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第一章:エリア1-1
天生暦十五年。台風や竜巻、大雨などが頻発に発生し、甚大な被害が齎された。世界の人口は半分にまで減少し、各地で畑は枯れ果て、水辺付近では水害の被害が大きく真面に食糧が補給できない状況だった。深刻な食糧不足によって、内乱が各地で続出した。それによりだんだん人口が減少していく一方で、宗教的救済を求めた人々はメシアによって救済された。
そんな中、荒れ果ててしまった鋼鉄都市に住む二人の兄弟が目を覚ました。彼らの名は、イザヤ・ネメシスとエリーザ・ネメシスと言う。イザヤ達の目を覚ました場所は、廃屋だった。むき出しのパイプや鉄骨。天井から滴る水音が良く響いた。外の光景がよく分かるほどにむき出しになった建物の中、地平線さえ見えないほど建物に囲まれたこの都市は物理的に歪んでいた。大雨によってぬかるんだ地面はだんだんコンクリートを蝕んでいき、コンクリートは下の地層に埋もれていく形で沈没しかけていた。それによって建物も地面に吸い込まれていく。イザヤ達のいる場所も危ないだろう。地面は味方をしてくれない。なので、建物の上に一時的に避難する事にした。窓の外をよく見ると、他の建物も斜めに傾いていた。全てが高層ビルやコンクリートで固められた建物だったので、自然災害によってすべて崩壊した。脆い建物だった。自然の脅威に敵わなかった建物たちが次々に沈んでいくのを目の当たりにした。ゆっくりと、時間をかけて。まるで地面が、本で読んだ海の波の様に思えた。
離れないようにとイザヤはエリーザの手を取った。しっかりと頑丈に手を繋ぎ、安全な場所へ避難する事にした。建物内はとても音が響いた。静寂に包まれたこの空間はまるで異次元の様だ。
自分達ではどうにもできないこの状況でも、大人がいれば多少は状況が変わるかもしれないと思った。他の生きている人間を探しに行こう、イザヤは思い立った。その前に、自分たちの生命の保持が必要不可欠だった。まずはエリーザの命を守る。次に自分。自分なんかより、エリーザの方が長く生きなければならないからだ。その理由は分からない。けれど、そんな気がしたから。
前を向いてひたすら上に登っていく。瓦礫の山を、登山しているような感覚だった。登山に必要なアイテムを持っていないイザヤ達にとって、瓦礫山の登山は過酷な物だった。イザヤが先に上り、エリーザを上へ引っ張る。それを繰り返して二階、三階と上に上がる事が出来た。本来はすべての建物にエレベーターやトラベレーターが設置されているが、電気が通らなくなったどころか建物がほとんど沈没している為使えない状況だった。仕方が無い。こうするしかない。そう自分に言い聞かせて屋上に着いた。
ふわ、とした風が吹いた。髪をさらって靡かせる心地の良いそよ風。「痛っ…」と横から声が聞こえた。エリーザが怪我をしたようだった。「見せてごらん?」そう優しく声をかけ、怪我をした場所を見た。エリーザの脛が瓦礫と擦れて切れてしまったのだろう。イザヤは自分のハンカチで血を拭ってやり、シャツを千切って脛に巻いてあげた。これで少しは菌から守れるだろう。そう願いたい。
怪我をすれば、応急処置をしてなお病院に行けばいい、とそう思っていた。けれどこの発展し続けてしまった社会では、全てロボットが仕事を担っていたため、電気が行き渡らなくなってから、地面が陥没し始めてから、病院と言う概念がなくなった。怪我をすれば、太古の人類のようにすぐに死んでしまうかもしれない。少し違う点は、知恵の有無だろう。知識量で言えば、現代の方が進んでいるから。けれど、油断大敵。いつも以上にエリーザに気を使わなければならなくなった。ちらちらと横を見ながら様子を窺う。イザヤの心配性が仇となったか、「大丈夫だよ、兄ちゃん。心配しないで、只の掠り傷だよ」とぎこちない笑顔で言った。逆に心配させてしまったか、本人が一番分かっているはずなのに。
