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「この度は誠にご愁傷さまでございます。突然のことでさぞやお力を落とされていることと存じます」
海斗に向かってお悔やみの言葉を口にした男に、敦は見覚えがあった。日に焼けた赤茶色の肌に、ブルドッグのような垂れた頬。黒服を着ている姿はこれまで見たこともなかったが、高めの身長もあってかよく似合っている。
彼の名は藪林慶司。敦が小学六年生の時の担任で、よく世話になった人物である。
小学生時代、彼はサボり癖のあった敦に、その理解と相反する勉強の大切さを示してくれた。藪林から教わった、適度にサボりながらもやることをこなすと言う考え方は、今も心にしっかりと刻み込まれている。
今は五年一組の担任をしているそうで、敦の弟と言うこともあり、智也の担任ではないものの関わりはあったらしい。智也本人も、生前そのことはよく話していた。
「敦くん……」
藪林は敦の前に立つと、歯切れの悪そうな表情で顔を見てきた。もしかするとその表情も、自分がいながら智也を守りきれなかったと言う負い目からかもしれない。
教師であるが故の責任感ーー。彼にどう言葉をかけていいのかわからず、一礼だけをした。
すると藪林は突然、敦の左耳まで顔を近づけてこう言った。「大事な話があるんだ」
「えっ」
「これが終わったあと、一人で駐車場に停めてある私の車まで来てくれ」
言葉の意図がわからず目をぱちくりさせていると、彼は一礼してから式場へと入っていった。
「藪林先生に何か言われたの?」麗奈は不思議そうに訊ねる。
「ううん。励ましの言葉をもらっただけや」
別に隠す必要もなかったのかもしれないが、今は余計なことは言わないようにしておいた。
麗奈が突然の出来事に弱いことは、この前の一件でよくわかっている。海斗もいるとは言え麗奈には、今日と言う日だけは取り乱して欲しくなかった。両親共に、智也の死を悼むことに集中してもらいたかった。
「そう」
当然麗奈が、敦のそんな心情を悟るわけもない。すぐさまお悔やみの言葉を言いにきた女性に、そろそろ見飽きてきた対応をまた始めた。
大事な話とは一体、何のことなのだろうか。不思議に思いながらも、こちらを向いた見覚えのない女性に一礼する。パターン化した動作、今日だけで何度これをやったかはもう憶えていない。
通夜は滞りなく進んだ。海斗の涙と鼻水を垂れ流した、父としての智也への言葉。麗奈の犯人への憎しみの言葉は、潤んだ声のせいで何を言っているのか聞き取れなかった。だが式場の雰囲気を重苦しくするには十分だったようで、それにつられて涙する者は多かった。
気がつくと敦も、瞼が熱くなっているのを感じた。涙こそ出さなかったが、滝のように流れ出てくる鼻水を啜っていた。
小学五年生ーー年齢で言えば十一歳ーーと、未来ある人生を突如として断たれた智也。彼の一生を小さくまとめた、麗奈が主体となって作ったスライドショーは、さすがの敦も涙を堪えずには目を向けられなかった。涙を堰き止めていたダムの、決壊である。
なぜ智也が殺されなければならなかったのか。改めて敦は、犯人に対しての強い怒りを覚えた。
確かに智也はイジメをしていた。だからと言って、兄弟としての繋がりが切れてしまったわけではない。
スクリーンに映し出されるずっと幼かった頃の智也の写真。そしてその横には、ほとんどと言っていい程に敦の姿も写り込んでいた。それが何よりの証拠なのだ。
いつも家に帰れば母がいる。それ以上に、夕食では四人全員が揃っている時の方が多かった。智也がいる当たり前の生活。それが失われた今になって、智也が自分にとってどれ程大きな存在だったかを実感した。
通夜が終わった午後八時半頃。橋本が敦を見つけて歩み寄ってきた。彼もまた、幼い頃から智也のことを知っている数少ない人物だった。小学校低学年の夏にはよく、三人でセミ捕りをしていたのを憶えている。
周りが小学生や見知らぬ大人ばかりで息がしにくい空間で、同年代である彼の存在はまさしく、仏のようにも思えた。
「よう敦」彼の発言はいつも通りだが、どこか戸惑っているようにも見える。
「智也くん、まだまだこれからやったのにな……」
「うん。自分でもまだ、この現状を受け入れられてへんわ」
ここで途切れた二人の会話。智也の死の重さは、仲の良い敦と橋本の会話すら無にした。仏のようにも思えた橋本の存在も、この雰囲気では台無しだ。もはや逆効果と言っても過言ではない。
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