星の導き

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 俺はふたりの姿を見送ると、自分のカバンを手に取り、教室を出た。1階へは下りたが、昇降口へは行かず、そのまま廊下を突っ切ると、新校舎の一番奥にある図書室へと向かう。  図書室の扉を開けると、まだ司書の女性が残っていた。カウンターに近づくと、俺は、 「卒業アルバムって、見せてもらえますか」 と尋ねた。司書の女性は、 「どうぞ。一番奥の棚にあるわ」 と図書室の奥を指さす。 「どうも」  俺は軽く会釈をすると、最奥へと向かった。うちの中学は私立だからか、図書室もそこそこ広い。  俺は手近な机にカバンを置くと、卒業アルバムを探して、教えてもらった棚へと向かった。司書の女性の言う通り、一番奥の棚の下段に、卒業アルバムが年代順に並べられていた。 「ええと、30年前のは……っと、あった」  赤い背表紙の革のアルバムを引き出し、手に取ると、机へと戻る。  隣の机では、試験勉強をしている3年生がいたが、こちらを気にしている様子はない。  俺はぱらりと表紙を捲ると、クラブ写真を探してページを繰って行った。 「っと、あった」  天文部の写真を見つけ、手を止める。  当時の天文部部員は、女子ばかり5人だったようだ。制服も今とは違ったようで、皆セーラー服を着ている。 「なんだ。クラブ写真には、名前が載っていないのか」  俺は溜息をつくと、天文部の写真を開いたまま、今度はクラス写真を見ていった。天文部の部員が、一体どこのクラスの誰なのか、探し出そうという腹だ。   俺は、モリノトウコをこのアルバムの中に見つけようとしていた。本当に彼女は30年前に存在していたのだろうか?  1組には天文部の部員は在籍していなかった。2組、3組、4組、5組……昔は生徒数が多かったのか、クラス数も多かったのだなと思う。  6組まで来て、俺は手を止めた。このクラスに3人、天文部員が固まっている。 「森川早苗。山野萌。橘高華子」  クラブ写真と照らし合わせながら、名前を確認する。モリノトウコはいないようだ。  再び、クラス写真を見て行く。今度は7組と8組に残りのふたりを見つけた。 「五島紀子。盛乃…盛乃絵美……!」  俺は盛乃絵美の写真を凝視した。姫カットというのだろうか、顎のあたりでぱつんと切られた前髪と、ロングヘアが独特な印象を与えている。彼女はモノクロの写真の中で、大人しそうな笑みを浮かべていた。下の名前は違うが、名字が同じモリノなので、きっと彼女がモリノトウコなのだと確信した。 「きっとトウコはペンネームなんだ」  俺は写真を指でなぞりながら独り言ちた。  確かにモリノトウコは30年前、この学校にいたのだ。けれどこの顔、どこかで見たような気がする。  頭の中で何か引っかかる感じを覚えながら、俺は更にアルバムを繰った。するとクラブ写真の次に、委員会写真が現れた。生徒会から始まり、体育委員会、文化委員会、風紀委員会、図書委員会……と続く。 「ん?」  俺は図書委員会のページで手を止めると、目を瞬いた。そのページの中にも盛乃絵美が写っている。椅子に座り、本を片手にポーズを取っている。後ろには、五島紀子が立っていた。 「モリノトウコは、図書委員もやっていたのか」  部活だけでなく同じ委員会にも属しているなんて、盛乃絵美と五島紀子は、クラスが違えど、仲が良かったのかもしれない。  五島紀子は長い髪をおさげにしていて、メガネをかけていた。まさに真面目、これぞ図書委員といった雰囲気の女子だ。けれどこの子の顔も、どこかで見たような気がする。  俺は卒業アルバムのページを開けたまま、腕を組んで考え込んだ。そんな遠い昔の話ではない。ここ最近の記憶のはず……。 「あっ!」  突然思い出して、俺は大きな声を上げてしまった。隣の机の3年生が、じろりとこちらを睨んできたので、思わず首をすくめる。 「すみません」  小さな声で謝罪すると、俺はカバンの中から『七剣の青龍』を取り出した。パラパラとページを捲り、目的のページで手を止める。そのページは、ヒロインである姫に仕える7人の侍女が、主にかしずいている場面だった。竜の青年の従者のモデルが北斗七星の七つ星であるならば、ヒロインの侍女のモデルは同じ七つ星である、 (きっとプレアデスの乙女たちだ) 俺は心の中でつぶやいた。  この侍女の内のひとりは盛乃絵美とよく似ていて、また別のひとりは五島紀子によく似ていた。モリノトウコは、自分と仲の良い友人を、登場人物のモデルにしたのかもしれない。 (プレアデス星団……すばる……)  俺はさらに心の中で思考した。不意に、今日受けた古典の授業を思い出す。 