 二人して道場を出ると、 「あ、君達!」 そう声をかけてきたのは、さっき片付けの時に話した人だ。 「何かあったんですか?」 「早く逃げた方が良い!」 余裕の無い焦った声から状況の深刻さを察する。 「うわ、来た! 君達も早く逃げなよ!」 そう言って一目散に逃げていくその人。 言われて振り返ると、巨大な蛙がゆっくりとこちらに迫っていた。 「なんだこれぇ!?」 どこぞのミステリーバラエティーのような木葉の叫びが校舎中に響き渡る。 一方その頃。 茜は一人、死神神社の中にある居間で静かに粗茶を飲んでいた。 ここの所続いている雨のせいか、死神神社に訪れる人は滅多に居ない。 こちらとしては、たまには何も無くこうしてゆっくり落ち着いて粗茶を飲める日が欲しい所なのだが、こればかりはそう思っていたところでどうにもならない。 まぁここに来る人達からすれば、そんな思いなんて知った事かで済まされるような話しなのだろうけれど。 〈残念だけど今日もゆっくりは出来そうにないよ。〉 突然脳内に直接声が聞こえてくる。 それは私の知人である雨からのテレパシー。 訳あって口で喋る事が出来ない彼女は、こうしてテレパシーを送るか、もしくは筆談を使うかでしか話せないのだ。 「ふぅ…面倒だけど理由を聞かせてもらえるかしら…?」 彼女の予言は必ず当たる。 いや、正確には予言じゃない。 彼女には過去も未来も見通す力がある。 だからこそ彼女にそう言われてしまっては、 悠長に粗茶など飲んではいられないのだ。 〈海真桐人がいる高校に化け物が現れたみたいだよ?〉 「そう…それは物騒ね。 それで?だからどうしたと言うの?」 そんな理由からよほどの事態を想像したが、実際はそれ程の事でもなかった。 〈助けに行かなくて良いの?〉 「はぁ…何故私がそんな事をしなければならないのかしら…?」 〈協力するって言ってたでしょ?〉 「えぇ、確かに言ったわね…。 でもそれは私の身やこの場所にも被害が及ぶ事を前提とした話。 それ以外で起きる事なんて関係無い。 だから言っている事に嘘偽りは無い筈よ?」 〈まぁ、屁理屈ではあるけど確かに嘘ではないね。 でも忘れたの?あなたの運命がどうなるかは、全て彼にかかっているんだって事。〉 「ふぅ…そんな事改めて言われなくても分かっているわ…。」 〈それならやっぱり助けに行った方が良いんじゃない?〉 雨の言葉を受け、窓を開けて階段の方に目を向ける。 これまで、この神社で産まれてから一度も降りた事の無い階段。 その先には、当然の事ながら自分の知らない世界が広がっている。 〈怖いの?〉 言われてハッとする。 私は怖いと思っているのだろうか? 自分の知らない世界を知る事が。 これまで私は、それを知る必要なんて無いと思って生きてきた。 知らなくても何不自由無く生きて来れたのだから。 もし知ったらどうなるのか、なんて考えた事も無かった。 いや、そもそも考える必要性を感じていなかった。 自分自身の事を死神神社の巫女としてしか見ていなかったし、そう在り続けようしてきたつもりだからだ。 そしてそれが当然だとさえ思っていた。 その為に沢山の犠牲を生んでしまった事でさ え、仕方無い事なんだと無理矢理にでも思おうとしてきた。 でも、現実はそれだけでは終わらせてなどくれなかった。 神社の巫女には手を出すな。 日向誠のその一言で思い知らされたのだ。 現実逃避はいつまでも続かない。 どんなに目を背けても、私の知らない私が常に自分の中に居るのだ。 多分私はそれを知るのが怖いのだろう。 自分を殺めた自分が、あれだけ沢山の人間を死に追いやっておいて、結局自分も死ぬのが怖いのだ。 所詮私も弱い人間の一人だと言う事か。 知らない事は罪だと誰かが言った。 でもならどうしろと言うのだろう? 今更知った所でどうにもならない。 私の中のもう一人の私は既に死んでいるのだから。 だからどうせ知った所で何も変わらない。 今生きているのは他でもない今の私なのだから、死んだ自分なんて関係無い。 だから怖くなどない。 「愚問ね…。 今更何を恐れる必要があると言うのかしら?」 〈そう、それなら良いけど。 なら急いだ方が良いと思うよ?〉 「分かっているわ…。」 一つため息を吐き、渋々重い腰を上げる。 雨は未だ止まず、降り続いている。 それを見てまたため息。 懐から札を取り出し、結界を張る。 これで雨に濡れる心配は無い。 ゆっくりと歩き出し、階段の前まで来てから一度足を止める。 産まれてからずっとここで生きてきと言うたのに、こうしてこんなに間近で階段を眺めるのでさえ初めての事だ。 下の様子が全く分からない、薄暗く長い階段を見下ろす。 彼は…海真桐人は、どんな思いでこの階段を上ったのだろうか? いや…そんな事、心を読まなくても分かりきった事だ。 仲間の為、大切な人を守る為だろう。 私は違う。 これからこの階段を下りるのは、他でもない 自分の為だ。 彼を助けに行くのだって本来は不本意な事だが、でも雨にあぁ言われている以上、何もしない訳にはいかないから。 そんな理由が無ければ今もゆっくり粗茶を飲めていたと言うのに…。 ため息も出る、ぼやきたくもなる。 渋々私は歩く足を早めた。
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