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「あれ? もしかして牛丸……くん」  牛丸が立ち止まり振り返った。 「え……?」  格闘技をやっているとはいえ、まだまだ高校生らしいおどけた表情をしている。そうだけど? といったまま動きがとまっている。 「ボクシングジムの帰りなんだ?」 「ええ、まあ……えっと誰だっけ?」 「私だよ、わーたーし」 「ごめん、思い出せない。中学ん時の同じクラスだった女子だっけ?」 「ちーがーうー。私だよ、私。同じクラスの――富永聖子よ」  牛丸は固まった。静止画のようにぴくりともしない。 「ねえ、牛丸くん?」  牛丸は我に返ったかのように目線を現実に戻した。 「ほんとに……富永なのかよ」 「え、そうだけど。何で?」 「だって、えと、その、あの、うんと……」  私は心の中で大爆笑した。人は咄嗟のコメントに窮すると、母国語の残り粕をだすようだ。 「何か雰囲気変わったよな」  明らかに頬がピンクに染まっていた。 「美容院変えただけよ」  私は上目遣いに牛丸を見つめた。  牛丸はすぐに目をそらして口をしぼめた。この男は照れている。私はそう直感した。 「ねえ、この後予定はあるの? 途中まで一緒に帰ろうよ」 「おっ、おお。まあいいけど」  牛丸は人差し指で鼻の下をさすった。  日が落ちた街を二人でゆっくり歩いた。街灯がやわらかい灯りを描いている。たあいのない話を続けていたが、牛丸はいつもとまるで違う雰囲気だった。妙に堅苦しく、妙にそわそわしている。普段は金剛力士像のごとく勇ましい雰囲気を放っている男なのに。 「ボクシングっていつからはじめたの?」 「中学一年の時かな」 「そーなんだー。じゃあもう五年くらいか」 「まあな」 「すごーい! ひとつのことを長く続けられる人ってカッコいい」  私は小さく手をたたいた。 「いやいや、そんな大したことねーよ」  牛丸はまんざらでもない反応だった。  ――とにかく男は褒められることに飢えている。そこを満たしてあげなさい―― 「あれ? その靴」私は牛丸の足元に目線を落とす。「まっ赤なナイキのシューズ……もしかして靴ひもも赤にカスタマイズしてあるの?」 「そうだよ、よく気づいたな」 「赤に赤をぶつけるハイセンス。自分なりのこだわりを持ってる人なんだね、牛丸くんって。モテるだろうな」  私は小首をちょこんとかしげた。 ――褒める時のポイントはね。その人がこだわっているだろう箇所を褒めるのよ。相手はよく気づいてくれた、と嬉しくなるから――  気持ちよくなった牛丸は、自分のこだわりを饒舌(じょうぜつ)に打ち明けはじめた。手振り身ぶりを加え拍車がかかっている。 ――会話は相手に8割しゃべらせたら勝ちよ。人は話したい生き物なの。相手が話しだしたら、後はほとんど相づちをすれば良い――  ナンバーワンキャバ嬢のテクニックをフルに使い、私は牛丸とのおしゃべりを続けた。  もうそろそろかな、と思った。そろそろアレが見えてくるだろう。
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