春の章「片恋消しゴム」 ③ るりSide

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 放課後、私は先生に頼んで理科室のカギを借りた。  本日三度目となる理科室は、今日一番の静けさだ。  三階となるこの理科室の外から見えるグラウンドでは、野球部やサッカー部、陸上部がそれぞれのエリアで準備運動などをしていた。  部活が始まったばかりの、この時間。  サッカー部の中曽根もきっと今頃、あのグラウンドで活動し始めているんだろう。 (……中曽根と最近、しゃべれてないな)  こんな状態でのおまじないなんて、意味がないのかもしれない。  それでもそのままにしておけるわけもなく、ここに消しゴムを探しにきた自分が少しだけみじめに感じた。もう、元の関係に戻れないかもしれないのに。  ずしん、と悲しい気持ちが押し寄せてくる。 (……でも、他の人に見つかるわけにいかないし!)  私は落ち込む気持ちを奮い立たせて、消しゴムを探し始めた。  下に落ちたのかな、と身をかがめてテーブル下をのぞき始めた──そのときだった。「何してんの?」と、声がした。 「うきゃあ!?」  まさか、人から話しかけられると思ってなかった私は、変な声をあげて背筋を伸ばした。  と、いうか。この声……! 「な、中曽根!?」 「……うっす」  私の背後から声をかけてきたのは、なんと中曽根だった。  たぶん、部活へ行く途中だったのだろう。ティーシャツにジャージパンツの格好で、手には上着を持って、彼は私の背後に立っていたのだ。 「な……なんで中曽根がいるの?」 「いや、戸田が職員室でカギ借りてるの見て」  カギ? ……いや、よくわかんないよ。  たしかに職員室は一階にあるから、外からよく中が見える。部活中の中曽根も、私がいたことに気づいたのかもしれない。  でもそれでなんで、私が理科室に行くことがわかるの? というか、なんで来たわけ?  疑問符がマンガのように、グルグルと私の頭上で回っている。  そもそも、こうして中曽根と向き合ってきちんと話をするのなんて久しぶりだ。  久しぶりで、嬉しいはずなのに。  今はなんだか、恥ずかしい。 「これ、探してたんだろ?」 「……え?」  ふいに差し出された、中曽根の右手。  上着で隠していたその手を、彼は上向きにゆっくりと開いた。  すると、そこには。 「……!」  それを見た瞬間、声を失った。  耳が熱くなるのを感じて、硬直する。  だって、まぎれもなくそれは──今、私が探しているあの消しゴムだったから。  なんで。  なんでよりによって、それを中曽根が見つけるの……! 「……おまじない」  中曽根がかすれた声を出した。  彼らしくない小さな声が、理科室に響く。 「おまじない、見ちまった」 「…………──っ!」  言われたことを、理解して。  それでも、まっすぐにこちらを見てくる中曽根の視線が痛くて。  私は泣きたくなるくらいに、顔を赤くした。  嘘──やだ。  どうしよう──いやだ。  恥ずかしい──消えてなくなりたい。  グルグルと混乱する頭のせいで、私の唇はわなわなと震えていた。 「や……だ……」  泣きたい───……逃げたい!  私は中曽根の視線に耐えきれなくなって、後ろへ振り返った。でも。 「待てよ!」  と、中曽根が私の左手をつかむ。  そしてそのつかんだ手に、何かを握らせた。 「……これ! お前も見ろよ!」 「……!?」  痛いくらいにつかまれた左手に、何かを渡された。  恐るおそる左手を開くと、そこには消しゴムが一つあった。でもこれ、私のじゃない……? 「いいから、見てよ」  中曽根はもう私の手を離して、ぶっきらぼうにそう言った。  心なしか、中曽根の顔も紅潮しているように見えるのは……気のせいなの? 「ケース外しなよ」 「……?」  言われたとおりに、その消しゴムをケースからそっと引き抜く。  そうだ、これ、中曽根の消しゴムだ。いつも隣の席から見つめていたから、知っている。  その消しゴムの本体に、とある文字がペンで書かれていた。中曽根の不器用そうな文字で、たどたどしく。 ──『戸田 るり』  驚いたと同時に、私の手のひらから中曽根は自分の消しゴムを奪い取る。  それはまるで、あの先日のやり取りが逆転したかのような光景。  そして私の消しゴムを代わりに押しつけると、今度は中曽根が逃げるように私に背を向け走り出した。  彼は扉の前で振り返り、その消しゴムを握った拳を高くあげる。真っ赤にした顔で笑いながら言った。 「どっちが先に使いきるか、勝負な!」 「!」  そう言い残して彼は、バタバタと理科室から去ってしまった。  残された私はどうしていいかわからず、へなへなとその場に座り込んでしまった。  ちょっと。  ちょっと待って。  どういうこと。  またしても疑問符が、グルグルと回転し始める。  中曽根はおまじないの意味、わかっているの?  それを使いきることがどういうことか、わかっているの?  心臓がうるさいくらいに鳴り響くもんだから、そんな疑問もまともに考えられやしない。  つかまれた左手と握っている消しゴムがただただ熱く感じて、私はその場をしばらく動けないでいる。  ぼう然とへたりこんだ私をからかうように、部活動に励むみんなの声がグラウンドから理科室へと届いていた。
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