-Begegnung-

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<4>  車は草原の一本道をひたすら走っていく。  現代の様に舗装されている道路など、この時代は街中などのごく一部だけだ。  その、轍の出来た砂利道を、ごとごとと揺られながら車はひたすら走る。  そんな中で2人はしばらく無言だった。  口火を切ったのは、草壁大尉だった。  「・・村雨中尉」  「何でございましょうか、上官殿?」  草壁は、溜息交じりに言った。  「その使い慣れてもいない敬語は止せ。私に敬語は不要だ」  村雨は返事もせずただ苦笑いして肩を竦めた。  乗車の際に手渡された、次の任務の為の分厚い資料に目を通しながら、同じく手渡されたおしぼりで、手の血糊を丁寧に拭い取りながら草壁が問いかける。  「必要な種は撒いた。この情報の裏は取れているのか?」  村雨は草壁の顔を見てニヤリと笑うと、また視線を前に戻し運転しながら語りだした。  「・・ああ、さすがは元華族。お育ちがいい奴は不用心でいけねえな。悪さをするなら、もう少し頭を使わないと」  そんな村雨中尉に草壁大尉が顔を顰めた。  「余計な御託はいい、時間がない。・・何か食う物はないか?」  「あー、そこに紙袋あるだろ。取敢えず、乾パンとコーラ用意しといた」  「・・・コーラか」  「甘いもん嫌いでも、いいから飲め!それしか無えんだからよ」  村雨に説得され、渋々歯で栓を抜くと、草壁は乾パンを口に放り込み、ごりごりんと音を立てつつ咀嚼し、コーラで一気に流し込んだ。  今回の件は内々に済ませて欲しいと、オーダーが入っている。  しかも香東大尉の一件は、私的な意味合いの大きい任務の為、余り他言は出来ない。  今から移動し、乗ろうとしている飛行機の様に、パイロットなどの他人が介在している中ではどうしても話せない内容なのだ。  だから是が非でも、移動中の車の中でこの話は済ませておきたかった。  草壁は素早く食事を済ませると、紙袋を後部座席に放り投げた。  「おいおい、乱暴だな~」  「時間が惜しい。・・首尾は?」  「ああ、香東大尉の物資横流しの件と、情報漏えいの件は、当たりだ。先月の鉄道爆破未遂も、奴の流した情報が一部の馬賊に漏洩していた。・・もっとも、奴本人はあんな事に使われるとは思いもしなかっただろうが」  草壁が村雨をちらりと覗き見ながらぼそりと呟いた。  「寝物語を語る相手はよくよく選ばないと、こういう酷い目に遭うという事だな。・・その愛人の始末はちゃんと付けたのか?」  村雨が、車の進行方向から視線を外さずに、思い切りケラケラと笑った。  「勿論、いの一番にやらしてもらったさ。イイ尻してたぜかわい娘ちゃん!子供も大人しく云う事を訊いてくれたしな。ちゃんとお前の指示通りに上海の葉 継科につなぎを取って二人は預けた。それと、残りの馬賊の連中も偽情報を流して合流ポイントを指示しておいた。今頃は憲兵隊に包囲されて一網打尽にされている事だろうよ。  ・・にしても、それをお前が言うか?ハハ」  それを聞いて草壁がクスリと笑う。  「そんな事を私に面と向かって言う奴は、お前だけだ」  「継科がおまえによろしくだとさ。偶には会いに来いと云っていたぞ。何でも「最近お前がつれない、淋しい、会えないと死ぬ」とか周囲に愚痴りまくってウザイと国峻がぼやいてた」  「最近はバタバタしていて馬にも逢っていない。同じことを蘭畦と愛蓮が云っていると東興からも愚痴られたばかりだ」  「人気者は辛いな~。ハハハ」  「人気者?冗談は止せ」  少しの沈黙の後に、村雨が口を開く。  「本当に、ご苦労だったな。奴に信用させる為とはいえ、やはり人を殺めるのは・・性に合わん。まして、あんな奴の代わりになんて、な」  苦笑しながら、カーブを減速なしで突っ切ってゆく。  草壁は相変わらず書類に目を落としながら、きっぱりと言い切った。  「だが、それを生涯の仕事として選んだのは自分だ。そして今、我が国は戦争中で、我々の仕事は軍人、現在は任務中だ」  村雨は苦い顔をした。  「・・ああ、そうだろうよ。だがな・・・」  (お前はほんとにガキの頃から変わんねーな・・・)  村雨はその一言を口に出す事無く飲み込んだ。  草壁は、今回の一件は裏方の立場に回ったに過ぎない。  