『星はすばる。ひこぼし。ゆうづつ。よばい星少しをかし。尾だになからましかば、まいて』  清少納言の『枕草紙』の一節だ。現代語に訳すと、 『星といえば、すばる。彦星。宵の明星。流れ星は少し面白い。尾がなければもっといいのに』 といったところだろうか。  モリノトウコは図書委員だった。俺は、ガタッと立ち上がった。まっすぐに、古典の書棚へ向かう。 (『枕草紙』……『枕草紙』……あった!)  俺は逸る胸を押さえながら、棚から『枕草紙』を引き抜いた。そして棚の奥を覗き込む。 「…………」  俺が期待したものは、そこには無かった。ぱらぱらと本のページを繰ってみたが、何のヒントも隠されていない。 (違ったか……)  肩を落とし、本を書棚へと戻した。 「すばる、か……」  国立天文台ハワイ観測所のすばる望遠鏡、自動車のスバル…自動車はともかく、すばる望遠鏡は何か関係があるかもしれない。  俺は今度は、観測所のあるハワイのマウナ・ケア山に関する本を探してみた。写真集等があるのではないかと思ったが、残念ながら蔵書には無いようだ。  再び肩を落とし、 「すばる、すばる……」 ぶつぶつと小さな声で呟きながら、思考を巡らす。   そういえば、すばると言えば、こんな和歌があったっけ。 『山の端に すばるかがやく六月の この夜はいたく 更けにけらしな』  大学で国文学を勉強していた泉水姉が書いていた卒論を、興味本位で読んでみたことがある。その時に知った和歌だった。星の名が詠み込まれている歌なんて珍しいと、印象に残っていた。  確か江戸時代後期の歌人で、なんとか景樹という人の作った和歌だ。ええと、確か四国みたいな名前だった……。  俺はしばらくの間、頭を悩ませていたが、急に閃いて、 「そうだ、香川景樹だ」 ぽんと手を打った。 (香川景樹の本ってあるのかな?ちょっと聞いてみよう)  書籍で困った時は、司書の女性に頼るに限る。 「香川景樹って人の和歌が載った本、ありますか?」  カウンターへ行き、そう尋ねると、 「あるわよ」 司書の女性は、あっさりと頷いた。 「えっ、そうなんですか!?」  俺は思わず身を乗り出した。 「岩波書店の『日本古典文学大系93近世和歌集』に載ってるはずよ」  さすがは司書だ。すらすらと本のタイトルが出て来た。 「古典の棚にあるわ」 「ありがとうございます」  俺はお礼を言うと、すぐに古典の棚に戻った。 「『日本古典文学大系』はどこだ?」  棚の上から順に視線を走らせていくと、一番下の棚に、同じデザインの表紙で100冊、古びた本が並べられていた。『日本古典文学大系』だ。誰も手に取らないのか、古びている割には、装丁は傷んでいない。 (『近世和歌集』。これだ)  俺はその中の93番目の本を手に取ると、床に膝をついて、棚の奥を覗き込んだ。すると――。  本棚の奥にへばりつくように押し込まれている茶色のものが見えた。  ドキッと心臓が音を立てる。期待を胸に、手を伸ばしてそれを引っ張り出すと、B4サイズの茶封筒が出て来た。セロハンテープでしっかりと封がされていたが、劣化ですっかり変色している。触ってみると、中には厚紙らしきものが入っているようだ。  俺はそっと封を開けると、中の物を取り出し、思わず息を飲んだ。  B4サイズのイラストボードには、美しい少女の姿が描かれていた。彼女の長い髪は、一本一本丁寧に彩色され、白とグレイの絵の具しか使っていないはずなのに、銀色に輝いて見えた。背景は星の輝く紺色の夜空で、微妙な濃淡が奥行きを与えている。彼女を取り囲む白百合の花も、花弁の一枚一枚が瑞々しさを湛えていた。 「…………」  色鮮やかで透明感があり、なんて美しい世界なんだろう。  俺は最初こそ心を奪われたように絵を眺めていたが、次第にすっと気持ちが冷めて行くのを感じた。  こんな絵、俺には描けない。この人は俺と違って、目に映る世界が、きっと輝いていたに違いない。羨望と嫉妬がないまぜになった感情が、俺の胸の内で、次第に渦巻き始めていた。  これ以上絵を見ているのがつらくなり、元の茶封筒に戻そうとして、 「ん?」 俺はふと違和感を感じ、もう一度絵を見つめた。この少女は、おそらく『七剣の青龍』のヒロインなのだろう。彼女は左側を向き、たおやかな手を差し伸べている。この構図だと、まるで左側に誰かいるかのようだ。 「もしかして、原画は2枚あるのか?」  この絵の対になるとしたら、竜の青年の絵に違いない。  だとしたら、もう1枚はどこにあるのだろう?  俺は原画を手にしたまま、再び考え込んだ。
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