第三章

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第三章

 夏休みが始まり、僕は中田さんの家に行った。  中田さんは留守だったが、代わりに中田さんのお母さんの久恵さんが玄関から顔を出した。 「あら、あなたは」 「村上孝志です。智則さんに会いに来ました」 「あらあ、わざわざ来てくれたの? ありがとうねえ。トモは今いないけどせっかくだから上がっていきなさい」  久恵さんは前に見たときよりあまり変わらず、むしろ今日見たときの方が美しく感じた。家に入ると所々散らかっているが、不思議と不快感はなかった。  久恵さんは僕にコップに入った麦茶を差し出し、自らの分も持ってきた。 「ありがとうございます」 「ううん、気にしなくてもいいのよ。トモはもうすぐ帰ってくるはずだから」  久恵さんはふと僕の顔をちらりと見やり、それから部屋全体を見渡す。 「散らかっていてごめんね。うちはいつもこうなのよ」 「いえ、気にしてません。お構いなく」  僕は何気なく写真立てが置かれている窓側に注目した。そこには家族写真や子供のころと思われる中田さんの写真が写っている。 「トモは小さいころから歌が大好きで、よく家族や親戚の前で歌を歌ったりしたわ。そのことは今でも覚えている」  久恵さんは僕の視線の先にある写真立てを見て言った。これを聞いて、僕はチャンスだ、と思った。 「あの、今日来たのには訳があるんです」  久恵さんは僕の方を向く。 「トモに用事があるの?」 「はい」  僕は簡潔に、しかし丁寧に事情を説明した。九月下旬に開かれる文化祭で合唱をすること。僕たちのクラスは流浪の民を歌うことが決まったこと。そして僕は歌が下手なので中田さんに歌声を聞いて指導してほしいことを矢継ぎ早に伝えた。久恵さんは僕を見て何度か微笑み、それから両手を軽く揉んで言った。
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