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「んーと、あたしはこの野菜プレートランチ。ドリンクはアイスコーヒーで」
「かしこまりました。そちらのお客様は?」
「え、えーっと……じゃあ、私も同じで。ドリンクは、えっと、アイスカフェオレで」
かしこまりました、ともう一度丁寧にお辞儀をしてから店員さんは私たちの座るテーブルを離れていった。水の入ったグラスに少し口をつけてから、目の前に座る彼女をそろりと覗き見る。
「うん? どうかしました?」
「あっ、いえ……その、見かけによらず大胆なんですね。勇気があるというかなんというか、人見知りしないんだなぁって」
「うふふっ、大胆でしょ? だって、可愛かったからつい」
お上品に口元に手を当てて笑うと、その女性は「さっき買った服も見たいなぁ」なんてねだるように言った。少しハスキーな声ながら、のんびりとした口調はどこか色気を感じさせる。
断る理由もないので、ヴェリテのロゴが入った紙袋から買ったばかりのシャツを取り出した。もちろん、まだタグだって付いている。
「おお、これも可愛い。ゆるめに着る感じですか?」
「はい。襟を抜いて着るのがおすすめって言われました」
「なるほど。いいですね、通勤にも使えそう」
「そう! そうなんです! 通勤用にわざわざ堅苦しい服買うの、もったいなくて。どうせ買うなら可愛いのがいいなって」
店に着いてから「ランチはいいけど会話が弾むのかな」なんて心配していたが、その必要は無さそうだ。
服の趣味が合うなら会話も合って、私たちは最近流行りの服について途切れることなく語り合った。急に話しかけてくるなんて変な人、と思っていたのも最初だけで、注文した料理が運ばれてくるまで私は彼女との会話に夢中になっていた。
「ねえ、彼氏はいる?」
「ううん、いないよー。一年前に元彼と別れてから何にもない」
「へー、意外。こんなに可愛いのにねぇ。どうして別れたの?」
「私が服選ぶのに時間かけるのが嫌だったみたい。そんなに自分着飾って楽しい? って聞かれたから、あんたといるより楽しいよって言って別れた」
「あははっ、ウケる! いいなぁ、潔くて」
ボイルしたにんじんをフォークで刺しながらけらけらと笑う彼女を見て、私も思わず笑みをこぼした。こんな風に笑い飛ばしてもらえると、自虐ネタも話した甲斐があったというものだ。
この話をして「そんなことでケンカ別れして、馬鹿ねぇ」と呆れ顔で言ったのは実家の母だ。そろそろ結婚相手を連れてきてほしいらしいから、もったいないことをしたと思っているのだろう。私からしてみれば、あんな男と過ごした時間の方がもったいない。
いつの間にかお互い敬語も使わなくなるほど、私たちは打ち解けていた。話が合うというのもあるけれど、彼女のサバサバした物言いや無駄なお世辞を一切言わないあっさりとした態度も好感が持てる。
あの時、思い切って彼女の誘いに乗ってみてよかった。社会人になると、仕事の繋がりで知り合いこそ増えても、友達と呼べる存在はなかなか作れないものだ。しかも、こんな風に気を遣わず存分に趣味の話ができる友達なんてそうそういないだろう。
上機嫌でランチを食べ終えてアイスカフェオレをずずっと吸っていると、彼女は何か思いついたように顔を上げた。
「あ、そういえば。今更だけど、名前聞いてもいい?」
「え? あっ、まだ自己紹介もしてなかったっけ。私は舞田恭子、二十八歳。市内の会社で事務やってる。気軽に恭子って呼んで」
「えっ……きょうこ? 本当に?」
今更ながら簡単に自己紹介をしたのだが、彼女はどういうわけか切れ長の目をこれでもかというほど見開いた。
「あたしも"きょうこ"って呼ばれてるの。同じだって思って、びっくりして」
「えっ、そうなの!? 同じ名前!? すごい偶然じゃない!?」
「うん、すごい。運命かも」
「うんうん、運命だよ! ね、字はどう書くの? 私は恭しいに子供の子!」
まさかの偶然にテンションが上がった私は、身を乗り出して尋ねた。しかし、彼女は気まずそうに「あー」と呻き声を出しながら逡巡したかと思うと、困ったように眉を下げる。
「んーと、あだ名が"きょうこ"ってだけなんだ。本名は違って」
「え? ああ、なんだそういうことか。それで、お名前は?」
本名でもないのに"きょうこ"と呼ばれているなんて珍しい。でも、私の友達にも「なんでそのあだ名なの?」と聞きたくなるような人がいたし、些細なことがきっかけでその名で呼ばれるようになったのかもしれない。
水滴のついたグラスを片手に彼女の目をじっと見つめると、一瞬戸惑うようなそぶりを見せてから、彼女は口を開いた。
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