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(side 雛乃)
(たかなし、君……小鳥遊君……)
私は何度も昼間のことを思い返し、その度、じっとすることが出来ないようなそわそわとした気持ちを感じていた。
彼の顔と名字が、頭の中をぐるぐると回る。
勉強机の上には英語の教科書とノートが広げられていたが、明日の予習は一向に手に付かない。
(私のこと、知ってるって……笑顔が可愛いって……きゃーっ)
ひとりで赤くなり、顔を押さえて俯いた。
同世代の男子から、可愛いなんて言われたのは初めてだ。
何より、胸ではなく、私の顔を覚えていてくれたことがとても嬉しい。
「小鳥遊君……どんな子なんだろう」
隣の2組の男子なのは分かっているが、今まで接点のない相手だったので、どういう人物なのか全く知らない。
「クラブとか、入ってるのかな?」
クラスメイトと一緒にサッカー部の練習を見に行ったことがあるが、彼はいなかったので、サッカー部ではないだろう。
「……お話、してみたいな…………」
昼間、勢い余って、蛍に、「一目ぼれしたかもしれない!」と告白をしてしまった。
すると、蛍は一瞬目を丸くしたが、次の瞬間、瞳をキラリと輝かせ、
「どこの誰なの?」
と問いかけた。
「2組の、ええと、たかなし君っていう子。えっと、顔はなんとなく覚えている程度で、どんな子なのかはよく分からない」
それを聞いた蛍は、呆れたような表情に変わり、
「よくもまあそれで一目ぼれだなんて……」
「一目ぼれって、相手のことを知らなくてもするものなんだと思う。だから一目ぼれなんだし……」
小さな声で弁明すると、
「それもそうね」
と蛍はぽんと手を打った。
「相手はヒナのことを知っているのかしら?」
「たぶん、知ってるみたいだった。でもどこで知ってくれたんだろう?」
今まで、小鳥遊君と接点を持ったことはない。不思議に思って首を傾げる。
「ふーん……」
蛍は腕を組んで考え込むと、
「とりあえず、ヒナは小鳥遊君と仲良くなりたいのよね?」
と確認をしてきた。
「うん」
頬を赤らめながら頷くと、蛍は優しく微笑み、
「私も協力するわ。なんとかきっかけを掴みましょう」
と約束をしてくれた。
「きっかけ、かあ」
他組の男子と話をするきっかけなんて、あるのだろうか。もしあるとするならば、合同授業や社会科見学などの行事の時だろうか。
「社会科見学は、こないだ終わっちゃったしなぁ……」
ぽつりとつぶやいた時、コンコンと扉がノックされ、私は椅子から飛び上がりそうになった。
「は、はーい」
上ずった声で返事をすると、
「雛乃」
扉から母が顔を出した。
「お兄ちゃんから電話よ」
「お兄ちゃん!?」
母の言葉に、私は笑顔になると、勢い良く椅子から立ち上がり、部屋を飛び出し階段を駆け下りた。リビングの固定電話の受話器を取り、
「もしもし!?」
弾んだ声で話しかける。
「おー、雛乃、元気か!?」
受話器から、大好きな兄の声が聞こえてきて、私は満面の笑みを浮かべた。
「うん、元気だよ!お兄ちゃんは?」
「俺も元気だ」
一回り年の離れた兄・海斗は、昔から私に甘く、そのせいか、私は自他ともに認めるブラコンになってしまった。兄は今は東京の出版社で働いていて、一年の内、家に帰ってくるのは数回というのが、寂しいことこの上ない。
「急にどうしたの?」
「可愛い妹の声が聞きたくなったんだよ。お前は俺の癒しだからな!」
「ふふっ」
兄の方も、結構なシスコンだという事を、私は知っている。
「というのは冗談として、お前に頼みがあったんだ」
兄が口調を改めたので、私も背筋を伸ばし、
「なあに?」
と問いかけた。
「今度、俺の出版社が、大阪の百貨店で『平成を彩った漫画家たち』という企画展をすることになったんだが……お前、モリノトウコ先生って知ってるか?」
