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「ただいま」
家に帰った頃には、もうとっぷりと日が暮れていた。
「あ、由希也!やっと帰って来た!」
扉を開けると花香姉が玄関に飛び出して来て、俺の顔を見るなり、ほっとした顔をした。
「泉水姉ー!由希也が帰って来たよー!」
リビングにいるであろう泉水姉に向かって、そう声を掛ける。
「由希也、今日は遅かったね」
リビングから顔を出した泉水姉は、珍しくエプロン姿だ。そういえば家の中に出汁の匂いが漂っている。帰りの遅くなった俺の代わりに、泉水姉が夕食を作ってくれたようだ。
「ごはん出来てるわよ」
「うん」
リビングに入ると、今日は父も帰っていた。俺が帰るまで食事を待ってくれていたのか、ダイニングテーブルの上は、4人分の夕食が並べられている。
俺は荷物をソファーに置くと、制服姿のままキッチンへと入った。
「泉水姉、何か手伝う事ある?」
「じゃあ、サンマがもう焼けてると思うから、グリルから出してお皿に乗せてくれる?」
味噌汁をお椀によそいながら、泉水姉が言う。
「ん」
頷いてグリルを開けると――焦げたサンマが出て来た。
「うわ」
思わず漏れたつぶやきを耳に留めた泉水姉が俺の手元を覗き込み、
「あ、ちょっと焼きすぎちゃったか」
てへ、と舌を出す。
「ちょっとって……だいぶ焼きすぎだろ、これ……」
「まあまあ。食べれないことはないわよ」
軽く睨んだ俺の視線をスルーし、泉水姉は「あはは」と笑う。
焦げたサンマはいただけないが、普段料理をしない泉水姉がせっかく作ってくれた夕食だ。俺は肩をすくめたが、それ以上は文句を言わず、サンマを皿に盛りつけた。
おかずが揃ったところで、皆、ダイニングテーブルの椅子に座り、いつもどおり「いただきます」と手を合わせる。
「泉水姉、このお味噌汁辛すぎる!」
花香姉がお椀に口を付けた途端、文句を言った。
「え?そう?」
「自分でも飲んでみなよ!」
花香姉に勧められ、自分の作った味噌汁を飲んだ泉水姉は、
「げ」
と苦虫をかみつぶしたような顔になった。
「しょっぱ!これはお味噌の入れ過ぎね」
他人事のような感想に、花香姉は呆れている。
そんな娘たちのやり取りを微笑ましく眺めていた父は、俺の方を向くと、
「由希也、今日はなんでまた遅くなったんだい?」
ほうれん草のお浸しを口に運びながら問いかけた。
「ちょっとクラブで」
短く答えると、
「そうかい。クラブに熱心なのはいいことだね」
そう言って微笑む。そして、ふと思い出したように、
「由希也は美術部だったね。モネは好きかい?」
と続けた。
「……好きだけど?」
質問の意図が分からず、警戒しながら答えると、父は、
「今週末から、市立美術館で印象派の特別展があるんだ。会社の人にチケットをもらったから、日曜日に皆で見に行かないか?」
と遠慮がちな笑顔を向けた。
ここで「いいね、行こう」と言えたらいいのだが、そう素直な反応を返せないぐらい、俺も姉貴たちも父のこの手の誘いには慣れてしまっていた。
「父さん」
俺は箸を置くと、父の目を見返した。
「うん?」
突然、改まった様子で父を呼んだ俺に、父は一瞬動揺したようだった。不安そうに視線をさ迷わせ、助けを求めるように泉水姉や花香姉の方を見たが、ふたりは気付かないふりをして、箸と口を動かしている。
「今日こそはっきり言うけど」
俺は一旦そこで言葉を区切ると、軽く息を吸った。
「俺、母さんとは会わないよ。会いたくないんだ」
父に言い聞かせるように、2度、同じ言葉を重ねる。父は傷ついた顔をして、俺の目を見た。
「由希也、母さんはお前に会いたがっているんだぞ」
そう言われたが、知ったこっちゃない。俺は子供なんだ。
大人の都合で振り回されたくはない。
「俺の今の家族は母さんじゃない。姉さんたちだ。俺は、姉さんたちを大事にしたい」
聞いていないふりをしながらも、俺と父のやりとりを耳をそばだてて見守っていた泉水姉と花香姉が目を見開く。
「…………」
父は、俺の断言にショックを受けたのか、茫然とした顔をした。
「父さんがあの人を大事にするのは構わないよ。けれど、そのことと俺は関係ないから」
俺はそう続けると、後は無言になり、黙々と夕食を食べ終えた。
「ごちそうさま」
自分の分の食器をキッチンのシンクへ入れてからリビングを出る。風呂に入ろうと思い、自室に着替えを取りに上がろうとした俺を、
「由希也」
廊下に出て来た泉水姉が呼び止めた。
「何?泉水姉」
振り返ったら、泉水姉の腕が伸びてきて、俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「いつも無理してるあんたより、さっきのあんたの方が、私は好きよ」
「……うん。泉水姉、ありがとう」
そう言うと、泉水姉はにっこりと笑って、もう一度俺の頭をくしゃくしゃにした。
「でもいつか……あんたが大人になって、あのふたりを許せると思う時が来たら、会ってあげなさいな」
優しい言葉でそう付け足した泉水姉に、俺は黙って頷いた。
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