原画探し

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(side由希也)  放課後、今日も俺はひとり美術室で絵を描いていた。  机の上には泉水姉から借りて来た沖縄の写真。スケッチブックの中には、今日はサンゴ礁の海が広がっている。  下描きは全て済んでいた。あとは色を塗るだけだ。  パレットに絵の具を出し、色を調合しながら筆に含ませた。筆洗の水で濃さを調節し、真っ青な空と海をイメージし、下絵に色を乗せていく。 (ああ、ダメだ)  半分ほど色を塗った後、俺は手を留め、溜息をついた。 「くすんでるな、やっぱ……」  写真の中では、色鮮やかな世界が広がっているというのに、俺の手を通すと世界はどうにもくすんでしまうらしい。  「くそっ、うまくいかない……」  イライラして画用紙を破ろうとした時、ガラッと音がして美術室の扉が開いた。  不意のことに驚いて振り向くと、女子がふたり、こちらを見て同じように驚いた顔をしていた。  (真殿!?)  そのうちのひとりは、真殿雛乃だった。もうひとりは、よく真殿と一緒にいる安達だ。安達は黒髪ロングヘアの大人っぽい美人で、すらっとした体形をしているので、よく覚えていた。要するに、貧乳で、俺の好みの体形をしているのだ。  安達はすぐに我に返ると、 「ちょっとお邪魔するわね」 そう言って、すたすたと美術室に入って来た。 「お、お邪魔します……!」  その後ろを、親ガモの後を追う小ガモのように、真殿が付いて行く。  ふたりは教室の奥の美術準備室の扉の前に行くと、足を止めた。安達が扉に手をかけ、開けようとする。 「ん……?開かないわね……」  イライラしたように扉を揺らしているが、そんなやり方ではあの扉は開かない。 「そこ、建付けが悪いんだよ」  安達は意外と乱暴な奴だったんだな、と思いつつ近づくと、俺は、 「ちょっとどいて」 と言って、扉を開けてやった。  すると、 「わあ、ひらけゴマみたい」 隣にいた真殿が感嘆の声を上げた。 (ひらけゴマって、なんだそれ)  思わず真殿を見下ろすと、目をキラキラさせて開いた扉を見つめている。 「あ、えっと、その……小鳥遊君がすんなり開けたから、不思議だなって思って」  俺の視線に気付いた真殿が、真っ赤になって、そんなことを言った。子供っぽいことでも言ってしまったと思っているのだろうか。 (面白い奴)  思わず口元が綻んでしまったが、俺はすぐに真顔に戻ると、 「準備室に何か用事でもあるの?」 とふたりに尋ねた。 「ちょっと探し物」  安達がさらりと答えたのに対し、 「あのね、モリノトウコって漫画家の絵を探していて……」 真殿が早口ながら詳しく事情を説明してくれる。  この中学の卒業生にそんな有名な漫画家がいたなんて知らなかった。その絵がもしかしたらこの美術準備室の中にあるのかもしれないだなんて、夢があるじゃないか。  そう思っていると、 「あった、漫研の資料!この箱よ」 安達が、棚の奥の方から、埃まみれの段ボール箱を引っ張り出した。ここで開けると埃が舞うのではないかと言おうと思った矢先、安達が勢いよくガムテープをはがした。案の定、狭い準備室に埃が舞い上がる。  俺たちは一斉に咳き込み、 「ここは埃っぽい。あっちに持って行こう」 俺はさっと段ボール箱を持ち上げると、逃げるように美術室の方へと運び出した。  机の上に箱を置くと、皆で中の物をあらため始めた。  中から出て来たのは、昔の同人誌や、イラストボード。  すべての作品をチェックし終わった後、安達と真殿はがっかりしたように、 「ない……わね」 「たぶん……」 と肩を落とした。どうやらふたりが探しているモリノトウコという人物の絵は、見つからなかったようだ。  俺はふたりが一生懸命探しているモリノトウコという漫画家の絵に、興味を持ち始めた。  一体どんな漫画を描いた人物なのだろうかと、  「ところで、君たちが探しているモリノトウコって、何て言う漫画を描いている人なの?」 と尋ねると、 「『七剣の青龍』っていう少女漫画だよ。ファンタジー物で……」 と真殿が詳しく教えてくれる。 「ふうん……」  何かひっかかるタイトルだ。俺は顎に手をやり、考え込んだ。 (七剣……)  黙り込んだ俺の顔を、真殿が、 「小鳥遊君も読んだことある?」 と覗き込む。俺は一応、 「いいや」 と首を振ったが、やはりどこか心の隅で、このタイトルが引っかかっていた。 (ああ、そうだ、確か花香姉の部屋に……。それに「七剣」って……) 「もしかすると、その人は漫研じゃないのかもしれない」  俺は閃いたと同時に、そう声に出していた。 「えっ?」 「そうなの?」  真殿と安達が、吃驚したように声を上げる。 「じゃあ、何部なの?」  安達がすぐにそう尋ねて来たので、 「そうだな……」 俺は答えかけたが、いや、しかし、確認をしてから話した方がいいと思いなおし、口をつぐんだ。それに、いつの間にか、日も暮れかけている。 「今日はもう遅いから、明日にしないか」 「もうそんな時間!?」  俺の言葉に、真殿の顔色が変わった。  「早く帰らなくちゃ」  俄かに慌てだした彼女を見て、ああ、女子は大変だな、と思った。 (どうしよう。送って行こうと言おうか?)  逡巡していると、 「蛍、行こう」 真殿は、慌てた様子で安達の手を取った。安達はそんな真殿の手を握り返し、 「ヒナ、私も途中まで一緒に行くから、大丈夫」 と力強く頷いた。 「うん、ありがとう」  安達が一緒なら、大丈夫かもしれない。もし変質者が出たとしても、彼女なら蹴り飛ばしてしまいそうだ。  俺がそんなことを考えていると、 「それじゃ、小鳥遊君、ばいばい」 真殿が俺に向かって手を振った。そのまま彼女たちは手を繋ぎながら、美術室を出て行く。  ふたりの後姿を見送った後、 (真殿、俺の名前、知ってたのか) ふとその事実に気が付き、彼女は一体どこで俺のことを知ったのだろうと考えを巡らせ、自惚れが顔を出す前に画材をしまうことにした。 「花香姉、ちょっといい?」  その夜、俺は花香姉の部屋を訪ね、ノックをすると声を掛けた。 「んー?何、由希也」  部屋の中から応えがあったので、扉を開ける。花香姉は、ベッドに俯せになり、雑誌を読んでいた。 「花香姉、確か『七剣の青龍』って漫画持ってなかったっけ?」 「ん?『七剣の青龍』?あるけど、どうしたの?」  花香姉が、なんで?といった顔で俺のことを振り返る。 「いいから、ちょっと貸して」 「別にいいけど……」  そこ、と指さされた本棚の一角から、10冊の漫画を抜き取る。 「じゃ、借りてくよ」 「ん」  短い了承の返事を聞くと、俺は花香姉の部屋の扉を閉めた。  漫画を持って自分の部屋に戻ると、俺はベッドに寝ころび、早速1巻から読み始めた。  少女漫画特有の甘ったるい表現もあったが、男の俺が読んでも面白く、いつの間にか夢中になって読みふけっていた。  ストーリーもさることながら、絵もとても素晴らしかった。登場人物だけでなく、背景や、衣服の柄までもが精緻で、見ていて飽きさせない。  こんな漫画家の原画なら、ぜひ見てみたいと思った。  読了した後、最後の巻を置くと、俺は、 (明日、1組に真殿を訪ねてみようか) と考えながら目をつむった。
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