その主な任務は・・香東大尉のしでかした一件についての後始末だった。  彼にとって、それは無理矢理押し付けられた雑用以下の任務だった。  今回の任務は、それまで香東大尉の管轄下でたびたび起こっていた馬賊による襲撃と物資の横流しに対して、大尉がどこまで関わっているのか、情報がどこから漏洩したのかを調べる事が今回の(本来の)最大の任務だった。  しかも、それすら雑用のうちの一つで、主たる任務はまた別に有ったのだが。  結果浮上したのは、大尉が禁止されているにも拘らず現地で愛人を囲い、その女との生活費を捻出する為に、物資と情報を横流し金銭を授受すると云う、よくあるお粗末な醜聞だった。  ただ・・そこで問題だったのは、囲った女が馬賊の首領の娘だった事。  そして、その女との間に子供まで作ってしまっていたのだ。  彼は大きな商家の一人娘と既に結婚していて、子供もいる。  実家は少々落ちぶれてしまっているとはいえ、由緒正しき華族である。  彼が妾腹とはいえ、もし何か不祥事を起こせばまず責められるのはその実家だった。  彼、香東実津雄は元々華族の三男坊・・といっても、妾腹ではあったが。  彼はそこそこ優秀で、コネと努力で陸軍士官学校をどうにか主席で卒業した。  (香東大尉が草壁を毛嫌いしているのは、「本当の主席は草壁だ」と同期の卒業生の間でまことしやかにささやかれているのが面白くないのもあるのだ)  そんな彼に、実家の両親は婿養子の話を持ってきた。  例に洩れず、彼の実家も生活に困窮していた。  彼は、詰まる所援助(と云う名の借金)が欲しい実家の身内に、裕福で金がある大きな商家の一人娘のところに売り飛ばされたのだ。  この時代によく在った、厄介払いを兼ねた身売り話である。  商家にとってもメリットはある。  民間人である自分達に、高貴な血を引く血縁者が出来るのだ。  しかも商売をする上で、その”婚姻”は”信用”と”チャンス”に繋がる。  政財界・社交界への商売の間口を開き、新たな顧客の開拓を行う最高の足掛かりを手に入れる事が出来るのだ。  例え金でどうにかした物だとしても、そんな事は誰かが口外しなければ解りはしない。  その上、上手くすれば商売の裾野も広がり、更に繁栄する事が出来る。  また、巷には決して出回る事の無い貴重な情報を手に入れる事も可能になる。  だからこそ、彼の様な妾腹であっても”華族”の血筋が望まれるのだ。  それ程に、高貴な華族の”血”には価値が存在した。  そして妻の商家には、華族の実家に多大な援助(主にお金の)をして貰っていた。  その華族の家が没落してしまっては、”血”の価値が落ちてしまう。  だから、商家の方もそれなりの援助は惜しまない。  今回の一件、香東大尉の実家の方では相当深刻に受け止めていた。  軍内で起こした重大な不祥事の上に、浮気と隠し子と云う不名誉な”おまけ”まで付いているのだ。  本来ならば、簡単な話では済まされない。  確実に、軍法会議に掛けられる事案になるだろう。  同時に、宮内省から実家の「監督責任」を問われる事となる。  その上彼が、軍から追放でもされた日には・・メンツは丸潰れだ。  例え妾腹で、しかも商家の婿養子に叩き出した厄介者の三男坊だとしても、些末な不祥事一つで華族としての立場が悪くなってしまう。  事あるごとに「あの家の息子は・・」と周囲から白い目で見られる羽目になる。  それだけならまだしも、宮内省から爵位の”はく奪”でもされた日には・・・目も当てられない大惨事だ。  それに今更離婚して戻って来られても、借金の返済など出来る筈も無い。  どの時代も、高貴な身分の人々と云うのは「浪費」は得意だが、「倹約」や「蓄財」 は大概不得手な物だ。  だから尚更、華族としての体面に泥を塗るような今回の行為はとても許容できるものではなかった。  しかし、彼等には縋るべき一縷の光明が存在した。  それが草壁だ。  元々彼の主たる任務は情報収集、諜報活動、防諜、謀略など。  彼にかかれば情報操作などはお手の物だ。  そして、草壁大尉にも華族の婚約者がいる。  その婚約者の家が、たまたま香東大尉の家と親交のある家だった。  結果白羽の矢が立ったのが、同期で陸軍士官学校を卒業した、多少なりとも面識のある草壁大尉だった。  