「モリノトウコって『七剣の青龍』のモリノトウコ?」
「そう!読んだことあるのか?」
「あるよ!とっても面白い漫画だよね」
モリノトウコとは、一昔前に流行った少女漫画家で『七剣の青龍』という作品が代表作になっている。国を統べる姫と、彼女に仕える竜族の青年との異種族間恋愛をテーマにしたファンタジー漫画だ。しかし残念ながら、モリノ先生は去年夭逝していた。
「今度の企画展には、そのモリノ先生の原画も多数展示されるんだ」
「ええっ!すごい!見に行きたい!」
ロマンチックで煌びやかなカラー絵も魅力的な作品だったので、原画が展示されるとなると、ぜひ見てみたい。
「会期はまだだいぶ先だが、招待券が出来たら送ってやるよ」
「嬉しい~!」
はしゃいだ声を上げると、兄は電話口で「ふふっ」と笑った。兄は本当に私を喜ばせるのが好きなのだなと思う。
「それで、モリノ先生なんだが……」
兄はそう続けると、何かとっておきの秘密を教えるかのようにしばらく言葉を溜め、
「実はお前の中学が出身校だって知ってたか!?」
と言った。
「ええっ!そうなの?」
私は驚きの声を上げた。
「どれぐらい前の先輩なの?」
「モリノ先生は去年亡くなられた時、確か44歳だったはずだから、30年前ぐらいになるかな」
「30年前……」
それはかなり昔だ。
「そうかぁ、モリノ先生、うちの卒業生だったんだ……」
卒業生に有名な漫画家がいるなんて、なんだか誇らしい気分だ。
「それでな、お前の学校に、モリノ先生の原画が保管されているそうなんだ」
「えっ!?」
兄の言葉に、さらに驚きの声が出てしまった。学生時代のモリノ先生の絵。ぜひ見てみたい。
「『七剣の青龍』の原案ともなったイラストらしい。モリノ先生のご遺族が、ぜひ今回の企画展で使ってほしいと言って来てな。ところが、学校の広報に問い合わせをして、貸し出しをお願いしたら、そんなものは知らないと言われてしまったんだ。でもご遺族は『絶対にあるはずだ』と仰って。モリノ先生が生前『学校の中に原画を隠したことがある』と仰っていたらしい。なぜ隠したのかは分からないが……。お前、学校に漫画家の原画が隠されている、なんて、そんな噂を聞いたことはないか?」
なるほど、今夜の兄の電話の目的は、それを私に聞くためだったのか。
私は、うーんと考え込んだ。これまでそんな話は聞いたことがない。
「ごめん。聞いたことないよ」
そう答えると、兄は電話越しに、
「そうか……。企画展の目玉になると思ったんだが……仕方がない。諦めるか」
残念そうな声で言った。そんな兄の言葉を聞いていると、私のブラコン魂が、むくむくと頭をもたげてきた。
「お兄ちゃん!その原画、私が探してあげる!」
「えっ!?」
私の宣言に、兄が驚きの声を上げた。
「もしかして、問い合わせを受けた人が勘違いしてるだけかもしれないし、私、明日、先生たちにも聞いてみる!それに、本当に隠されているのだとしたら、私、見つけてみたいよ」
わくわくした気持ちでそう言うと、兄はほっとした声で、
「そうか。そうしてくれると、俺も助かるな」
と言った。
「よし、無事に見つかったら、今度の夏休みにお前が東京に来た時に、好きなところへ連れて行ってやる。ホテルのデザートブッフェにも連れて行ってやるよ」
「本当!?」
兄からのご褒美の提示に、私は弾んだ声を上げた。
「本当だ。宜しく頼むよ」
「うん、任せて!」
私は、力強く頷き、受話器を置くと、
「よしっ」
気合を入れるように拳を握った。
明日、先生たちに聞いたら、きっと何か分かるに違いない。
楽観的な私は、そう考えて、兄が連れて行ってくれるというデザートブッフェに思いを馳せた。
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