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劇が終わった後、「一時はどうなることかと思った」「霜月さんのおかげで劇が成功して良かった」と喜ぶクラスメイトを後目に見ながら、私は教室を出た。廊下を歩き、美術室へと向かう。何だか今、無性に小鳥遊君に会いたい。
美術室へ行くと、やはり彼はそこにいて、私を見ると、まるで来るのを待っていたかのように微笑んだ。
「足、大丈夫?」
「うん」
すぐに近づいて来て、私が歩くのを助けてくれる。イーゼルの横の定位置に椅子を引くと、私を座らせてくれた。
「劇、見たよ」
小鳥遊君の言葉に、思わず、びくっと体が震えた。私が出ていなかった劇を、彼は見に来てくれていたんだ。
「1組の『白雪姫』ってコメディだったんだな。台詞が関西弁だったから、ちょっとびっくりした」
「うん、そうなの。台詞がとっても難しくてね……私、一生懸命覚えたんだけど……」
そう言ったら、ぽろりと涙が零れてしまった。
小鳥遊君は少し驚いた顔をしたが、私の頭に手を伸ばすと、優しく撫でた。
「…………」
「…………」
しばらく、お互いに無言の時間が流れた。控えめに鼻を啜る私の頭を、小鳥遊君はずっと撫でてくれている。
ふと、コンコン、と遠慮がちなノックの音が聞こえた。ハッとして振り返ると、開けた扉の横に霜月さんが立っていた。
「なんだか私……お邪魔だったかしら?」
私の頭から手を下ろし、小鳥遊君が首を振る。
「いいよ。俺が君を呼んだんだし」
ふたりの会話を聞いて、私は目を瞬いた。
小鳥遊君が霜月さんを美術室に呼んだ?どういうことなのだろう。
霜月さんは美術室に入ってくると、小鳥遊君の側まで行き、
「これ……」
と言って、何かカードのようなものとメモを差し出した。
小鳥遊君は黙ってそれを受け取り、視線を落とす。私は彼の手元を覗き込んで、首を傾げた。そのカードはかるた――平兼盛の札だった。
「???」
小鳥遊君と霜月さんのやりとりが全く分からず戸惑っている私から目を逸らし、霜月さんは固い顔をしている。そんな彼女に、小鳥遊君は低めの声で、
「とりあえず、先に真殿に謝ってくれる?」
と促した。
「……なんで私が真殿さんに謝らなくちゃいけないの?」
憮然とした霜月さんの言葉に、
「君、分かってここに来たんじゃないの?」
小鳥遊君が苛ついたように答えた。
「どういうこと?小鳥遊君」
剣呑なふたりの雰囲気にハラハラして私が問いかけると、小鳥遊君はひとつ溜息をつき、
「じゃあ、俺が説明しようか」
と言った。
「まずは、俺が先に真殿に謝るよ。……疑ってごめん」
小鳥遊君はそう言って、私に頭を下げた。
「えっ?何のこと?」
意味が分からず、私は目を丸くしてしまう。小鳥遊君はそんな私の様子に苦笑すると、
「一ノ瀬のこと。俺、真殿と一ノ瀬がふたりでどこかへ行くのを見て、何かあるんじゃないかって疑っていたんだ」
と正直に話した。
「ええっ!?私と?一ノ瀬君が?何もないに決まってるよ!」
(だって私には小鳥遊君がいるのに)
後半は心の中で付け足す。
「えっ?そうなの?真殿さん」
驚く私を見て、今度は霜月さんが目を丸くした。
「私てっきり……」
「一ノ瀬が真殿のことを好きだと思っていた……だろ?」
霜月さんが言葉を切ったその先を、小鳥遊君が続けた。霜月さんはさっと顔色を青くして、唇を引き結んだ。
「旧校舎の3階に写真部があるよな。そこの3年生が、昨日一昨日、真殿と一ノ瀬が空き教室に入っていくのを見ていたんだ。男女がふたりきりで人気のない教室に入って行ったから、気になって覗いてみたらしいよ。そうしたら、ふたりは劇の練習をしたり、百人一首かるたの練習をしたりしていたんだって。文化祭関連の何かなんだろうって、写真部の先輩は納得して、その後は気にしなくなったみたいだけど」
私たちのことを見ていた人がいたなんて、全然気づいていなかった。すると、小鳥遊君は、
