好きと嫉妬

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好きと嫉妬

(side雛乃) 「お腹が……痛い……」  体操服に身を包んだ私は、下腹を押さえて蹲っていた。  今朝、急に生理になってしまった。今日は水泳の日だったので、小躍りして喜んだのだが……。 「薬飲んでくるの忘れた……」  毎回、生理痛がひどい私は、必ず薬を飲むようにしている。けれど今朝は家を出がけに気が付いたため、バタバタしてしまい、飲むのを忘れてしまった。しかも、今日に限って常備薬も持っていない。  水泳は見学にしてもらえたが、炎天下、プールサイドに座っていたら、我慢が出来ないほどお腹が痛くなって来て、先生に頼んで保健室に行く許可を貰った。今はその道中なのだが、あまりの痛さに動けなくなり、昇降口のところで座り込んでしまったと言うわけだ。 「吐きそう……」  これはもう、這っていくしかないだろうか。私がそう覚悟しかけた時、 「真殿?」  名前を呼ばれてのろのろと振り返ると、教材を担いだ小鳥遊君がこちらを見て立っていた。 「どうしたんだ?」  真っ青な私に気づき、教材を廊下に立てかけると、私のもとへと走り寄って来る。 「ちょっとお腹が……」 「痛いのか?」  うん、と頷く。 「立てるか?」  その問いには、ううん、と首を振る。 「…………」  小鳥遊君は少し考え込んだ後、私に背を向け、しゃがみ込んだ。その姿勢で、背中の方に手を出す。 「おぶって行ってやるから、乗れよ」 「えっ?」  突然の申し出に、私は目を瞬いた。 「歩けないんだろ」  確かにそうなのだが、おぶってもらうなんて、さすがに恥ずかしい。 「だ、大丈夫。歩ける……」  強がって立ち上がろうとしたら、 「いたっ、いたた……」 またお腹が痛み、私は再びしゃがみ込んでしまった。 「早く乗れよ」 「だって……」  恥ずかしい、と口に出すことが出来ない。代わりに、 「小鳥遊君、教材を運ぶ途中だったんでしょ。教室に戻らなくちゃ」 と言った。きっと授業中に、急に先生に頼まれたのだろう。けれど小鳥遊君は少し怒ったように首を振ると、 「別にそんなのどうでもいいよ。今は真殿の体調の方が大事だろ。ほら、早く」 と急かしてくる。それでも私が躊躇していると、 「早く乗らないと、真殿が裏庭でひとりで歌ってることを、校内放送で言いふらしてやる」 無茶苦茶な脅しをかけて来た。 「えっ!?それはやだ!」 「じゃあ、早く乗れって」  小鳥遊君がいよいよイライラして来たので、私は観念すると、彼の背中におぶさった。 「よっ……と」  小鳥遊君は軽く掛け声をかけると、立ち上がった。 (重いと思われたらどうしよう……!)  こんなことなら、昨日の夜、ドーナツを食べるのではなかった。 「しっかり捕まっとけよ。ほら、首に手を回せって」  私は言われるがまま、小鳥遊君の首に手をまわした。触れあった彼の背中から体温が伝わって来てドキドキする。急に早くなった心臓の音が、彼に気づかれないようにと、私は願った。  小鳥遊君は、私を気遣ってか、ゆっくりと、けれど、しっかりした足取りで歩き出した。 「昨日、何か悪いものでも食べたのか?」  私の緊張を和らげようとしてくれているのか、小鳥遊君がそう問いかける。「ただの生理痛です」とは言いかねて、 「ええと……まあ、そんなところ」 とあいまいな答えを返す。 「夏だからな。食べ物に当たらないように気を付けろよ。生物とか危ないから」  まるでお母さんみたいな言い様が少しおかしくて、 「うん」 と言いながら、口元が笑みを形作ってしまう。 「そうだ。昼休みに言いに行こうと思ってたんだけど」  思い出したように小鳥遊君が言った。 「モリノトウコの原画、1枚見つかったよ」 「えっ!?」  その言葉に驚いて、思わず身を乗り出した。 「うわっ!急に動くなよ」  その瞬間、小鳥遊君はバランスを崩しそうになって、慌てて足を踏ん張った。 「あっ、ごめん!……っ!いたた……」  私も動いた弾みでお腹に痛みが走る。 「おい、大丈夫か?」  心配そうに問いかけた小鳥遊君に、 「う、うん。へいき……」 と強がって見せる。とにかく、保健室へ行き、薬を飲むまでは、大人しくしておこう。  保健室に辿り着くと、小鳥遊君はガラリと扉を開けて、 「すみません。病人です」 と声を掛けた。中には保健の柴田先生がいて机に向かっていたが、私たちに気づくと、丸椅子を回してくるりと振り返った。 「あら、どうしたの?」 「お腹が痛いらしいです」  声を出すのもつらい私の代わりに、小鳥遊君が説明してくれる。 「腹痛……ああ、もしかして」  柴田先生はすぐに察して、立ち上がった。 「薬を出すわね」  先生が戸棚から薬を探してくれている間に、小鳥遊君は私を椅子の上に下ろしてくれる。 「大丈夫?」  思いがけず近距離から顔を覗き込まれて、 「う、うん」 私はドキッとしながら頷いた。きっと赤くなっているだろう頬を隠すように俯き、 「小鳥遊君、教室に戻らなくていいの?」 と尋ねる。彼はちらりと保健室の時計を見て、あっという顔をした。教材を取って教室に帰るだけにしては、不自然なほどの時間が経っていた。 「うん。戻るよ。それじゃ、真殿。お大事に」 「放課後に美術室へ行けばいい?」  モリノトウコの原画が見つかったという話の続きが気になってそう聞くと、小鳥遊君は首を振った。 「体調悪いんだし、今日はいいよ。また明日話そう」 「でも……」  薬さえ飲めばこの腹痛も止まるはず。そう言おうとしたが、 「じゃあ、俺、もう行きますので、柴田先生、あとはよろしくお願いします」 小鳥遊君は柴田先生に会釈をすると、保健室を出て行った。 「彼、あの歳で、紳士なのね」  戸棚の中から痛み止めを出してくれながら、柴田先生は感心したように言った。  確かに、小鳥遊君は優しい人だと思う。時々意地悪だけど……。 「モテそうだから、しっかり捕まえておきなさいよ」  柴田先生は私に薬と水を手渡しながら、片目を瞑って見せた。 (捕まえておきなさいって……)  その言葉に再びドキッとして、思わず胸を押さえると、 「あら、本当に脈あり?」 柴田先生が、いたずらっぽい瞳で、ふふっと笑った。 「ち、違いますよ……!」  慌てて否定したけれど、先生は笑ったままで、全然信じてくれていない様子だ。 (違わない……)  私は心の中でつぶやいた。 (私は小鳥遊君のことが好き)  私の笑顔が可愛いと言ってくれたあの時に、恋に落ちてしまったのだ。 「薬を飲んだら、しばらく寝てなさい」  柴田先生に勧められるまま、ベッドへと移動する。  真っ白の布団に横たわると、私はぼんやりと天井を見ながら考えた。 (小鳥遊君は私のこと、どう思ってるんだろう……)  好きになってくれたら嬉しい、なんて、贅沢な願いだろうか――。
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