憂い

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/14ページ

憂い

その男は、天才では無かった。戦争が起こるたびに戦場へ駆り出され、敵国の兵の命を奪う。しかし彼はそれだけではなかった。 自分の隊の兵を一人残らず生還させて帰ってくる。尚且つ、国に勝利をもたらす。 それがこの国の英雄、リウル・ダスティアであった。 彼は男ながらも戦場の女神と崇められ、慕われた。民草からの応援を受けているからか、彼はとても強かった。この国を愛し、国のために戦っていたのだ。故郷を愛する者が戦果を挙げて称えられるなど、どれだけ嬉しいことなのだろうか。血まみれになりながらも、怪我を負いながらも彼はその瞳を揺らがせることなく国を、兵を背負っていた。 故郷の思い出などとうの昔に置いてきた自分に国を命がけで守る理由も、市民からの声援を良いものとして受け取る理由も分かる由も無かった。 俺に無いものを全て持っているのに自分より年も若い。見てきたものも違う。 神はどうしてこんなにも非情なのだろう。いや、神なんてもの存在しない。そんなもの、ただの人間が考えた虚構なのだから。 彼を遠目でしか見ることの出来ない自分。そんな自分の存在すら知らない彼。月とすっぽんのようなものだろう。最も、比べること自体がおこがましい気がする。 道行く部下や幹部らに愛想良く話しかけ、仲良く会話をする、なんて前の暮らしでは起こりえないこと。毎日どこかで殺人が起こる。窃盗が起こる。強姦が起こる。いつ死ぬかも分からない状況で一日を凌ぐことだけを考えてきた。軍に入った時もそこら辺を歩いていたら軍部にスカウトされただけで、それで身元の安全が確立できるのならと入った。いつ死ぬか分からない状況であるのも保証されていればどれだけ良かったことだろうと思ったりもしたがそこまで願ってしまうことはここにいる意味は無いと自分の中で清算した。 でもただそれだけで、理由なんてなかった。 眠気が襲ってくる昼下がり。少し離れた訓練場で真面目に訓練している勤勉な兵たちを見るだけでもうんざりしてくる。 「真面目なことで。」その輪の中には当然彼もいた。 二等兵たちに戦術でも教えているらしく、竹刀を持って基本の構え方を若い兵だけにではなく、彼よりも背の高く年を重ねた兵たちにも教えていた。 実際、皆強くなるために真面目に訓練を受けているわけではない。彼に気に入られるために、彼の隊に入れば多少危険な目にあっても帰ってこれるという絶対的な考えのために彼の周りにいる。 汚い光景だった。 本当なら自分もあの輪に入らなくてはならないのだが、そんなことしなくても多少の重火器や刀の扱い方は知っているし、自分の身は自分で守れる。彼に守ってもらおうという考えなどさらさら無かった。 だから無駄な時間を過ごしたくはないとこうして木の上で昼寝をしている。 これが今考える中で一番有意義な時間の過ごし方だと思っているがための判断だった。 手を頭の後ろで組んで枕代わりにするが長い髪が手に巻き付いて鬱陶しい。女並みに髪は長いが切るのも何か勿体ない気もするから切っていない。縛るのも億劫で毛が少ないと言われるような髪の量でも無法地帯になっている。うまく髪を横に流したところで昼寝を始めた。
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!