18人が本棚に入れています
本棚に追加
2
「よう、天才アツシくん」
校門を出た直後、聞き覚えのある声と共に笛口敦の肩を何者かが叩いた。
振り返ってみるとそこには、長袖長ズボンの体操服を着た親友橋本の姿がある。少し汗の匂いもすることから、彼はさっきまで走っていたようだ。
「そんなこと言うても何もでぇへんぞ」
敦は橋本を軽くあしらった。彼がこうして敦をからかうのはいつものことだ。記憶が残っている限りでは年長の時ぐらいから、今とよく似たやり取りをしている気がする。
そう考えると二人は、精神的にもあまり成長していないのかもしれない。
夏と比べて日が落ちるのが速くなったこの頃。部活の時間は次第に短くなってきていた。冬になると当然と言えば当然だ。しかしそれは、部活が放課後の楽しみとなっていた敦にとって、マイナスな方へと働いていた。
敦が美術部に入部した理由は、一番楽そうな部活だと思ったからだ。
彼が通っている中学校は、よっぽどの事情がない限りは部活への入部を強制される。その為めんどくさがりだった敦は、体を動かす運動部を避けた。
故に残った選択肢は二つ、朝練のある吹奏楽部と、他人に迷惑を掛けない美術部だった。無論敦は美術部を選んだ。
それでも敦は、当初部活に行く事さえ乗り気ではなかった。行くのが面倒くさい。正直な理由を顧問に申し出ると、彼女からは「せめて初日だけでも来て」と言われた。断るに断れなくなった敦は、入部初日だけは顔を出そうと考えた。
しかし当日、先輩から白紙と鉛筆を手渡された事で、敦は己に秘めていた才能を開花させることとなる。
これがイマジネーションと言うやつなのか。その白紙の紙に敦は、色鮮やかな世界が思い浮かべた。
せせらぐすき通った小川の水、それを覆うように緑の芝生が白の世界を彩っていく。極め付けはオレンジのラインが入った青い鳥。その鳥をイメージし終わった時、目の前の紙は無彩色ながらも、我ながら見事な景色が写し出されていた。
騒然とする周りの生徒達。更には顧問として教卓に座っていた国語の教師もが、その絵を見て目を丸くした。
「天才や」一人の先輩の口からそんな言葉も聞こえた。
これまで、小学校の図工ですら真面目に受けた事のなかった敦。だがこの出来事をきっかけに、芸術と言う分野にのめり込むようになった。
表現したい事を自由に表現できる分野。彼は心の奥底でこう言ったものを求めていたのかもしれない。
気が付くと、なけなしの小遣いを使ってスケッチブックを買っていた。今日と言う日も、おそらく帰宅後はそのスケッチブックに絵を描くことだろう。
「じゃあな敦」
橋本が手をふった。それを見て敦も、彼に背を向ける。
「おう、また明日な」
住宅街の分かれ道。橋本と下校を共にする時はいつもここで別れる。彼の家と敦の家は反対方向の道にあるからだ。
親同士が仲がよかったこともあり、交流に関しては幼稚園の頃から続いていた。敦にとって橋本は、ジャイアンの言葉を借りるなら「心の友」と呼ぶに等しい親友だった。
敦が行く所には必ず橋本がいる。誰かがそんな事を言っていた。
家に着くと敦は、ある違和感を感じた。日が落ちるのが早まってきてからと言うもの、家の灯りは午後五時半ぐらいになると灯されていた。それは敦の母である麗奈が、暗所をあまり好まないからである。
しかし今はどうか。学校を出たのが五時十分、それから下校の時間も足すと五時半の時刻はとうに過ぎていることになる。にも関わらず、玄関の灯りどころか部屋の電気すらもついていないのだ。
過ぎた昼寝でもしているのか。疑問に思いながらも敦は玄関のドアを開けた。
「ただいまー」返事は返って来なかった。
「こりゃ完全に寝とうな」
麗奈を起こさないように、ゆっくりとドアを閉める。日頃から彼女は、掃除に洗濯などで活発的に動く。加えて最近では智也のこともあった。故に今日は、これまでの溜まっていた疲れが出たのであろう。
今日は腕でも振るおうか。そんなことを考えながら、鞄を置いて靴を脱ぎ始めた。
最初のコメントを投稿しよう!