黒猫男とハスキー犬女子

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黒猫男とハスキー犬女子

街に夜の帳が降りる。 しかし、天を覆い尽くすようなビル群に囲まれ、星空よりもなお明るい魔法光(まほうこう)のネオン輝くこの街では夜を実感することは難しい。空を見上げても何も見えないから。だが、それでも人は街へと集う。その数は昼間よりも多く、また活動は活発になっているように思えた。 砂糖に群がるアリのような人の群れの中にその2人はいた。 1人は男。二十代の半ば過ぎほどで癖の強い黒髪とセルロイドの黒縁メガネ、そして色あせたジーンズと黒のTシャツの上から羽織った白衣が特徴的な青年だ。 その左斜め後ろを忠犬のようにして女が付き従う。年齢は20になるかならないかといったところだろう。その整った顔立ちには幼さが残り浅黒い肌は輝くように艶やかだ。しかし、その女が目をひくのはその顔立ちでも関係性のわからぬ2人の年齢差でもない。その体つきだ。大きい、いや、いっそ巨大と言ってもいいほどに背が高い。女の斜め前をいく男より頭一つ分ほど高いのだ。おそらく彼女の身長は190を超えているだろう。だけでない。女は鍛えているものしか持ち得ないバランスの良いしなやかな体つきをしていた。 だが、それも彼女の額から生える小さなツノを見れば納得いく。 オーガ族。大きな体と強靭な身体能力を持つ一族。 それが彼女の正体だった。もっともそうとわかっても彼女が美しく人目をひくことには変わりなかったが。その証拠にそのオーガ族の娘に見惚れたエルフ族の青年が看板にぶつかりアスファルトの上にぶちまけたスターバックスのコーヒーでシミを作っていた。 「ねぇ、ご主人。目的地はまだっすか?」 そうとは知らぬオーガ族の娘は前方を歩く青年に向かいそう問いかける。『ご主人』と呼ばれた青年は顔をしかめながら娘を見上げ口を開く。 「……その『ご主人』と言うのは止めろって言ってるだろう、蓮木(はすき)?ぼくのことは黎臥(くろね)と呼べ」 黎臥と名乗った青年の言葉に蓮木と呼ばれた娘は口を尖らせる。 「えー、でもご主人はご主人じゃないっすか?自分はご主人に助けてもらった恩に報いるため一生ご主人をご主人と慕い付き従っていく所存っすよ!」 蓮木の言葉に黎臥は何かを言いかけるがすぐに無駄と悟ったのだろう。小さく息と共に諦めを吐き出すと前方の建物を指差す。 「それよりそこが目的地だ。あの赤い飲み屋の看板が突き出した雑居ビルの三階。そこが奴らの事務所だ」 黎臥の言葉を聞くと蓮木は肉食獣めいた笑みを浮かべポキポキと指を鳴らした。 「うっす。さーて、お掃除始めましょうか?」 雑居ビルの三階にある事務所。そこには悪趣味な色のワイシャツや派手で安っぽいジャージなど毒虫を連想させるような配色の衣装に身を包んだ男が5人詰めていた。 男たちは部屋に置かれた椅子の上で携帯を眺めたりギャンブル雑誌のページを繰ったり思い思いの方法で時間を潰していた。すると、バンと乱暴に事務所の扉が開かれた。 驚いて男たちが振り向くとそこには2人の男女、黎臥と蓮木の姿があった。 男たちの1人、ジャージ姿の下っ端と思しき人族の男が肩を怒らせ威嚇するように2人へ近づく。だが、その行動はあまりに無謀で危険であった。「なんだテメエら…」といいかけた男の顔にニュッと蓮木の腕が伸びる。次の瞬間ギリギリと万力のような力で蓮木は男の顔を掴むとそのままヒョイと空へと放り投げる。投げられた男はそのまま為す術もなく事務所の机に激突し「ぎゃっ!」と悲鳴をあげ昏倒した。その様子に男たちは色めきだち黎臥はやれやれとばかりに肩をすくめ口を開いた。 「どうも、遅れて申し訳ありません、わたくし『便利屋黎臥』と申します。ご依頼でお掃除に参りました」 妙に慇懃な黎臥の言葉に男たちは額に青筋を浮かべ「はぁ?」と首をかしげる。するとその中の1人、蓮木と同じオーガ族の男が「ふざけんな!ンなもの頼んでねぇぞ!」と叫んだ。 「おや、そうですか?でも、ぼくたち街の人たちから依頼を受けたんですよ?……ガキに無理やりクスリを売りつけるクズどもを掃除してくれってな!」 そう言った黎臥の左手にはまるでマジックのようにいつのまにか携帯が握られていた。