今いる建物の周りには背の低くなってしまったビル群が並んでいた。どれも不安定な見た目の斜めに沈んでいるビルたちだ。飛躍してそのまま次のビルへ行く事も出来るだろうが、エリーザの為に楽な道を選びたかった。けれど、周りを見ても楽な道なんてどこにも無い。周りと比べて比較的高いこのビルはまだ余裕がありそうだったので、少し休憩する事にした。屋上には大きな穴が開いていたり、瓦礫があったりしてあまり安心できるような場所ではないが、たった一人の家族の為に。たった二人きりの家族だからしっかりと休養を取り、次の安全そうな場所へ急ぐことにした。
「兄ちゃん、喉乾いちゃった」
「水かい? あるかな……探してこようか」
「うん、ここで待ってるね」
思えば自分も喉が渇いていた。妹の為にと思って自分の体を案じていなかった。先程自分たちが居た場所まで戻ってみようか、それとも一階ずつ水の有無を確かめようか。そう考えながら慎重に降り進んで行った。
屋上から一つ下の階では水の滴る音が聞こえるが、水溜まりほどの大きさのものはなく、精々地面に沁み込み切れなかった水溜まりくらいしかなかった。要は何かですくえるくらいの量の水でなければならないので、フロアを散策した物の水溜まりは見当たらなかったのでまた一つ下の階に降りることにした。
一方、エリーザは瓦礫に背中を向けて三角座りをして兄の帰りを待っていた。本当は彼には言いたくなかった。けれど、ああでも言わなければ自分の体を大切にしないのだ。イザヤは小さい頃、技術者になりたいと言ってひたすらロボット学に耽っていた時期があった。あの時も目の前に事に集中しすぎて熱を出した事がある。何かに熱中する事は良い事だが、彼の場合は周りが見えなくなるうえに自信の体に対して関心が無いのが問題だった。なので本当はそこまで水を飲みたいわけではないが、彼の為に言いだしてしまったのだ。後悔はしていない。兄の為になるのならなんだってするつもりだ。
太腿に額をつけ、顔をうずめた。左手で左耳につけているお守り代わりの耳飾りをそっと握った。どうか怪我などをしませんように、そう念じた。すると、エリーザの周囲をエメラルド色の光が囲った。放射線状に薄く伸びるそれから声が放たれた。
「優しいんだね、君はいつも」
そう言っていた。声と同じタイミングで光は点滅をした。まるでその光が喋っているようだった。
「私はいつも見ているよ。君の過去とその前も」
不思議な声色だった。けれど、どこか安心する声だ。誰かも見当がつかない。
――いつも見ている――。
――君の過去とその前――。
この二つが妙に引っかかった。この光と声の正体は何なのだろう。そしてどういう意味なのだろう。考えても無駄な事くらいはすぐに分かった。けれど、考えずにはいられなかった。意味なんてない。ただ、その声の主は、全てを知っている人物だと悟った。神様? 違う。神様なんて存在しない。する訳が無い。神様がいるのだとしたら、この絶望的な状況を打開してほしい。どうしてこんなに酷い事をするのか、人間を減らして、動物を減らして、また新たな宗派、派閥、新たな生物を生み出そうとしているのか。一掃して新しくしようとしているのか。それとも、人類を滅亡させようと思うほどの怒りを誰かが買ってしまったのか。誰にも分からない問題に頭を悩ませていると、エメラルド色に光っていた光はだんだん消えて行った。それと同時にどこから光が出ていたのかも分かった。左耳につけていた耳飾りからだった。宝石のような物で、ネメシス家に代々伝わる代物だった。イザヤは父から、エリーザは母から送られた物。ネメシス家の象徴とも言われている。それと同時に、ある宗教から恐れられている代物だった。何故かまでは知らない。教えてもらえなかった。いつか教えてもらえる、そう思っていた直後の出来事だ。二人で仲良くいつものように散歩をしようと楽しく和気藹々と会話していたところを直撃した自然災害。家にいたから、助かったわけでは無かった。家族さえ消えていた。跡形もなくなった。自分と兄だけが〝生かされた〟。