「でも、その後、写真部の前を、誰か女子が通り過ぎて行ったのを見たんだって。練習の様子を見に来たか、ふたりを呼びに来たクラスメイトだろうなって、先輩方は思ったらしい。そしてその子は今日も現れた。思い詰めた表情で、階段を下りて行ったんだそうだ」
と続けた。
「それが、霜月だったんだろ?」
霜月さんは相変わらず黙ったままだ。
小鳥遊君は軽く息を吐くと、
「今日の1組の劇、俺も見たよ。足を怪我した真殿の代わりに、霜月がピンチヒッターで白雪姫を演ったんだよね。こういっちゃなんだけど、霜月って、真殿程、胸ないよな」
突然、失礼なことを言いだした小鳥遊君に、私は吃驚してしまった。
「ちょ、ちょっと小鳥遊君」
慌てて小鳥遊君の袖を引くと、彼は「あ」という顔をした。私が誤解していることに気付いたのか、
「いや、そういう意味じゃないんだ。真殿」
手で私を制する。
「ただ、衣装が霜月にぴったりだったな、と思ってさ。本来、白雪姫の衣装は、真殿が着るはずだった。真殿のサイズに合わせたにしては、胸元がスレンダーすぎる」
「確かに最初の段階では細かったけど、でも、衣装係の白井さんが採寸してくれて、霜月さんが直してくれることになってたよ?」
私は首を傾げたが、小鳥遊君は、
「霜月は、直さなかったんだよ。……自分が着ようと思っていたから」
と続けた。その言葉に、私は目を見開いた。
「どういうこと?」
霜月さんの真意が分からなくて、彼女の顔を見つめると、霜月さんは諦めたように吐息した。
「違うの。でもごめんなさい、真殿さん。私、杏がせっかく計ってくれたのに、手直しをミスしちゃって、思っていたより小さく直してしまったの。だから、真殿さんにはきっと衣装が入らないと思って……責任を取って、私が代役で白雪姫を演ろうって思ってたの……」
「違うだろ!」
小鳥遊君が急に大きな声を出したので、私と霜月さんは、びくっと体を震わせた。
「君が衣装を直さなかったのはわざとだ。最初は今みたいに言って、代役を手に入れようとしていたのかもしれないけど、途中で気が変わったんだろ。もっと確実に、でも偶然を装って役を手に入れたくて、真殿を旧校舎の階段から突き落としたんだ」
「!」
小鳥遊君の断言に、私は息を飲んだ。
「…………」
黙ってしまった霜月さんに、小鳥遊君は畳みかけた。
「霜月は、一ノ瀬が好きだったんだ。だから、白雪姫が演りたかった。他の子と一ノ瀬が、白雪姫と王子を演じるのが嫌だったんだろう。そして、真殿と一ノ瀬がふたりで仲良さそうに練習をしているところを盗み見て、すっかり誤解してしまったんだ。一ノ瀬は真殿のことが好きなんじゃないかって。真殿が憎らしくなって、階段から突き落としてしまった。――ねえ、真殿。君も気づいていたんだろう?」
小鳥遊君に突然話を振られ、私は目を瞬いた。彼の真っすぐな視線を受けて、顔を伏せる。
――そう、私は気づいていた。誰かまでは分からなかったが、階段で背中を押されて足を踏み外し、その時その子が逃げていく後ろ姿を、私は踊り場の鏡の中に見ていた。
最近、一ノ瀬君絡みでクラスの女子から妬まれていたから、もしかするとその内の誰かかもしれないとは思っていたが……。
クラスメイトに突き落とされたかも、なんて話、口にすることは出来なかった。
私は顔を上げると、霜月さんを見た。彼女は俯きがちに涙をこらえている。
「霜月さん、あのね、一ノ瀬君が好きなのは、私じゃないんだよ」
私はそっと霜月さんに話しかけた。霜月さんは、
「えっ」
と言って涙に濡れた瞳を向けると、私を凝視した。
「それって誰?」
「それは、私の口からは言えない。霜月さんが本当に一ノ瀬君のことが好きなら、告白して、直接聞いてみなよ。その方が、遠回しに役を奪うよりもいいと思うよ」
(きっと一ノ瀬君なら、霜月さんの気持ちを受け止めて、誠実な対応をしてくれるはずだから)
そう心の中でつぶやく。
霜月さんははらはらと涙をこぼすと、
「ごめん……ごめんね、真殿さん。ごめんなさい……」
深く深く頭を下げて、何度もそう謝った。
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