そして慣れた手つきで携帯の画面を右手でタップしていく。すると携帯画面の上にホログラフのように魔法陣が浮かび上がる。 「雷よ、すべてを薙ぎ払え。サンダー!」 その声と同時に携帯から電撃が放たれ2人の男を直撃した。それはかなり威力を弱めた、手加減を施した魔法ではあったが、それでもスタンガン程度の威力はある。電撃を受けた男たちは「ぎゃっ!」と悲鳴をあげると倒れ床の上で痙攣する。 「さ、残りもお掃除♪」 どこか嬉しそうに蓮木はそう呟くと疾風のような速さで屋内へ駆け込むと一瞬の出来事に呆然としていた巨軀のオーガ族の男に近づきその顎に強烈なアッパーを打ち込んだ。 オーガ族の男は白目を剥くとズンと巨木が倒れるような音を立てその場で倒れる。すると、それまで事務所の奥で事態を静観していた人相の悪いエルフ族の男が立ち上がると。 「あんまり調子に乗ってんじゃねぇぞ、ダボが!」 と部屋がビリビリと震えるような大音量で叫ぶとすぐに口の中で小さく呪文をつぶやき始める。するとエルフの右手に赤いオーラが纏わり始めた。それを見た黎臥はエルフが業火の攻撃魔法を放とうとしていることに気がついた。 「へぇ、チンピラのくせにずいぶん高等な魔法を知ってるじゃないか?」 人の体など一瞬で消し炭にしてしまうほどの威力をはらんだ魔法を、しかし黎臥は余裕の表情で眺め、再び携帯を操作する。それと同時にエルフの男の手から人間の背丈ほどもある巨大な火球が放たれた。 それでもまだ黎臥の表情から余裕は消えない。落ち着いて携帯を操作する。再び携帯の上に魔法陣が現れた、まさにその時だ。 「ご主人に何をするダァ!!」 火球に向かい猛然とした勢いで蓮木が馳ける。 「や、やめろ!」 するとそれまで落ち着き払っていた黎臥の顔に始めて焦りの色が浮かぶ。 「だぁあああ!」 しかし、静止する間もなく蓮木はこぶしで直接火球を殴りつける。 「「なっ!!!?」」 黎臥とエルフの男の声が重なる。信じられないことに、ありえないことに、蓮木のこぶしが火球の動きを止めたのだ。 しかも、ギリギリと僅かにではあるが蓮木のこぶしが火球を押し戻し始める。全身の筋肉を膨張させ額から汗をダラダラと流しながらも蓮木はさらに力を込める。 「こ、根性っ!!!!!」 そう蓮木が叫んだ瞬間叩きつけるに振り下ろされたこぶしが上級魔法で作り上げられた火球を粉砕した。 「う、嘘だろう……?」 その様子にさすがの黎臥もあんぐりと口を開け呆然と呟いた。 「ま、魔法なんて所詮己の体内にある魔力を気合いと根性で絞り出したもの!だったら魔法が使えなくてもこっちがそれ以上の気合いと根性でぶつかれば相殺できるのは道理!……そうっすよね、ご主人?」 ニパッと笑いながらとんでもない屁理屈をこねる蓮木に床へ飛び散った残り火でタバコに火をつけながら黎臥は一口煙を吸い込むと「ぜんっぜん違う」と煙と一緒に返事を吐き出した。 「そ、そんなー」 己の理屈を完全否定された蓮木は涙目になっていたが黎臥はそれを無視してエルフの男に近づきピタピタと右手でその頰を叩く。 「どうだ、これでもまだぼくたちとやり合うかい?」 「……お前らどこの組みのまわしもんだ?」 「なんだ、最初にぼくが言ったこと聞いてなかったのか?ぼくたちは『街の人たち』に頼まれてきたんだ……これ以上無理やりクスリを買わされて廃人にされる子供がでないように掃除をしてきてくれってね」 「いくらだ?」 「は?」 「いくらで雇われた?俺ならその倍、いや、3倍払う!いくらか知らねぇがその程度の額ガキどもにクスリを売れば……」 エルフの男がいい終わらぬうちに黎臥のこぶしが頬に打ち込まれた。男はもんどりうって倒れ鼻や口からダラダラと血を流しそれを見ていた蓮木が小さく口笛吹いた。 「お前はバカなのか?何度も言わせるなよ。ぼくたちは『掃除』に来たんだ。ゴミを捨てる以外ありえないんだよ!この街から出て行け、そしてよその街へ行っても二度とこんな真似するな。でないと……わかるだろう?」 黎臥の声に男はコクコクと何度も頷いた。それを見た黎臥は「絶対だからな」と念を押すと「行くぞ、蓮木」と声をかけ事務所から出て行った。 雑居ビルから出た2人が街を歩く。 