そうだ。
これは、神様からの試練なんだ。
本当に神様がいるのかどうかは分からない。けれど、そうとしか考えられない。
自分は何の宗教の人間でも無いが、どれも信じていないわけでは無かった。
誰かの挑戦を、私たち兄弟に課せられているのだとしたら。
誰かが放った「生命の保持」と言う責任を私たちに押し付けているのだとしたら。
私たちにしかできない事なら、やるしかないのではないだろうか。
この事はまだ、兄には黙っておこう。また心配かけさせても私が嫌だから。
早く、帰ってきて。
*
最初に自分たちが居た階層まで戻ってきたが、滴る水は深さも広さも兼ね揃えておらず、それよりも汲み取ることが出来ない状況だった。絶望的だった。仮に喉が渇いていなかったとしても、この先の事を考えれば一度くらいは水を補給しておいた方が良い。どうすればいい。どうすれば水を確保できる?
イザヤは座り込んだ。力なく膝を崩した。
「……エリーザ、俺は、エリーザの為に、何が出来るんだ?」
まだ十五になったばかりの少年には、否、きっと年を重ねた大人でさえこの状況から脱出するのは困難極まりないだろう。しかし、諦めることは誰にでもできる。挑戦する事は自分にしかできない事だ。イザヤはすぐに立ち上がり、もう一つ下の階層へ降りて見る事にした。エリーザの事が心配で、何度も後ろを振り返ろうとする。けれど振り返ったとしても見える訳が無い。イザヤは怪我をしないように慎重に瓦礫の山を下りた。
そこには先程とは打って変わって澱んだ空気が流れていた。
先程は吹き抜けのようになっていた壁だが、この階は逆に壁や瓦礫によって窓が無く、光がほとんど遮られていた。暗い中、足元を確認しながら静寂の中を進んだ。
右からも左からも水音が聞こえる。人より耳は良い方だが、これだけ静かなら普通の聴力でも聞き取れるだろう。一歩前へ進むと、ポチャン、と音がした。足場には水溜まりが出来ていた。
「……! 水だ……」
しゃがんでその水が安全かどうか確かめてみることにした。暗くてあまり見えないが、その水溜まりは広い範囲に広がっていて、部屋の中央辺りに穴が開いていて、少量程度だが滝のようになっていた。すくうものがあれば水を回収できそうだった。諦めなくて正解だった。ほっと胸を撫で下ろし、次に何かコップのような物を探した。できれば避けたいが瓶でもこの際良い。何でもいいから早く見つけて水を回収し、妹に飲ませてあげたい。
イザヤは立ち上がり、部屋を散策した。先程来た瓦礫の山の隙間から刺す光を頼りに右往左往する。壁を伝って足元を確認しながら一周し、部屋の中をまんべんなく調べ尽くした。しかし、あの水が流れる穴以外何も無かった。とりあえず自分だけでも水を飲もうと思い、水を両手ですくって飲んだ。冷たくて美味しい。やっと水にありつけた嬉しさと感動で感極まって泣きそうになったのを堪えた。今は泣くべき時ではない。早く妹に届けなければ。
穴の先は暗くて何も見えない。
けれど、音が聞こえる。
カン、カン。
コツン、コツン。
固いものが壁に当たる音と、足音だろう。耳を澄ますとよく聞こえた。
穴は先程の瓦礫の山と同じ程度開いていて、下は見えないし先程の足音から分かる通り、固い床があるのだろう。瓦礫の山を伝って降りることが不可能、だとすれば、どう降りようか。それに、下の階に何かがいるのは確かだ。それが人間かどうかも分からない今、どうする事も出来ない。どうしよう、妹をここまで連れてくるべきか、それが一番得策かもしれない。よし、戻ろう。そう思い、身を翻して瓦礫の山を登ろうと手に賭けた瞬間。
