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そんな幸せなひとときを過ごしていると、ふいにコンコンとガラス戸を叩く音がした。
驚いて窓の方に目をやると、私たちと同じくらいの歳の女性が窓の外で嬉しそうにぶんぶんと手を振っていた。
「えっ、だれ!? 杏子ちゃん、友達?」
「あー……うん。大学の時、同じゼミだった子」
嬉しそうに手を振る女性とは対照的に、杏介くんの表情は見るからに曇っていった。
あまり親しくないのかな、と推察しているうちにその女性はカフェに入ってきて、私たちのいるテーブルを指差して「友達なんです」と店員さんに伝えると、ドタバタとこちらに近付いて息つく間もなく杏介くんに話しかけた。
「ほらぁ、やっぱり中野くんだ! 久しぶりっ、大学卒業して以来じゃない!?」
「あー、うん。そうかもね」
「懐かしー! あ、隣座ってもいい? わたしもクリームソーダ飲もーっと!」
杏介くんの返事も待たずに、その女の子は勝手に椅子を引いてそこに座ってしまった。そして私が目をぱちくりさせている間に店員さんに飲み物を頼んで、いそいそと荷物を下ろした。
「中野くん、全然変わってないね! 一瞬で分かっちゃった!」
「……ねえ、隣座っていいって言ってないんだけど」
「え、そうだっけ? でもいいじゃん、久しぶりに会えたんだからさ! こんな偶然滅多にないし、せっかくだから話そうよ!」
大学時代ゼミが一緒だったと言っていたが、やっぱり彼の様子を見る限り仲の良い友達ではなさそうだ。しかし、彼女の強引さに私たちはすっかり圧倒されてしまって、なんとも奇妙な面子でテーブルを囲むことになった。
杏介くんがちらりと私の方を見て無言で眉を下げる。たぶんだけど、「ごめんね」の意味だろう。
「中野くんって確か文化財研究所に就職したんだよね! いいなー、公務員! わたしの会社なんて不景気だからさぁ、給料も上げてくれないの!」
「ふーん」
「ふーんって! もうちょっと興味持ってよ!」
楽しげに笑っているのは彼女一人だけで、杏介くんは不機嫌を隠そうともしていないし、私は私で戸惑いつつも静かにクリームソーダをすするしかない。
久しぶりに会った同級生に興味はあってもその連れには興味が無いのか、彼女は私の存在には一切触れずに仏頂面の杏介くんにひたすら質問をぶつけていた。
「それにしてもさぁ、中野くんまだ女装なんてしてたんだね! 学生ならまだしも、社会人になったんだからやめなよー」
黙ってこの場を乗り切ろうとしていたらしい杏介くんが、その言葉にだけはぴくりと反応した。
彼女はそんな杏介くんには気付いていないようで、お説教でもするかのように饒舌に話し始めた。
「そもそも、いつから女装なんてしてるの? 大学入ったときにはもう女装してたよね」
「……そんなの、覚えてないよ」
「ええー、覚えてないほど昔からやってるの!? もう習慣になっちゃってるのかもしれないけどさぁ、うちらもうアラサーなんだし、そろそろ辞めどきなんじゃない?」
女装、という耳慣れない単語が聞こえたせいか、隣のテーブル席に座っていた大学生くらいの女の子たちがこちらをちらちらと窺っているのが分かる。「マジで?」「どの人?」と小声で囁き合っている声も聞こえてくるけれど、たぶんそれに気付いているのは私と杏介くんだけだ。
「女装なんかしてたら、女の子ともまともに付き合えないでしょ? あれ、男の子がいいんだっけ? 仲良い子いたよね、同じ地理学科の男の子」
「……前にも言ったと思うけど、そういうんじゃないから。女装はただの趣味で」
「あっそうか、合コンとかめっちゃ行ってたもんね! でも、女装が趣味とかおかしくない? もっと普通の趣味にしたらいいのに!」
「……………」
「ていうか中野くん、普通に男の子の格好すればちゃんとカッコいいんだから! もったいなさすぎるって! ねえ、そう思いません?」
とうとう杏介くんが黙りこくってしまったからか、彼女は突然方向を変えて私に同意を求めてきた。それまで一切こちらを見向きもしなかったくせに、私が自分の意見に同調すると信じて疑わない目をしている。
ちらりと、向かいに座る杏介くんに視線を送る。デリカシーのない彼女の言葉に傷ついたのか、はたまた怒りを感じているのか、彼はただ拳を握りしめたままどこか一点を見つめていた。
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