プロローグ

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プロローグ

 雨が嫌いだと、僕は言った。雨は身体も心もずぶ濡れにする。だから嫌いだと。  そんな僕の物言いに涼子は「いいじゃん雨って」と朗らかに答える。 「雨はねえ、神様の恵みなんだよ。あるいは天国の人が流す涙とか」 「どういうこと?」 「雨が降らなかったら、農作物はみんな枯れてしまうでしょ?」 「そっちじゃなくて、天国の……何?」 「ああ、そっちね」  涼子はからから笑って答えた。 「象の背中ってアニメーション作品は知ってる?」 「知ってるよ」  あれは確か今日の道徳の授業だった。教室にあるテレビで見せられた記憶が今でも鮮明に残っている。ゾウの家族の元に神様がやってきて、父親の命がもうすぐ終わることを告げられる。働きづめだった父親は家族のために残された時間を過ごし、最後には天国へ旅立っていく。陳腐な話だったが、中には泣いているクラスメイトもいたのを覚えている。 「子供たちが死んだお父さんに向けてハートの形をした貝殻にありがとうって書くんだよね。それを神様が雲の上にいるお父さんに見せるの。そしてお父さんは泣く。その涙が家の周りを降らす雨になるの。どう? 考えただけで泣ける話じゃない?」 「別に」  僕はそっけなく答える。 「夏菜子ちゃん、あれ見て泣いていたのが凄い分かる。夏菜子ちゃんのお父さん、事故で死んじゃったから……」  涼子は唇をかみしめていた。 「私だって、今のままがいい。でも、別れは必ずやってくる。そう考えるとさ、私たちは一日一日を大事に、両親を大事にしようって気持ちになるよね」 「そうかな」  僕は少しおかしいのかもしれない。僕のお父さんはずっと働きづめで、僕に構ってくれたことなど一度もない。お母さんだってそうだ。僕たち家族のために毎日料理を作ってくれたり家事をしてくれたりする。でもそれはお母さんとしての役割であり、決して愛情のためではないと思っている。そんなことを頻繁に考える僕はどこかひねくれているのかもしれない。 「孝志はさ、少し性格がドライなんだね」  涼子はくすくす笑い、僕の言葉の続きを待った。 「ずっと一緒にいればわかることだろ」 「ううん、私は何も孝志のことをわかっていない」 「僕は涼子のことを……」  言いかけて、止めた。何が言いたいのかよくわからなくなる。言葉という絵の具がぐちゃぐちゃになり、見たことのない色に変容していく様を僕は想像する。率直な気持ちを涼子にぶつけたところで、彼女はきっと困り笑いをするか、微笑んで頷くだけだろう。 「あ、虹だ!」  涼子が指さす先には、七色の光の帯が半円を描いていた。雨宿りに使っていた屋根付きのバス停は役目を失い、ぽたぽたと先ほどまで降っていた雨のしずくが落ちているのみとなった。 「凄い、さっきまでの土砂降りが嘘みたい。奇跡だ」  僕の言葉を聞いて、涼子は笑った。 「なんだよ」 「これってさ、奇跡だよね。でもさ、偶然の奇跡じゃなくて必然的な奇跡」  涼子の言葉に僕はぽかんとした。 「何が言いたいんだよ」 「起こるから奇跡じゃない、起こせるから奇跡なんだよ」  涼子は自慢げに言った。どうせどこかの名言集から引っ張り出してきた言葉だろう。 「わかったよ。さあ、帰ろうか涼子」  傘を持たない僕たちは、水たまりを避けながら、虹に向かって歩くように帰路についた。
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