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しかしそれでどうにかなるのかと問われると、正直言って返答し難い。質問された内容に関しても、どのようないじめを受けたのかとか、暴力は受けたのかとか、つまらないことばかりを聞かれたからだ。
そのため心情的なものを聞いてもらえるのかと期待していた光莉は、物足りなさを感じてしまった。加えて相談したからと言って、あの現状が変わるとも思えなかった。
自宅へと辿り着いた光莉は、『花江寿司』と書かれた暖簾を潜って家に入った。光莉の祖父母は、夫婦で寿司屋を営んでいる。故に光莉が家に入る時は、決まってこの暖簾を通っていた。
話を聞く限りでは赤字でもないようだが、特別儲けていると言うわけでもなく、寧ろ生活するのに精一杯と言ったところらしい。やはり東京に単身赴任している父、一郎に家庭を支えてもらっている間は否めない。
部屋の中はいつもの如く、酢の酸っぱい臭いで立ち込めていた。
光莉は酸味のあるもの、特に酢が嫌いだ。あの鼻を劈くような独特な臭いは、いつまで経っても慣れない。なので今日もいつものように、眉間に皺を寄せて臭いの悪質さを示した。
「おや光莉、お帰りなさい」
カウンターで酢飯をかき混ぜながら、祖母である由美は光莉を見た。が、店主である祖父の知善は見当たらない。何処かに出掛けているのだろうか。
「ただいま」
しかしいざ問い掛けるのは面倒だった。光莉はそのまま店の奥へと進み、靴を脱いで二階へと上がった。
自分の部屋へと入るとランドセルを投げ出して、光莉はすぐさまベッドに倒れ込む。日中、由美が布団を干しておいてくれたのだろう。顔を埋めた時に、あの干した布団の柔らかい匂いが、光莉の鼻いっぱいに広がった。
同年代の女子らしい、細々としたものは光莉の部屋に存在しない。あるものと言えば趣味で始めようとしてやめた料理本の数々と、旅行先でたまたま立ち寄ったUMA展にて購入した、モンゴリアンデスワームのぬいぐるみぐらいだった。
「もう死んでまいたいなぁ」目の前にある、他人が見れば明らかに気味が悪いと思うであろうぬいぐるみを抱き締めて、光莉は呟く。
精神的追い詰められると弱音ぐらい、吐いていなければやってなどいられない。とは言え今の言葉は、半分本心も含んでいた。死ぬことで現状から抜け出せるのなら、それもそれでありだと思えた。
だがその時だった。光莉のすぐ横で、聞き覚えのない声が聴こえてきたのである。それは少し、嗄れた男の声だった。
「そんな事言うなや。そりゃあお前には過ぎた言葉やで」
恐怖心のあまり言葉を失う光莉。自分の横に誰かが居る。これまでになかった事態を瞬時に光莉は理解した。体は今置かれている状況を拒絶するが如く、プルプルと小刻みに震えている。次第に呼吸も荒くなり、心音もそれに比例して大音量で光莉の体内に鳴り響いた。
「だ、誰なん……」やっとの思いで絞り出された言葉は、思った以上に掠れていた。
返答次第では殺されてしまうかもしれない。今の光莉の頭には、最悪な事態の光景しか浮かんでこなかった。想像してしまった光景も、小学生の心理には刺激が強過ぎるものだった。
すると男は笑い声を上げながら、どこか自慢げな口調で言葉を発した。「聞いて驚くなや?」
「ワイの名前はスメシン、この世界を治めとった神様や。訳あって今はお前さんの中に住まわしてもろとる」
住まわしてもろとる、だって。光莉はその言葉を聞いた途端、先程まで抱いていた恐怖心をすっ飛ばして体を起こした。そして声のする方向へと視線を移す。何を言っているんだこいつは、と。
「なっ!?」
光莉のベッドの上には、やはり見覚えのない男が座っていた。
全身黒スウェットに座っていてもわかる程の高身長。更には全体を包帯で覆った顔の中心には、大きな文字で「米」と書かれている。一体それは何を意味しているのであろうか、不思議と怪しい男に対して若干の興味が湧いた。
「初めましてやな、船越光莉」スメシンと名乗る男は、表情の読み取れない顔をこちらに向けたまま言った。
「お前の望み、ワイが叶えたるで」
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