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第一章
二年の月日が流れても、僕は雨が嫌いだった。
リノリウム製の床、淡い色の壁紙、事務机にパイプ椅子、身長計、体重計、健康啓発のポスター、本棚、薬棚……。あらゆるものがおもちゃ箱のように閉じ込められているこの空間において、僕は二つあるスチールベッドのうちの一つを占領していた。窓の外からは雨の降る音が聞こえてくる。
「孝志君、そろそろチャイム鳴るよー?」
その甘ったるい、無理して若作りしたような声を出している久田先生の言葉で、僕は短い夢から覚めた。
「まだ眠いです、先生」
「もーそんなこと言って、一日中寝ているつもりじゃないでしょうねー?」
この久田先生の話し方にはもう慣れた。今年五十七歳になる先生の話し方とは思えないこの口調。間延びしたというか、どこか子供っぽいというか、とにかく、僕からしてみれば構わないでほしいくらいのこの癖はおそらく一生治すつもりはないのだろう。それでも、僕のことをこうして執拗に狙っては教室に戻るように指示してくる。
引き戸がガラリと開いて、そこに二人の女子生徒が入ってきた。一人は涼子だ。
「先生ーちょっといいですか?」
涼子が快活な声で久田先生に言った。
「はいはい、どうしたー?」
「恭子ちゃんがちょっと相談したいことが……って、孝志じゃん。またサボってんの?」
涼子がいつものように話しかけてくる。
「サボってんじゃなくて、あの……あれだよ。シエスタだよ。うん。シエスタ」
「ここは日本だよ。さらに言うならここは保健室。孝志はどこもケガしていないじゃん」
「ちょっと熱っぽいから休んでいるだけだって。ケガだけが保健室に行く理由じゃないだろ」
はいはい、ちょっとそこまで。と久田先生の声が会話を遮る。
「えーと吉川恭子さんね。今日はどうしたのかな?」
「じ、実は……」
吉川さんは何やらもじもじしていた。トイレにでも行きたいのかとでもいうようにだ。それをしばらく見ていた久田先生はまるで何か閃いたかのように手をぱん、と叩いて見せた。
「孝志君。悪いんだけど、吉川さんと二人きりで話したいことがあるから、ちょっと外に出てくれるかな」
僕は何も言わずに頷き、保健室を出た。
「話ってなんだよ」
僕は涼子に向かって言う。
「秘密だよ。ひ、み、つ」
「なんでだよ」
涼子は何も言わず右手の人差し指を口に当てた。空気が漏れる音のようにしーっ、と。僕は仕方なくそれ以上何か言うのを止めた。
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