『――、――』
嫌な気配がした。
嫌な音が聞こえた。
先程の穴からだ。
ミシ、ミシという嫌な音と、ガリ、という床が削り取れそうな不快な音。耳にこびりつく嫌な音たちがこだましている。そして、鼻につく鉄の臭い。血の臭い。
「……っ」
声を出さないように、音を出さないようにと慎重に後ろを振り返った。
すると、『――貴様は何者だ』と振り返った途端に声が聞こえた。耳から届く声にしてはとても近距離だった。振り返った先には何もいなかった。あの不快な音も聞こえなくなった。息を呑んだ。正体を探るように、ゆっくりと口を動かした。
「ぁ……い、イザヤ、イザヤ・ネメシス。屋上に、い、妹も、いる」
怖い。
何も見えない。正体が分からない何かに自分を晒す恐怖が分かるだろうか。何をされるかも分からない。敵か味方かさえ分からない。怖い。ただただ怖かった。
『……ネメシス……、イザヤ、……妹』
見えない何かは、俺の言葉を復唱した。聞いたことの無い声だった。その声でさえ恐怖を感じる。その声その物に対しての恐怖だった。何故だろう。声を聞きたくない。聞きたくないのに、どこから聞こえるかも分からない。耳元では無くて、これは、直接、頭の中に響いている感じだ。
『……嗚呼、……知っている……俺は知っている……貴様を……あそこで……』
次の言葉を聞いた瞬間、体が凍ったように硬直した。
『殺した』
殺した、?
どういう意味だ。見えない何かは俺の事を知っているのか?
正体は何なんだ?
その後、謎の声は聞こえなくなった。しばらく放心状態だったが、妹の事を思い出し、恐怖で震える手を無理矢理動かしながら瓦礫の山を登り、なんとか屋上までたどり着くことが出来た。
太陽は頭上を通過した。そろそろ太陽の下から抜け出した方が良いかもしれない。
エリーザに先程の水が飲める場所について話し、移動する事を伝えた。エリーザは「分かった」とだけ言い、イザヤの後をついていった。怪我をしている方の足を庇いながらエリーザは歩みを進めた。
暗い層に着き、水音を響かせながら穴の場所まで行ってエリーザはイザヤに教えられた通りに両手で水をすくって飲んだ。
「これから、どうしようか?」
イザヤとエリーザは瓦礫の山に腰かけて今後について話した。
「他に道はあるの?」とエリーザは聞いた。
「少し距離はあるけれど、下の方に建物がある。屋上からならジャンプして移動できるかもしれないけど、エリーザは厳しいかもしれない。」
「そう……でも、他に道は無いなら、行くしかないと思う。最初に見た感じだと、だんだん建物が沈んで行ってる。またいつ雨が降るか分からない今、移動しないと今度こそ道が塞がれちゃうかもしれないよ?」
エリーザの言う言葉は尤もだった。イザヤは躊躇いつつも、「分かった」と立ち上がり、瓦礫の山を登った。エリーザも後に続いた。
「行こう。またなにかアイテムがあれば、ちゃんと処置してあげるからね」
イザヤはちら、とエリーザの脚を見て言った。「うん、ありがとう」ぎこちない笑顔を向け、二人は再び屋上へ上った。
行ける場所は北方面、東方面、西方面の三方向。北方面の方の続く建物は少し飛躍すれば届く高さと距離にあった。東・西方面はどちらも背が低く、受け身を取れたとしてもエリーザの体が心配になるほどの固いコンクリートでできた建物だった。イザヤは迷わず北方面へ進む事にした。
「こっちへ行こう」
「うん」
イザヤはエリーザの手を取って、一緒に飛躍し、次の建物へ辿り着いた。
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