110人が本棚に入れています
本棚に追加
/56ページ
「あれ? もしかして牛丸……くん」
牛丸が立ち止まり振り返った。
「え……?」
格闘技をやっているとはいえ、まだまだ高校生らしいおどけた表情をしている。そうだけど? といったまま動きがとまっている。
「ボクシングジムの帰りなんだ?」
「ええ、まあ……えっと誰だっけ?」
「私だよ、わーたーし」
「ごめん、思い出せない。中学ん時の同じクラスだった女子だっけ?」
「ちーがーうー。私だよ、私。同じクラスの――富永聖子よ」
牛丸は固まった。静止画のようにぴくりともしない。
「ねえ、牛丸くん?」
牛丸は我に返ったかのように目線を現実に戻した。
「ほんとに……富永なのかよ」
「え、そうだけど。何で?」
「だって、えと、その、あの、うんと……」
私は心の中で大爆笑した。人は咄嗟のコメントに窮すると、母国語の残り粕をだすようだ。
「何か雰囲気変わったよな」
明らかに頬がピンクに染まっていた。
「美容院変えただけよ」
私は上目遣いに牛丸を見つめた。
牛丸はすぐに目をそらして口をしぼめた。この男は照れている。私はそう直感した。
「ねえ、この後予定はあるの? 途中まで一緒に帰ろうよ」
「おっ、おお。まあいいけど」
牛丸は人差し指で鼻の下をさすった。
日が落ちた街を二人でゆっくり歩いた。街灯がやわらかい灯りを描いている。たあいのない話を続けていたが、牛丸はいつもとまるで違う雰囲気だった。妙に堅苦しく、妙にそわそわしている。普段は金剛力士像のごとく勇ましい雰囲気を放っている男なのに。
「ボクシングっていつからはじめたの?」
「中学一年の時かな」
「そーなんだー。じゃあもう五年くらいか」
「まあな」
「すごーい! ひとつのことを長く続けられる人ってカッコいい」
私は小さく手をたたいた。
「いやいや、そんな大したことねーよ」
牛丸はまんざらでもない反応だった。
――とにかく男は褒められることに飢えている。そこを満たしてあげなさい――
「あれ? その靴」私は牛丸の足元に目線を落とす。「まっ赤なナイキのシューズ……もしかして靴ひもも赤にカスタマイズしてあるの?」
「そうだよ、よく気づいたな」
「赤に赤をぶつけるハイセンス。自分なりのこだわりを持ってる人なんだね、牛丸くんって。モテるだろうな」
私は小首をちょこんとかしげた。
――褒める時のポイントはね。その人がこだわっているだろう箇所を褒めるのよ。相手はよく気づいてくれた、と嬉しくなるから――
気持ちよくなった牛丸は、自分のこだわりを饒舌に打ち明けはじめた。手振り身ぶりを加え拍車がかかっている。
――会話は相手に8割しゃべらせたら勝ちよ。人は話したい生き物なの。相手が話しだしたら、後はほとんど相づちをすれば良い――
ナンバーワンキャバ嬢のテクニックをフルに使い、私は牛丸とのおしゃべりを続けた。
もうそろそろかな、と思った。そろそろアレが見えてくるだろう。
最初のコメントを投稿しよう!