可愛いのは

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「昔の話するけど……大学入って割とすぐに、彼女が出来たんだ。合コンで知り合ってさ、俺が女装好きだって話しても『中野くんの女装ならきっと可愛いね!』とか言ってくれて、それで舞い上がって即付き合うことにして」  杏介くんがちらりと私の方を窺い見る。昔の話とはいえ、元彼女の話で私が気を悪くしていないか気を遣っているのだろう。  もやもやする気持ちが無いわけではないが、きっと彼はこの話を通じて何か私に伝えたいことがあるのだろう。それが分かったから、私はただ小さく頷いてみせる。杏介くんはそれを確認してから、話を続けた。 「それで初めてのデートの日、張り切っておしゃれして行ったんだ。合コンの時は男の服着てたけど、その子なら女装姿見ても『可愛い』って言ってくれるだろ、ってなぜか自信満々でさ」  自嘲気味に笑った彼の悲しそうな顔を見て、その先の展開がなんとなく読めてしまった私は思わず手を握る力を強くする。それに気付いたのか、杏介くんは「ありがと」と優しい笑みを浮かべて小さくつぶやいた。 「……でも、現実はそんなうまくいかないよね。待ち合わせ場所でわくわくしながら待ってたのに、その子は俺の格好見た瞬間に阿修羅みたいな顔になって、『そんなふざけた格好してこないで』って言って……それはもうカンカンに怒っちゃってさぁ」 「そんな……!」 「ま、これは俺も悪いよね。その子の考えてた女装の範囲が、実際とは違ったってだけだし。けど俺もまだ若かったから、あれは結構堪えたな」  そう言って彼はけらけらと笑ったけれど、彼女のその言葉がどれだけ杏介くんの胸に傷を負わせたかが痛いほどよく分かる。  周りの意見に流されることなく、まっすぐに自分を貫いているように見える杏介くんだけど、本当は繊細な心の持ち主だ。普段の彼を見ていても、人の心の機微に人一倍敏感なのが分かる。だからこそ、ファッションだけでなく物事の流行にも興味を持てるのだろう。  でも、周囲の人の目を気にしてその度に傷ついていては自分の大切なものを守れないから、仕方なく「聞こえないふり」をしているだけなのだ。 「あー、ごめん。暗い顔させちゃったね」 「ううん……聞けて、よかったよ」 「待って待って、まだ本題に入ってないから」  しんみりとした空気を破るように、杏介くんは新色のリップで彩られた唇をにいっと思い切り吊り上げた。その表情はとても落ち込んでいるようには見えなくて、お気に入りのショップで"NEW ARRIVAL"の文字を見つけた時の私と同じくらい明るかった。 「この前、カフェで同期に会ったときもそうだけど……前までは昔のことを思い出すと辛かったのに、今はむしろ笑えるんだ。これって全部、恭子さんのおかげなんだよ」 「えっ!? なんで!?」 「なんでって、分かるっしょ? 恭子さんが全部、楽しい思い出で上書きしてくれるからだよ」  そう言って満面の笑みを見せる杏介くんは、今この通りを歩いているどの女の子よりも可愛く、そして綺麗だった。  ぼーっとその美しい笑顔に見惚れていると、「ちゃんと前見て」とぐいっと手を引っ張られる。危うく電柱にぶつかるところだった。 「あっぶな……どうしたの、ぼけっとした顔して」 「だ、だって……杏子ちゃんがあんまり可愛いから」 「ふふっ、まーね」  自信に満ちあふれたその言葉に笑って、私たちは電飾の灯り始めた街の中を歩き続ける。  そのうち視線の先にお互いのお気に入りのセレクトショップが見えて、足は自然とそちらの方に赴く。いらっしゃいませ、という店員さんの声に迎え入れられて、私と杏介くんは今日もショッピングを心ゆくまで楽しんだ。
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