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(side由希也)
俺が昇降口へ着いた時には、既に真殿はそこにいた。
いつも安達とくっついているイメージがあるが、今日は真殿ひとりだ。
「あれ?安達は?」
俺の疑問に、
「蛍は今日は塾があるから、もう帰ったの」
との答えが返ってくる。ふたりきりだと思うと、やはり妙な緊張を感じてしまう。
そんな俺の緊張が移りでもしたのか、真殿もぎこちなく、
「ど、どうしたの?」
と聞いて来た。彼女の頬が、ほんのりと上気しているように見える。
「少し行きたいところがあって。付き合ってくれる?」
俺の誘いに、真殿は、
「行きたいところ?」
と小首を傾げたが、
「いいよ」
とすぐに頷いた。
「どこに行くの?」
「とりあえず、事務室」
俺は短く答えると、真殿と連れ立ち、昇降口のすぐ側にある事務室へと向かった。コンコンと扉をノックし、応えを待って、中に入る。
「こんにちは」
受付の女性に挨拶をすると、彼女は今日もやって来た俺たちを見て、吃驚した顔をした。
そして、
「今日も一條さんに用事?」
俺が口を開くよりも先に尋ねてくれる。俺が頷くとすぐに一條さんを呼んでくれた。
衝立の後ろから顔を出した一條さんは、俺たちの姿を目にすると、
「あら」
と言って笑みを見せた。
「今日も何か用事があるの?原画の件を聞きに来たのなら、まだ出版社の方へ連絡は出来ていないわよ」
俺たちの要件を推測して、先にそう教えてくれたが、的が外れていたので、俺は首を振った。
「今日はその件ではなく、一條さんに聞きたいことがあって来ました」
俺は試すような視線で一條さんを見た。一條さんは一瞬眉を上げたが、すぐにふわりとした優しい笑顔を浮かべると、
「長い話になる?」
と尋ねた。
「たぶん」
と俺はあいまいに頷く。
「それなら、こちらへいらっしゃい」
一條さんはそう言って俺たちを手招くと、衝立の向こうに入れてくれた。
初めて見た衝立の裏の様子は、一般的な会社の雰囲気に似ていた。ジャケット姿の男性や女性が、パソコンに向かって何か仕事をしている。ここが学校の中の一室だという事を忘れてしまいそうだ。
一條さんは事務室の隅の応接スペースに俺たちを通すと、椅子を勧めてくれた。俺と真殿が隣同士に座ると、一條さんは向かい側の椅子に腰を下ろした。
「さあ、何かしら?」
一條さんは口元に微笑みを浮かべながら、試すような瞳で俺を見た。
俺は一度ごくりとつばを飲み込むと、口を開いた。
「一條さん……いいえ、五島紀子さん。あなたはこの学校の卒業生なのではないですか?そしてあなたがふたり目のモリノトウコなんですよね」
俺はずばりと切り込んだ。
一條さんは表情を変えずに微笑んだままだったが、隣に座る真殿が、
「えっ!?」
と驚いた声を上げた。
「ど、どういうこと?小鳥遊君」
俺は真殿を振り返ると、
「モリノトウコは、ふたり組だったんだ」
と言った。
「そうですよね?」
再度念を押すと、一條さんは観念したように頷いた。
「モリノトウコは、天文部と図書委員を掛け持ちしていた、盛乃恵美と五島紀子――つまり一條さん――のふたりのペンネームだったんだ。ふたりは当時、一緒にひとつの漫画を描いていたんじゃないんですか?」
俺の確認に、一條さんは再度頷く。
「『七剣の青龍』の原案になったという原画は2枚あり、盛乃さんと五島さんがそれぞれに描いたものなんですよね?どんな理由があったかは分かりませんが、ふたりはそれぞれ自分の原画を、この学校に隠して卒業をした。そして今回、真殿のお兄さんの会社から企画展への貸し出しの話が来て、貸し出したくなかったあなたは、原画が誰かに見つかるのを恐れ、回収をした。科学室の地下室に隠してあったのは、あなたの描いた原画だったのではないですか?」
「……そうよ」
一條さんは静かな声でそう言った。
「あなたの推測通りよ。私の旧姓は、五島というの。モリノトウコは、私と絵美の共同のペンネーム。モリノが絵美で、トウコが私。私たちはこの学校に在学中、一緒に漫画を描いて、出版社に投稿したの。それが運よく賞を取り、私たちは在学中にデビューすることになったわ」
「すごい……学生漫画家だ」
黙って話を聞いていた真殿が、感嘆の声を上げた。
その言葉に、一條さんはふふっと笑うと、
「賞を取ってデビューをして、私たちはすっかり浮かれていたの。原画を描いて、この学校にお互いに隠し合いっこをして、『ベストセラー作家になったら、一緒にふたりで探しに来よう』って約束をした。遊び心のあるタイムカプセルのつもりだったの」
