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船旅
鳩の群れがフミの足元を、首を上げ下げして周っている。フミが袋から餌を投げると、鳩はずかずかとそれを追うのだ。中には真っ白で綺麗で、でも弱弱しい小鳩がよちよちと周りを伺い、餌にありつけないでいる。
「ほらっ、カワイソウだろ」
とそいつを俺が指さす。
フミはなんだか意地悪を語尾に含めて
「知ってるよー、あの奥手っぽい子でしょ」
と笑いながら、ほれほれと餌を投げる。それも太った茶鳩に横取りされ、フミもむきになって片手いっぱいの餌をばらまく。
「チョイ盛りのサービス!」
「はは、大雑把だな」
俺は久しぶりに笑ったような気がした。昨日のテレビのショートコントでもそれなりに笑ったけれど、それとは違う部分が。
「これで、おしまい」
「こんなところで、餌を使い切るなんてなー。船に乗ってからだろ、普通」
「だって、わたしは乗らないもん」
「行かないのか」
「うん、決めた。わたし、ここが好きなんだ。ここの畑だったり、トマトだったり、山田ベーカリーのコロッケパンだったり、仕事だったり、まだバイトにちょっと足した程度のものだけれどね、やりがいがあるんだ」
「そっか」
俺よりもここの土地が好きなんだな。俺もここが好きだ。フミも好きだ。だけど、もっと好きなものが、この空の向こうのどこかにある気がする。そんなあやふやな「ある気」に向かって旅をするなんて、ノリのいい友達は応援してくれるけど、真剣な仲間は止めろと言ってくれて、過去に旅をしていた親父もそこで出会った母もそう説教していて、だけどその気分は止められない。気分としか言いようのないふわふわしたものだけど、俺の背中を強烈に押す追い風だ。これに逆らっては、もう、立っていることさえ出来ない。前へ、前へと駆り立てる。
フミの顔が目の前にある。ちょっと笑ってる。
「ゾーンに入っちゃって。見えなくなっちゃうんだから。でも、そういう一途なところ、好きだよ」
「そっか、俺も好きだ」
なんて、告白を潜めてみた。なんて。弱ったらしいな、自分。
「ははっ、やっぱり自分大好き人間なんだー。自分が好きなんて、ナルシストー」
「ははっ」
そんな感じで玉砕するのも、俺らしい。確かにそんな俺を、俺は憎めない。もう一つ踏み込んで、お前のことがだよ、なんて言えない。言うのが格好悪い気がする。そこまで自分で分析みたいなものまでしてしまっている。頭でっかちなんだな。フミはなんか凄い勢いで文句を言い続けてる。
「こんなんだから、誰とも相談しないで旅に行っちゃうんだよ。せめてわたしに相談してくれたってさ。別にいいけどさ。あーあ、本当にあっけらかんとした空だよね。梅雨時らしくない。たまの晴れ間。こんな時、隣町まで夏服買いにバスでごとごと行ったよね。子供の時の大冒険。帰りは日が落ちちゃって、叱られたっけ。ねえ、今度も帰ってくるよね。帰ってくるか。どうでもいいか。ほんと、わたし何言ってんだろ」
「ほんと、何言ってんだか」
「ははは」
「はははは」
「馬鹿っ」
「なんだよ、なんでバカなのか、わかんねーぞ」
「わかんなくていーわよー」
*
「はい」
カッパエビセンが渡される。
「鳩に全部やったんじゃないのか?」
「も一つ、買ってきた。どんなんだか見れないけど、なんだか見て欲しいじゃん」
「ありがと。何円?」
「二百円」
「なんだ、そのぼったくり価格。ちょっと待ってな」
「いいよ」
「あっ?」
「帰ったら返してね。出世払い」
「えらくショボい出世払いだな、係長補佐級?」
「バイトのサブリーダー級」
「はは」「はは」
「じゃね」
「じゃな」
*
真っ青な空のようで、でもやっぱり雲はところどころに散らばっている。でも、太陽は眩しい。風はシャツを通り抜け、髪をくすぐる。
その空の中を船は走る。
船の甲板の底からはエンジンの振動が絶えず小刻みに揺れている。直に見ると異様に大きいプロペラはごうごうと派手な重い音を立て続ける。
カッパエビセンを空に投げた。カモメだかトビだか、名も知らない鳥たちが、ぐぐっと旋回して下降して、落ちていくそれをキャッチする。
鳥の群れに投げ入れてみると、それぞれの鳥は衝突しないぎりぎりの位置で縄張りを保ち、ある鳥は踏み出し、ある鳥はけん制する。けん制しあってこぼれたのを狙うような位置にも、また二匹、三匹、そこにも競争がある。
「このヤロー」
高く思いっきり投げたそれを、焦げ茶の大鳥は受けそこなったが、その下横から若鳥が滑るようにダイビングしていく。
フミのくれたカッパエビセンは、カッパのように雨こそ呼ばなかったが、鳥たちを引き連れていった。
船は風を泳ぐように前へと進む。
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