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13
気付いたとき俺は布団に寝かされていた。
額が冷たい。目を開けている筈なのに視界がぼやけている。
──なにが、どうしたんだっけ。
霞む視界に窓際で煙草を吸ってる人影が見えた。
真っ黒になった海の方を向き窓の桟に座って浴衣の裾をはだけ足を組んでいる。
──あれって早瀬……?でも煙草吸ってるところ見たことないな。すげーサマになってるな。いいなぁ、タメのくせに俺より全然大人っぽい。俺が煙草なんか吸ってたら補導されるよ。……手も、足も、長いなぁ。あれ反則じゃね?ネジとかで留まってて俺と付け替えらんないかなぁ。上半身もすごい綺麗だった……そうだよ。だからたまに見惚れたりだってするよ、だって格好いいんだから。しょーがないじゃん。格好いいんだから。見るに決まってるじゃん。絶対女の子達だって見てるよ、俺だって見てもよくね?見られる運命にあるんだよ、そういう奴は。だって俺なんか……
朦朧とした頭で僻みと妬みをつらつらと募らせていると、
「お前の為に言ってやるけど、それ口に出てるからな。あー、あと煙草は親父のな、車にあった。家ではたまに俺も吸ってるから貰っといた」
口早にそう言ってから身体をこちらに向ける。良く見ると肩をぷるぷるさせて笑いを堪えている。
「ええっ!!?」
──なんか、はじめっから全部聞かれてる!?
ガバッ、と思わず飛び起きる。
そしてすぐ目眩に襲われ布団へ倒れ込む。
「ちょっと、なにやってんだよ」
少し慌てた様子で早瀬がすぐにこちらにやってくる。
「お前のぼせて倒れたんだから、急に動くなよ」
早瀬が離れた気配がして水音がすると少しして戻ってくる。
「タオル絞ってきた。頭出して」
俺はまさか歪んだ羨望丸出しの独り言を聞かれてしまっているとは思わず、羞恥の余り布団に籠城中だった。顔なんか合わせられる訳がない。
「そんな事してたらまたのぼせるだろ。面倒見んの誰だと思ってんだよ、学習しない鳥頭かよ」
とことん小バカにした声が降ってくる。
「そんな言い方ないだろ」
思わず布団を剥ぐと
「お、出てきた」
待ち構えていたように、にんまり笑われ早瀬の狙い通りだった事に気付き、また潜ろうとするが先に押さえ込まれてしまう。
「暴れんな!って言ってんの」
そのままぺちっ、とおでこにタオルを乗せられる。
押さえ込む手は緩められない。
悪あがきで身体を縮こめるが、隠れるほどは潜れない。
煙草の残り香が微かに鼻を掠めた。それほど距離が近い。
上から押さえ込む姿勢の早瀬は浴衣の袷も乱れ、男でも羨むような胸板が生々しく覗いている。
もう今はなにを言われるのもイヤだし怖かった。
でも多分、早瀬は、容赦しない。
「お前さ、俺のこと格好良いと思ってたんだ」
思った通り、からかい口調で俺を責め始める。
「見られてるな、とは良く思ってたけど」
そんな事まで分かってたんだ。
自分では一生懸命悟られないようにしてたのにな、意味なかったんだ。
「それで、風呂でも見とれてて、のぼせたんだ?」
