敗戦直前、米軍は日本の天気をほぼ正確につかんでいた

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敗戦直前、米軍は日本の天気をほぼ正確につかんでいた

 1945年7月、日本軍は各地で相次ぐ撤退を余儀なくされていた。日本国内の各都市では空襲が相次ぎ、沖縄諸島には連合国軍が上陸。日を重ねるごとに犠牲者は増える一方であった。  この頃の天気図は、戦局の悪化を裏付けるかのように、観測データに欠落が目立つようになった。その一方で、ほぼ正確に記されたデータも残っている。 ――米軍機の観測データだ。  この頃、日本の南海上には米軍の観測機が頻繁に飛んでいた。この観測データは、なんと平文(暗号解析の必要がないそのままの文面)で送られていたのだ。  戦闘状態にある敵国に傍受されてもかまわない状態で観測機が平文を送るということは「相手に(観測機の)位置が判っても構わない」ことを意味する。  つまり米軍は、制空権は完全にこちら側にあることを誇示していたということだ。当時の観測官たちはどんな思いでそれを天気図に書き込んでいたのだろう……。  1945年7月29日から8月2日にかけて、沖縄本島を台風が直撃している。現地周辺では米軍をはじめとした連合国軍が密集しており、度重なる犠牲を強いられた人々の中には、これが元寇の時のような神風になるのではと期待した者も多く居ただろう。  しかし、気象観測機は台風監視を続けており、連合国軍は万全の備えをしたため、それが神風になることは無かった。  多数の犠牲者を出してまで続けられた天気情報の「軍機密」化は、終戦直前にはほとんど意味のないものになってしまっていた。
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