「でも、ふたりは結局、探しに来なかったんですね」
「ええ」
一條さんは静かに頷く。
「ここからは俺の推測なんですが」
俺はバッグから『七剣の青龍』の次に出版されたモリノトウコの単行本を取り出した。
「『七剣の青龍』が完結した後に発行された次回作、こういっては申し訳ないのですが、明らかにクオリティーが落ちていますよね。背景や、衣装の書き込みが雑になっているというか……それは、『七剣の青龍』の連載が終わった後、一條さんがモリノトウコを辞めたからではないんですか?」
真殿はこの本を読んだことがなかったのか、吃驚した顔をした。中を見たそうにしていたので、手渡すと、彼女はパラパラと本をめくり、
「本当だ……」
とつぶやいた。
「今までふたりで描いていた漫画を、盛乃さんがひとりで描くことになったので、クオリティーが下がってしまったんだ」
真殿にそう説明をする。
「一條さん、なんで辞めちゃったんですか?せっかく素敵な漫画を描いていたのに……。もったいないです」
真殿が不思議そうに尋ねると、
「そうね。でも、『七剣の青龍』の作画をしていたのは、ほとんど絵美だったの。最初こそふたりで描いていたんだけど、絵美の方が私よりずっと絵が上手かったから、編集の意向もあって、絵美がメインで作画をして、私は主にアシスタントをすることになったのよ」
一條さんは寂しそうに笑った。
俺は内心で「やはり」と思った。『七剣の青龍』の次回作の描き込みが減ったのは、それまで、背景や衣装を担当していた一條さんがいなくなったからだったのだ。そして一條さんがモリノトウコを辞めた理由は、おそらく――。
「嫉妬していたの。絵美に」
一條さんは自嘲気味にそう言った。
「絵美の描く絵は美しくて、世界がキラキラと輝いていた。どんなに真似をしようとしても、私には出来なかった。絵美のアシスタントをしていると、否が応でもそれを思い知らされて、胸が苦しくなって、最初は楽しかった漫画を描く作業も、次第に苦痛に感じるようになってしまったの。それに、私だって本当は、背景だけじゃなく、人物も描きたかったしね」
ふふっと笑う。
「今回、原画を展示したいというお話を貰って、私は焦ったわ。今更、モリノトウコがふたり組で、ひとりは才能に絶望して辞めただなんて、知られたくなかった。だから私は、誰かに見つけられる前に、原画を回収することにしたの。私が描いたものは簡単に回収できたけれど、絵美の原画はどうしても見つけることが出来なかった。それをまさかあなたたちが見つけて来るなんて」
一條さんは、感心したように俺たちを見た。
「よく私が五島紀子だって気が付いたわね」
「図書室で卒業アルバムを見たので」
「あら、あの頃の私と今の私、だいぶ雰囲気が変わったと思うのだけど」
当時の一條さんは、黒髪を長いおさげにし、メガネをかけた大人しそうな少女だった。今の一條さんは、明るい茶髪でショートカット、メガネもなく、溌剌した印象だ。けれど、
「耳の形は、当時のままですよ。それに、すばるの乙女にもそっくりでしたし」
漫画では特徴を誇張して描かれていたので、写真で見るよりも分かりやすかった。
一條さんは脱帽したようだった。肩をすくめ、立ち上がる。
応接コーナーから一旦離れると、一條さんはすぐに2枚の茶封筒を持って戻って来た。それを目の前のテーブルに置き、俺たちの前に差し出す。
俺は会釈をすると、封筒を手に取った。中のものを取り出すと、1枚は見覚えのある少女の絵、2枚目は初めて見る青年の絵だった。
精悍な顔立ちの青年は鎧を着ており、星が刻まれた剣を持っている。人物自体は少女の絵より拙く見えたが、衣装や武器の描き込みが細かく、こだわって描かれたことが分かる。
俺は2枚の絵を並べて置いた。すると、手を差し伸べる少女の前に、青年が跪いている一対の絵が現れた。少女の方の背景は星の輝く群青の夜空だったが、青年の方へ向かうごとに空が明るくなり、この一対の絵の中で、夜空が明けていく時間の流れを感じさせた。
俺はしばらくの間、黙ってその絵を眺めていたが、
「……一條さんの描く世界も、キラキラしていて美しいですよ」
とつぶいやいた。
一條さんはその言葉を耳に留めると、嬉しそうに、
「ありがとう」
と言って微笑んだ。
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