笑いを噛み殺すように言われて耳まで赤くなるのが分かる。それを真上から見られていると思うと視線の先から消えてしまいたい。
「──お前どれだけ可愛いんだよ」
くくくっと俺の上で笑い崩れる早瀬。
支えていた腕を折りそのまま俺の上に上半身と頭を乗せたまま笑い続ける。
「お、重いっ、早瀬」
抗議の声を上げるが早瀬は動かない。
「朝比奈ー。俺の事、好き?」
少し笑いの余韻を残した耳に心地良い声。
でもこんなに甘い声色は聞いたことがない。
鼓動が今までに感じたことが無いくらいに早く打ち始める。
「え、なんだよ。好きだよ、友達だろ」
そんなこと確認して何になるんだよ。それ以外のことが言えるわけがないのに。
「ふーん?」
早瀬は妙に余裕な素振りで上半身を起こす。
「あんまり可愛いとお前のこと滅茶苦茶に苛めたくなっちゃうけど、いいの?」
空恐ろしい響きの言葉をささやかれ身震いする。
「な、なに意味分かんないこと言ってんの……」
「ホントに分かんねーの?」
おもむろに早瀬は布団の片側を剥いでするりと身体を滑り込ませてくる。
「早瀬っ?なんで入ってくるんだよ」
「寒ぃんだよ、湯冷めしたらどうすんだよ」
確かに触れた裸足の爪先がかなり冷たくなっていた。
「ほんとだ」
「……ほんとだ、じゃねえよ。お前もう少しさぁ……」
早瀬は苦々しい顔で俺を見つめる。
「一応言っとくけど俺、今日は自制できるほど余裕ないからな」
早瀬の声が低く響く──俺はその言葉の持つ意味を深く考えるのが怖かった。
「う、うん……?」
「……お前また考えるの放棄しやがったな」
早瀬は不機嫌そうに言った。
「じゃあさ、」
早瀬の手が額のタオルを取る。そのまま手のひらで頬を包むように撫で、ゆったりとした動作で顔を早瀬の方に向けられる。
頬杖をついた早瀬と目が合う。
「俺が朝比奈の事を好きって言ったら?」
「何度も、聞いてるよ」
「でも理解してないだろ」
「理解も何も言葉の通りだろ」
「おまえ、本気で理解する気ねえな?じゃあ実践するしかないけど……逃げ道ふさぐやり方みたいで嫌なんだよな」
実践?と考える間もなく頬に当てられていた手のひらが動き、耳から後ろに髪を梳くように撫でられる。
大きな節くれ立った手が意外にも繊細な動きで思わずうっとりするくらい気持ち良かった。
それから頬杖を付いていた方の手でゆっくり、ゆっくり俺の上半身を引き寄せる。
早瀬にすっぽり包まれるような格好になった。
あまりに密着し過ぎるので、腕で早瀬の胸を押そうとしたが薄い浴衣一枚のその下の肌の熱さにびっくりして押し返すことも出来ずにいると、結局その腕ごと抱き寄せられた。
頭に回された腕はその長い指先で髪全体を愛撫するように梳きとかし、髪に自分の顔を埋めるようにキスを落としていく。幾度も。
早瀬の体温や仕草の穏やかさや優しさは心地いい。この行為はただ甘やかされているだけ、な気がする。
──いや、それはないだろ。この状況はさすがにおかしくないか。過剰なスキンシップで済むレベルか?同じ布団で抱き合って撫でられるのって、有りなのか?