街からゴミのような連中を追い出したというのにその猥雑さにはなんの変化も見られなかった。黎臥はジーンズのヒップポケットからタバコを取り出そうと手を伸ばすが結局取り出さず手を元の位置へと戻した。 「まぁ、路上喫煙ができなくなっただけでも少しはこの街も綺麗になったのかもね。もっともそれにぼくはなんの関係もしてないけど」 法や街のあり方にまで口を出せるほど大物じゃないしね、という言葉を飲み込んだ黎臥は振り向くことなく唯一起きたこの街の変化、先程からずっと黙りこくる蓮木へ言葉をかける。 「大丈夫か、蓮木?」 「へ!?いや、ぜっんぜん大丈夫っすよ?な、なに言ってるんっすか、ご主人!!?」 「いいから、手を見せろ!」 普段は煩わしいほどよく喋る娘だがこうも静かだとそれはそれで落ち着かない気分になる。全く厄介なやつだ、と黎臥は嘆息しながら無理やり蓮木の右手を握りその状態を確認する。 「ひどい火傷だ」 それを見た黎臥は顔をしかめ睨むように蓮木へ視線を向ける。すると蓮木は悪戯を見つかった子供のように開いた左手で頭をぽりぽりと掻くと口を開く。 「い、いやー、この程度なんともないっすよ。ツバつけとけばすぐ治るっす」 と言って火傷を舐めようとするものだから黎臥は彼女を頭を軽く小突く。 「バカ、そんなので治るか!まったく……」と言ってから黎臥はニヤリと笑うので蓮木の頭に大きな?マークが浮かぶ。 「こんなこともあろうかと怪我治療のマジックアプリを開発しておいた……試してみるか?」 「え!?マジっすか!!?たしか治癒魔法で超高等魔法でまだアプリじゃ再現できないって聞いたことあるっすよ?」 「そりゃ、凡百の開発者の話だろう?ぼくならこれくらいわけない……まぁ、とはいえ自分以外の人に試すのはこれが初めてだけどな。さて、どうする?」 「もちろんお願いするっす!ご主人が作ったものなら間違いないってわかってますから」 嬉しそうにコクコクと頷く蓮木に顔もむけず携帯を操作し始めた黎臥はポツリと独り言のように呟く「それにしてもあまり無茶をするな……気になるだろう?」 「で、でも……」 「お前はそれくらいのことでぼくがパートナーを見捨てるようなやつだと思っているのか?」 どこか寂しそうな黎臥の言葉に蓮木はハッとしたような表情を浮かべると「ごめんなさいっす」と言ってショボンと肩を落とした。 「謝らなくていい、ただ次からは気をつければいいだけのことだからな……よし、終わったぞ。どうだ調子は?」 治療が終わった右手を蓮木は何度も握ったり開いたりして調子を確かめるとニパっと笑い「大丈夫っす!すごいっすよ、ご主人」と言った。 「そうか、なら成功だな」 「さっすがご主人。よ、天才魔法科学者!」 などと歯が浮くようなことを蓮木が言うものだからさすがの黎臥も苦笑いを浮かべると「うるさい、黙れ……それより腹減らないか?」 どこか誤魔化すような黎臥の様子にしかし蓮木は気がつかぬふりをして「ペコペコっす!」元気よく答える。 「よし、ならラーメンでも食って帰るか」 「やった!ね、ね、ご主人、あたしチャーシュー大盛りが食べたいっす!」 「別にいいけど……三杯までだからな?」 「そんな!?せ、せめて七杯!ラッキー7の七杯までご慈悲を!!」 「……四杯」 「ろ、六杯で我慢するっす!」 拝むように両手を合わせ必死な蓮木の様子に黎臥はため息を吐くと「わかった、五杯だ。ここが譲歩できる限界だ」と言った。 「ぃやった!!」 その言葉に蓮木は嬉しそうに黎臥の周りをピョンピョンと跳ねる。もし、彼女に尾がはえていたら千切れそうなほどブンブンと振っていたことだろう。 「そうだ!帰ったらデザートにプロテインのチョコ味牛乳割りを飲むっすよ〜♪」 などとご機嫌な彼女に黎臥は「筋肉を増やすのにタンパク質が重要なのはわかるがさすがにカロリーオーバーじゃないか?」 と釘をさすがその声はご機嫌な蓮木の耳に届くことはなかった。 「まったく……仕方のないやつだ」 黎臥の頬にうっすらと笑みが浮かぶ。「にしてもぼくも甘くなったものだ」と呟いた声はやはり誰の耳に届くことなく街のざわめきに消えていったのであった。
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