【文化祭編】頼りない白雪姫

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 私の彼氏、小鳥遊君は美術部に入っている。けれど、在籍しているのは彼だけで、放課後の美術室は、ほとんど彼ひとりのものだった。  私は通いなれた美術室に向かうと、扉の前で足を止め、一旦深呼吸をした。そして、コンコンと扉を叩いてから、 「こんにちは」 と言って開けた。  教室の中では、今日も小鳥遊君がひとりでスケッチブックに絵を描いていた。傍らには真っ白なキャンバスを乗せたイーゼルが置かれている。 「真殿」  小鳥遊君は私の姿に気づくと、顔を上げて名前を呼んだ。その声が、かつての彼より優しくなった気がして、こういう時、なんだか照れ臭いような、嬉しいような気持ちでいっぱいになる。 「今日は遅かったね。もしかして、クラスの出し物の準備をしていたのか?」 「うん。うちのクラスは劇をやるんだけど、その練習があったの」  椅子に座る小鳥遊君の側に歩み寄り、そう答える。 「へえ、そうなんだ。演目は何を演るの?」 「『白雪姫』だよ。すっごく不本意なんだけど、私が主役なんだ……」  暗い声でそう告げると、彼は目を丸くした。 「そう……なんだ」 「うん。台詞が多くて、覚えられないの」 「それは大変だな。……相手役って誰なんだ?」 「相手役?王子役のこと?それなら一ノ瀬君だよ」 「へえ、そう……」  一瞬眉根を寄せた小鳥遊君に、 「?」 私は小首を傾げた。不思議そうな顔をしている私に気が付いたのか、小鳥遊君はすぐに笑顔を浮かべ、 「あ、いや。何でもない。一ノ瀬だったら王子役、似合いそうだなって思っただけ」 と言った。 「そうなの!クラスの女の子たちもきゃあきゃあ言ってた。――あ、小鳥遊君、また私の絵を描いてくれていたの?」  不意に小鳥遊君が手にしているスケッチブックが目に入り、私は彼の手元を覗き込んだ。スケッチブックの中には、鉛筆で私の横顔が描かれている。彼の手にかかると、私はとても美人になってしまうので、ちょっとくすぐったい。  私はもう少し鼻も低いし、まつ毛もそんなに長くないと思う。 「うん、そう。どうかな?」 「小鳥遊君、巧く描き過ぎだよ……」  私が赤くなりながらそう言うと、小鳥遊君はきょとんとした顔をした。 「そういえば、美術部は文化祭に何か展示をしないの?」  照れ隠しに話題を変えると、 「うちは何もしないよ」 小鳥遊君はあっさりと首を振った。  我が校の文化祭では、クラスの出し物だけでなく、各文化系クラブもそれぞれに趣向を凝らした展示をするのが通例なのだが……。 「ええ~っ、そうなの?」  私は残念に思い唇を尖らせた。 「絵の展示とかすればいいのに」 (みんな小鳥遊君の絵を見たら、きっと驚くよ。だって、小鳥遊君の絵は透明感があって、虹のような色使いで、キラキラとした素敵な世界が広がっているから)  私は、小鳥遊君が秋の新聞社の美術展に出品した絵のことを思い出した。それは私の肖像画だったのだが、小鳥遊君は見事、金賞を受賞したのだった。 「ほら、秋の美術展に出した絵とか……他にも、風景画とかも描いていたじゃない」  私が食い下がると、小鳥遊君は、手にしたスケッチブックを黙って私に差し出した。 「?」  急にどうしたんだろう。首を傾げながら受け取り、中をめくる。 「風景画は最近描いてない。もし展示をするとしたら、君の絵ばかりになるけど……それでもいい?」  小鳥遊君は、悪戯っぽい声音で、試すように私の顔を見上げた。  ――スケッチブックの中身は、見事に私のデッサンばかりだった。  私は真っ赤になると、慌ててスケッチブックを閉じ、小鳥遊君に返した。これは少し……いや、だいぶ恥ずかしい。 「……やっぱり、ダメ……」   小さな声で断ると、彼は、 「ぷっ」 と噴き出した。相変わらず、意地悪だ。赤くなって俯いている私が面白いのか、彼は笑いながら、 「園芸部は何かするの?」 今度は私に尋ねて来た。私は顔を上げると、 「もうすぐ鉢植えのマリーゴールドが咲くから、どこかに飾らせてもらおうと思ってるよ」 と答える。  私の答えに、 「それはいいね」 小鳥遊君がふわりと微笑んだ。その笑顔に、思わずキュンと胸が鳴る。 「きっと真殿の歌をたくさん聞いて育った花だろうから、綺麗な花を咲かせると思う」  キュンとしたのもつかの間、冗談ぽくそう続けた小鳥遊君を、 「もう!また聞いてたの!?」 私はぽかぽかと殴った。私はクラブの時、花の世話をしながら、無意識に歌う癖があるのだ。花壇は美術室の窓から見下ろせる場所にあるので、小鳥遊君は私の歌をこっそりと聞いているらしい。  私の攻撃を手で受け止めて、小鳥遊君は楽しそうに笑っている。 「さて」  ひとしきり笑った後、彼は身を乗り出して、側の椅子を引き寄せた。私に座るように促す。そしておもむろにイーゼルに向き直った。 「今日もよろしく頼むよ。モデルさん」  一転真剣な眼差しになった彼に、私は胸をときめかせながら、椅子に腰かけ、姿勢を正した。
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