第一章 鈴間屋アリスは早起きする

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第一章 鈴間屋アリスは早起きする

「鳥類戦隊バードマン! このあとすぐっ!」  テレビ画面で、男が叫んだ。  何本かのCMを挟んで、軽快なメロディが流れる。 「戦え! 僕らの鳥類戦隊バードマン」  さきほどと同じ声で誰かが吠えた。  メロディのむこうでは、色々と爆発している。 「お嬢様」  ぼーっとテレビを見ていた鈴間屋アリスは、かけられた言葉に顔をあげた。茶色い長い髪の毛が、一緒に肩の辺りで踊る。 「ああ、白藤。おはよう」  日曜の朝、まだ七時半だというのに、白藤銀次はいつもと同じぴたっとした細身の黒いスーツを着こなしていた。いつ見てもそれだ。もしかして、それ以外の服持ってないんじゃなかろうか。 「おはようございます」 「どうしたの?」  背の高い彼を見上げる。短く整えられた黒い髪が、襟足の方で一カ所だけはねている。少しだけアリスは微笑んだ。あとでからかってやろう。 「お嬢様が日曜日の朝だというのにこんなにはやくから起床して、きちんと寝間着から部屋着にお着替えになり、ご自分の部屋からでていらっしゃって、団欒室でテレビなど見ていらっしゃる。すわ天変地異の前触れではないか。私はいま手が離せないから見て来てくれないか、とシュナイダーさんに頼まれまして」  銀次は整った顔立ちを崩すことなく、淡々と答えた。 「……それ、バカにしてる?」  アリスは意思の強そうなアーモンド型の瞳を細め、彼を睨みつける。 「まさか。早起きは素晴らしいことですね、と言っただけです」 「はいはい。どうせ私は休みの日はお昼になるまで起きてきませんよーだ」  ふんっと不満そうに形のいい鼻をならすと、アリスはテレビに向き直る。 「本当に珍しいですね。お嬢様が鳥類戦隊バードマンをご覧になるなんて」  アリスから二歩分後ろで、しゃきっと立ったまま銀次が問う。 「んー、ほら一応この番組のスポンサーだからね。一回ぐらい見ておこうかと思って」  テレビでは、特撮の戦隊ヒーローが頑張っている。 「さようでございますか」 「白藤」 「はい?」 「三十分そこに突っ立ってるつもり? 目障りだから座ったら?」  少しだけ視線を後ろに向ける。 「お嬢様は後ろにも目がついていらっしゃるのですか? はたまた視野の広い、草食動物なのでしょうか? お野菜お嫌いなのに」  これは驚いた、と銀次が続ける。……まあ、確かに、二歩分斜め後ろは視界に入らないけれども。 「……やっぱり立ってなさい」  今日も優しさを素直に受け取らない銀次にうんざりしながらそう告げると、画面に再び向き直る。 「……白藤も子どもの頃、こういう番組見ていたの?」  小さい子どもにまとわりつかれるヒーローを見ながら問いかける。 「はい。私のころは、タイガー戦隊トラレンジャーでしたね。友人とよく遊んでいました。玩具も持っていましたよ」 「ふーん」  ぴしっとしたスーツをきっちり着こなしているこの男が、ヒーローごっこをしていた時代なんて想像できない。 「お嬢様はいかがでしたか? お嬢様も、一応女の子ですから」 「一応ってなに」 「魔女っ子ものの方でしたか? ええっと、お嬢様は私の四つ下ですから、……そうですね、リーガルユカナ辺りですか?」 「私、小さいころアニメとか見せてもらえなかったの。教育テレビ以外。っていうか、なにそれ。リーガル?」 「リーガルユカナですね。魔法の力で小学生の女の子が弁護士になるんですよ」 「うわぁ、クソつまんさそぉー」  つぶやくと、 「お嬢様」  一言呟かれた。たしなめるように。 「……あまり興味をそそられませんことね」  にっこり微笑みながら言い直した。 「お前達の思いどおりになんてさせない!」 「来たな、バードマン! ここがお前らの墓場だ!」  ぴろんっ。  番組の構成とは関係ない音がして、アリスは画面に視線を戻した。テレビ画面の上部に白い文字が現れる。  同時に机の上に置いていた携帯電話も警報音を鳴らした。 「地球の平和は俺たちが守る!」  五色のヒーローと黒っぽい敵が画面上で入り乱れる。その上に書かれた言葉。  東京都××区でXが出現。  その文字にアリスは顔をしかめた。 「また? 本当物騒よね」  そして二歩後ろにいるはずの彼の方を向く。 「ねぇ、白藤?」  けれども、 「あれ?」  そこに銀次の姿はなかった。 「んもーっ!」  何も言わず消えた彼に、アリスは頬を膨らませた。 「白藤!」  アリスが、その姿を探そうとしたところ、 「アリスお嬢様」 「シュナイダー」  廊下を通りかかった執事長のシュナイダーに声をかけられた。 「いかがなさいましたか?」  初老の外国人執事は、いつもと同じ落ち着いたトーンで尋ねて来る。 「白藤知らない? 急にいなくなったんだけれども。私に断りもなく」 「ああ」  シュナイダーはその皺だらけの顔で微笑んだ。 「ここだけの話ですが」  内緒話をするように声をひそめると、 「銀次くん、朝からお腹の調子が悪いそうですよ」  割とどうでもいい事実を教えてくれた。 「ああ。なるほど。トイレか、げ」 「アリスお嬢様」  最後まで言う前に名前を呼ばれた。優しい声だが、これはたしなめる言い方だ。銀次といい、シュナイダーといい、言葉遣いにうるさい。 「はやくよくなるといいですね」  言い変える適切な言葉が思いつかず、適当に気を使うフリをした。 「まったくですね」  シュナイダーが真面目くさった顔で頷いた。  それから、 「お嬢様。朝食は何時にお召し上がりになりますか?」 「珍しく、私が早く起きちゃったから準備が間に合ってないでしょう?」  皮肉っぽく言ってみるも、 「ええ、お恥ずかしながらそのとおりです」  シュナイダーは真摯に頷いた。皮肉もからまわりだ。 「いつものようにブランチスタイルになさるかと思いまして」 「そうよね。だから、凝ったのじゃなくて、トーストとかでいい。おかずとかもなくて。 迷惑かけちゃってるから」 「迷惑だなんてそんなことは」 「今更気にしてない?」 「ええ、そのとおりです」  嫌味だって通じない。  それにアリスは脱力して笑った。 「トーストになさるのでしたら、こちらにお持ちしましょうか?」 「いいの? お行儀悪いんじゃない?」  食堂以外で食事をとることを、酷く嫌がるのに。例え仕事が忙しくて、書類を見ながらの食事だって口うるさくお小言を言うのに。 「たまには特別です」  そうしてシュナイダーが悪戯っぽく笑う。 「早起きしてみるものね」  アリスもそれに答えて笑った。 「しばらくお待ちくださいね」  そのまま忙しそうにシュナイダーが去っていく。  一人残された部屋で、アリスは再びテレビに向き直った。番組は中断されることなく、戦いを続けている。 「……具合悪いならちゃんといいなさいよね」  それを見ながら、苦々しく小さく呟いた。
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