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「もしもし、お母さん?」
『あ、恭子。ごめんねぇ、今大丈夫かしら?』
「うん、大丈夫だけど。私、なんか忘れてったかな?」
『ううん、そうじゃないんだけど……』
忘れ物なら取りに戻らないと、と考えていたけれど、どうやらそうではないらしい。
母はなぜか歯切れが悪そうに、ぼそぼそと小さな声で話し始めた。
『あのね。恭子たちが帰ってから、お父さん泣いてるのよ』
「…………え?」
『めそめそしながら、恭子の小さい頃のアルバム引っ張り出してきて眺めてるの。なんだか可哀想になっちゃって……』
「え、ええー……?」
ついさっきまで「お前みたいな生意気な娘は知らん!」だとか、「親に対してその態度はなんだ!」だとか、テンプレートのような小言をこれでもかと吐いていたはずの父が、どういうわけか泣いているという。
困惑のあまり言葉を出せずにいると、電話口の母は呆れたような口調で言った。
『お父さん、きっと寂しいのよ。恭子はまだまだお嫁に行かないと思って安心してたのに、いきなり言うんだもの。しかも相手まで連れてきて』
「そ、そんなこと言われても……」
『お母さんは嬉しかったけどね? でも、お父さんは複雑だったんでしょうねぇ』
「……もしかして、寂しいってだけであんなに反対してたの?」
『そうじゃない? 本当に反対してたら、きっとあんたたちまだ家にいるわよ。お父さんのながぁいお説教の真っ最中ね』
隣に座る杏介くんが、ちらちらと私の方を窺い見ている。何があったのか気になるのだろう。
でも、私はそんな杏介くんに答えることも、気の利いた言葉を返すこともできずに、ただ黙って母の声を聞いていた。
『だから、また近いうちに帰ってきて。お父さんも喜ぶだろうし』
「……う、ん」
『あっ、杏介くんもぜひ一緒にね! 今日はゆっくりお話しする暇も無かったから、今度はちゃんとお話ししたいわぁ』
母はそう笑ってから、夕飯の支度をすると言って電話を切ってしまった。
スマホを握りしめたまま口を閉ざしていると、いつの間にか目的地の展望台に着いたようで、杏介くんはそこで車を停めて助手席に座る私を心配そうに見つめてきた。
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