第三章

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 父はスケッチブックを開き、右手に鉛筆を持った。僕は記憶を思い起こし、覚えている限りのおじさんの顔の特徴を父に伝える。細目で唇は厚め、眉毛はやや薄め。鼻は高く、シャープな顔つき。スキンヘッドに会社のものと思われる薄緑色のつば付き帽子を被っていた。父は何度かその顔をスケッチブックに描いていき、描き終わるとスケッチブックを僕に向けてきた。  そこには今日見たおじさんの似顔絵が特徴的に描かれていた。 「こんな男だったか?」 「間違いないと思う」  父はほっとした表情でスケッチブックと僕の顔を交互に見比べた。 「父さん」  僕は完全に疲れ切っていた。なぜ神社に立ち寄っただけでこんなことを聞かれなきゃいけないのだろうとも考えた。目の前の椅子に座る父は、何か考え事をしているようで、両肘を机に置き、両手で顎を支えてしばらくそのまま沈黙した。  三分ぐらい経って、父は口を開く。 「すまないな孝志、実は父さんの知り合いに警察官がいてな、最近出没する不審者の目撃情報を集めてくれと頼まれたんだ」  父はそう言うと、スケッチブックの紙を一枚破り、それを新しいクリアファイルにそっと入れた。 「これは明日にでも警察に持っていくよ。ありがとう孝志。さ、もう行っていいぞ」  僕は拍子抜けした。散々質問をしておいて、僕からの質問は一切なし。そんな親子関係があっていいのだろうか?  僕は何も言わず部屋を出た。そして隣の自室に戻り、しばらく流浪の民の楽譜を読みながら考えた。父は何のために神社のことを聞いたのだろうか。あのおじさんは実は悪い人で、何か事件を起こしているのか。そして、どうして僕は神社になんか行ったのか。  よくよく考えてみれば、神社の話が出たのは中田さんの家でのことだった。カラオケボックスから帰ってきて、家でたわいもない話をしている時に、中田さんがふとこんな話をした。 「この先に神社があると思うんだけど、良かったらお賽銭入れて願いごとしなよ」  中田さんは「神頼みも大事だと思うんだ」といつもの口調で言い、麦茶を飲んでいた。  そうか、思い出した。  僕は、あの言葉がきっかけで神社に行こうと決めたのだ。でも、なんで中田さんはそんな気まぐれなことを言って、父は神社での話を聞きたがるのだろうか? 二つの間には何か共通点があるのではないか。でも、何の共通点があるのかそこまではわからなかった。  考えても仕方ない。今は合唱に集中する必要がある。  僕は早めに寝ることにした。明日も中田さんの家に行こうか、帰りに神社に寄ろうか。いろいろなことを考えているうちに、僕は眠くなり、静かに意識が消えていくのを感じた。
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