春の章「片恋消しゴム」 ① るりSide

3/5
前へ
/86ページ
次へ
 ホームルームも終わり、一限目が始まる前の時間に、私のとなりに座る彼が「あれ?」と首をかしげた。  中曽根の席は、私のとなりだ。絶賛片想い中である私は、すぐに彼の行動に気づくことができる。  というか、幼稚園からの幼なじみ。どうして彼が首をかしげているかなんて、ピンとくるのだ。 「もしかして、何か忘れ物?」  ずっと彼を気にしていたくせに、さも「今気づきましたよ」みたいな顔をして、私は話しかけた。 「お、戸田よくわかったな」 「わかるわよ。この忘れ物大臣」 「はっはっは。何なら総理と呼びたまえ」 「おバカ」  お調子者の中曽根との、こんなやりとりは昔から。でもこんなおバカなやり取りが、私は大好きなんだ。  クシャって笑う中曽根の顔が、好き。  おどけて笑う仕草も。  最近大人びてきた喉元も。  まだ長い袖から出している手も。  じつは全部ぜーんぶ、好きなんだよ。  なんて……言えるはずもないんだけどね。 「で、何を忘れたの?」  なんとはなしに、中曽根にそう聞いてみた。すると。 「消しゴム」  と、彼はドキッとする単語をつぶやいた。 「……消しゴム?」 「うん。戸田、ちょっと貸してくれる?」 「か、貸す!?」  それは……ま、まずい! 「何、そんなに驚いてるんだよ」 「い、いや……その」 「それ貸してよ」  中曽根が指先でそれを指す。なぜよりによって私の消しゴムは今、ペンケースからはみ出ているのか。  自分を責めたい気持ちが押し寄せてくるが、そんなのは今は後回しだ。ど、どうすれば良い? (これで貸さないのっておかしいよね? でも貸したらおまじないの効果が……? いや、この場合、片想い相手本人なら逆に効果増? ……ってバカバカ! 貸すのはやっぱり、リスク高くない!?) 「なーに一人で百面相してるんだよ。借りるぞ」 「あ!」  私がぐるぐると考えている間に、中曽根は無遠慮にも禁断の消しゴムに手を伸ばして、持っていってしまっていた。 (な、中曽根ぇ〜!)  私の心中に突然、嵐が吹き荒れはじめた。  だって彼が今持っている消しゴムには、彼本人の名前が書かれているのだ。彼の消しゴムじゃないのに、だ。 (ああ、神様……!)  と祈ることしかできない私のとなりで、何も知らない中曽根は消しゴムを使い始めた。のん気にも「ふんふーん♪」と鼻歌なんか小さく歌って、プリントの字を消している。  まさかその消しゴムに、自分の名前が隠されているなんて彼は思ってもいない。  だ、大丈夫そうかな? 別に普通に使うだけなら、大丈夫だよね。  私はゴクリと固唾を飲んで、中曽根を見守っていた……が、しかし。  ふいに中曽根が、消しゴムを両手の指で持ち始めた。  よく見たら、使われ小さくなった消しゴムはケースから少ししか出ていない。  も、もしや。ケースをずらして使おうとしている?  中曽根の指先にグッと力が入るのがわかった。左指は消しゴム、右指はケースにかけられていて、その動作はまさに、消しゴムを引き抜こうとしている動作……! (だ、ダメーーー!)  私のその叫びは、もれることはなかったが行動に出てしまっていた。 「うわ!」と叫んだのは中曽根だ。  一方私は、ガタン! と自分の椅子と机を大きくずらして、差し出した手で彼から消しゴムを奪っていた。  私の電光石火の行動に、中曽根がびっくりしている。 「な、なんだよいきなり?」 「だ……ダメ! やっぱり貸せないっ」  これが変な行動に見られているってことも、まわりの席の子がこちらに振り返っていることにも気づかずに、私はひたすらに小さな消しゴムを両手で握りしめた。  胸の前で握ったそれを、ぎゅっとぎゅっと、ひたすらに隠した。 「はぁ? なんで……」  中曽根が不満そうに眉をしかめたそのとき、一限目の授業の先生が教室に入ってきた。 「はいはーい。みんな席に早く着いてねー」  のん気な声を出す先生に促されて、立っていた数人の生徒が自分の席に戻っていく。  タイミングを失ったのか、中曽根はそれ以上私を追求しなかった。  でも。 「……感じわりーの」 「!」  小さくもらされた、彼のその言葉に。  私の胸がチクンと痛んだ。
/86ページ

最初のコメントを投稿しよう!

66人が本棚に入れています
本棚に追加