そんな事を考えている間にも早瀬のキスが少しずつ角度を変えて降りてきた。前髪を優しく払われ露わになった額に口付けられる。
また頬に手のひらを添えられて目を合わせられる。早瀬の目は優しかった。
今まで見たことのないくらい優しい早瀬に触れられるのは気持ち良かった。
だが何を考えているのか計り知る事は出来なかった。
早瀬は首を傾げて俺が何か言うのを待っている。
いくらなんでも、これが有りなはずはない。だから、俺は窮地に立たされる。
「は、早瀬はこれって有りなの」
俺がバカみたいな質問をすると早瀬が苦笑した。
「それを俺に聞いてどうすんだよ。これで分かった?」
俺はふるふると首を振る。分かったとは答えられない。
ここまできて、まだ迷って怯えている。
染み付いてしまった自分自身を縛り付ける呪文のせいで言葉にするのが怖い。
「ふうん……まだ分かんねえの」
早瀬は一瞬、探る様な目つきをして
「じゃ、続きしよっか?」
さっきよりさらに甘く艶っぽい声で俺の耳元をくすぐる。
全身の毛が逆立つように震えが来て、思わず早瀬の胸元を強く握る。
「可愛い」
思わず口から出た、と言うように早瀬がため息と共に呟く。そしてそのまま俺の耳朶に軽くキスしてから口に含む。
「……っ」
思わず身体がビクンと跳ねた。
舌先で耳朶を弄ぶように舐めた後、そのまま首筋も舌と唇で愛撫する。
何かがさっきまでと違う、早瀬なのか自分なのか分からない。呼吸が止まりそうになる。苦しい。
「っ、早瀬、待って」
「嫌だ。待たない」
恥ずかしさに抵抗しようとすると胸元の手を一括りで握られた。
その間にも早瀬は瞼や頬にキスを降り注いでくる。そして一度動きを止めると俺の顔をまっすぐ見つめた。
「まだ分かんない、とか言う?」
真剣な声で早瀬がささやく。
……分からない、はずがない。ただ勇気が出ない。言わなくてはいけない言葉が喉元まできて貼り付いている。
だけどいま言えなければこれから一生、俺は誰とも分かり合えない。好きになったとしても、胸の中で想いを殺していくだけだ。
──それで良いと思っていた、早瀬に会うまでは。
だけど見つめる真摯な眼差しと意気地のない俺に合わせてゆっくり時間を掛けて心を溶かそうとしてくれる優しさにこのまま黙っているのは卑怯だと、ようやく思い至った。このまま早瀬に甘えて、居心地のいい優しさに寄り掛かってしまったら何の解決にもならない。
早瀬から貰いっぱなしじゃだめだ。怖がってばかりいないで──自分で勇気に変えて返さなきゃ先に進めない。そして俺は進みたい──。
早瀬は決して急かさない。
俺が必死に頭のなかで葛藤している間も、こんなに優しい眼差しを絶やさずに待っていてくれる──。待ってる──何を。俺が気持ちを伝えるのを。
ああそっか。早瀬──。
喉を塞いでいたつかえがスルリと消える。
「早瀬が好きだ……ずっと、好きだった」
「知ってる。俺も好きだよ」
今までで一番、甘くてやわらかい声で蕩ろけるように言うと、そうっと柔らかく唇が重ねられた。
早瀬は俺の恋愛感情なんかとっくに見抜いていた。それでも自分を否定し続ける俺を待ってくれていた。
「……ようやく、ちゃんと聞けた」
少しだけ顔を離して早瀬の口元が笑う。
それを聞いて──伝えられて本当に良かった、そう思う。
そしてまた唇が重なる。角度を変えて何度も交わる。
触れた時と同じようにゆっくりと唇が離れ、早瀬が俺を胸の中に抱きしめた。
「いつから俺のこと好きだった?」
手のひらが頭を何度も滑っていくのを感じながら、早瀬の言葉を聞く。
「惹かれたのは、会ったときから……自覚したのは、九月に早瀬の部屋で飲んだ時」
早瀬が喉で笑ったのが分かった。
「なんか、へん?」
「悪り、過程が全く一緒だったから。あん時さ、春先輩がお前のこと可愛い可愛いって言って、話が変な方向いっただろ。そんで春先輩に取られるかもって思ったら俺すげえ焦っちゃって。なんかあの人なら有り得そうだったし、それでお前の事そういう意味で好きなんだって気付いた」
「そっか──あの時から両想いだったんだ」
「そうだよ。俺、全然隠してなかっただろ。でも朝比奈はなんか思い悩んでるみたいだったから、無理したくなかった」
「ごめん……」
「謝んな」
言ってギュッと俺の身体を抱きしめる。
俺も早瀬の背中に腕を伸ばして力を込める。
これは本当の事なんだ。夢じゃなくて現実なんだ。抱きしめ合って好きだって言って良いんだ。
「早瀬、好きだ……大好き」
胸に顔を埋めて早瀬の匂いに包まれて、囚われていた想いからやっと一歩踏み出したと感じられる。
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