草壁大尉にとっては、只でさえ人手不足の上に多忙の身で、この面倒事を押し付けられて悲劇だっのたが、香東大尉の実家にとっては腕も良く頭の切れる草壁大尉を頼れて本当にラッキーだった。  何故なら・・草壁になら無理難題も言い易く、多少の融通は利かせて貰えるからだ。  現在彼等には重大な事態が発生していて、香東大尉の事件どころでは無かったのだが、婚約者の父上の頼みを断りづらい状況も抱えていた。  しかも草壁自身も、彼の実家とも多少なりと面識が有った為、どうにかしてくれと泣きつかれ、断れなかったというのが正直な話である。  軍部も「そう云う事なら」と、草壁にそのいかにも面倒臭そうな一件を丸投げで押し付けて来た。  更に困った事に、香東大尉の実家は今回の一件を無かった事にして欲しいと、当然の様に無理難題を言って来ていた。  時間の無い上、板挟みの状態・・・。  仕方無く草壁は一計を案じた。  物資の横流しはもうどうしようもないので、軍内で処理して貰う事にした。  彼の愛人は、知り合いに頼んで母子別々に知り合いの人買いに預けた。  馬賊の方は香東の情報で動いていたので、偽情報を流す事にした。  いつも、その愛人がパイプになり、父親である馬賊の首領へ情報が細かくリークされていた。  馬賊はそこから情報を得て、関東軍への襲撃ポイントを決めていたのだ。  だが、そのグループが大きい組織ではなかったのとそう云った名うてのグループとのつながりが無かった事が不幸中の幸いだった。  結果人数が足りない為、何かを画策してもお粗末な結果しか出せてはいなかった。  そこは本当にラッキーだったとしか言い様が無い。  そしてそんな単純な連中だったので、偽情報にも簡単に引っ掛かってくれた。  「早朝五時に、首領の家に集まる様に。そこで今回の作戦を検討する」  と今回は、村雨が幹部に偽情報を流したのだ。  草壁が斬殺した連中は、偽情報で集められた馬賊の首領とその幹部達だった。  全員を殺したのには、これ以上余計な情報が漏れ出ぬ様にとの”口止め”と云う意味合いもあったのだ。  香東大尉には、  「馬賊のアジトを発見した、手柄を立てさせてやるから部下と共に来る様に」  と連絡を入れてあった。  ・・彼は、そこが自分の愛人の父親の自宅だった事も、愛人の父親が馬賊の首領だった事もその時までは全く知らなかった。  全ての事実を知ったのは恐らく、草壁が全員を斬り殺した後に手渡した紙切れからであっただろう。  今頃は、彼は拘束されて何かしらの処罰を受けている事になっている。  ・・まあ、それについても「寛大な処遇」が降りる様根回しが済んでいるが。  取りあえずはこれで、香東大尉の一件で草壁が振り回され、無駄に時間を費やす事は無くなったのだ。  しかし、彼等に与えられたすべての任務が終わった訳では無かった。    でこぼことした、まともに舗装されてもいない草原の一本道にようやく終わりが見えて来た。  遠くにプロペラ機が一機、滑走路と思しき場所に停まっている。  一見民間機にも見えるが、周囲に有刺鉄線、整備兵や軍用車両、塹壕や高射砲などに囲まれた航空機がよもや民間用の筈がなかった。  二人は滑走路手前に車を止め、待ち構えていた整備兵達に敬礼すると足早にプロペラ機に乗り込んだ。  程なく、プロペラ機は轟音と共に空へ飛び立っていった。    ところが。  いつもならば日本上空までひと飛びの筈のプロペラ機が、今日に限って大陸を離れる事無く、早々と着陸のための降下を始めた。  村雨が操縦士に  「何事か」 と尋ねると、  「”緊急指令につき、草壁・村雨両名は大連にて指示を待て”と司令部よりお二方に伝令が入っています。つきましては、進路変更しましてこのまま大連郊外に一旦着陸いたします」 と、副操縦士が答えた。  二人は顔を見合わせた。  降下するプロペラ機の窓からは、遠くに霞む街並みと白煙を上げながら大地を疾走する満州鉄道が見える。  その先に・・・・遠くに、水平線が見えた。  草壁は、何故か潮の香りを感じた気がした。  「海、か・・・」  そう小さく呟くと、隣に座った村雨が窓から草壁に視線を移し、  「ん?何か言ったか?」 と聞き返して来た。  草壁は苦笑いし、  「・・いや、何でもない」 そう答えるとまた書類の束に目を通し始めた。
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