報道できない不自由

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報道できない不自由

 そればかりではなく、戦時中は地震の情報もほとんど伝えられなかった。  1944年12月、東南海地震(M7.9、死者行方不明者1,223人)、1945年1月、三河地震(M6.8、死者行方不明者3,432人)  といった大きな被害を出す地震があったのだが、報道管制が敷かれていたためにほとんど報道されることは無かった。  さらに、スポーツなどの生中継で天候に触れることも許されなかった。  東京・神宮球場で行われた東京六大学野球、一塁手が太陽の光とボールが重なって落球したのだが、この様子を中継していたアナウンサーが「折からの」と言ったあと「太陽の光が」と続けてしまえば東京地方が晴天であるとわかってしまうため「自然的悪条件のために」と言い換えて放送を続けたと言う、嘘のような本当の話が残っている。  戦時中、国民が知り得る天気は、目の前に広がる空しかなかったと言っても過言では無いだろう。
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