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霜月さんが美術室を去った後、私は改めて小鳥遊君に問いかけた。
「ところで、どうして霜月さんはかるたの札を持って来たの?」
「ああ、これのこと?安達に頼んで、『美術室に来て』ってメモと一緒に、霜月に渡してもらったんだ」
小鳥遊君は机の上に置いていた平兼盛の札を取り上げると、私に差し出した。札には「しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで」と書かれている。
「ええと、この歌って『秘密にしていたけど顔に出てたみたい。「誰か好きな人がいる?」って人に尋ねられてしまった』って意味だよね?」
「まあ、そんなところだね」
私の極端な訳に、小鳥遊君が苦笑する。
「あ、なるほど……!霜月さんに好きな人がいるって分かってるよって、伝えたんだね」
「真殿が落ちた時にかるたの札がばらまかれていたから、突き落とした犯人なら、札を渡されただけで、ドキッとすると思ったしね」
それに、と小鳥遊君は続けて、
「この歌は、平安時代の歌合せの会で『しのぶ恋』を題材に詠まれた歌なんだけど、この歌と競ったのが、壬生忠見の『恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか』だったんだ。真殿風に訳すと『私が恋してるって噂がたっちゃった。人にバレないように秘密に想い始めたところだったのにな』ってところかな。両方とも素晴らしい歌だったんだけど、勝ったのは平兼盛の『しのぶれど』だった。それで壬生忠見は悔しくて、死んでしまったんだよ。兼盛はそんなつもりはなかったと思うけど、結果的に相手を傷つけてしまったわけだし、今回、霜月も真殿を傷つけて役を勝ち取ったから、そういう意味も込めて送ったんだけど……まあ彼女は、そこまで気付いていなかったみたいだね」
と肩をすくめた。
「分かりにくいよ、小鳥遊君……」
私は彼の皮肉めいた行動に呆れてしまった。そんな真意、なかなか気づけるものじゃない。
「……真殿は、霜月のこと、怒っていないの?」
不意にそっと私の顔を覗き込み、小鳥遊君がそう問いかけた。間近に見えた彼の瞳に、一瞬ドキッとしながら、
「別に怒っていないよ。ケガも大したことなかったし。霜月さんは、ただ一ノ瀬君のことが大好きだっただけでしょ?……劇に出れなかったのは、ちょっと残念だったけど」
と答える。
小鳥遊君はそんな私の答えに苦笑した。
「真殿っぽい」
「私っぽいってどういうこと?」
「そういうところ」
小鳥遊君は笑って、詳しい説明はしてくれない。そして、
「劇、残念だったね」
と言った後、
「――俺、実は霜月と同じで、嫉妬してたよ。一ノ瀬に」
ぽつりと告白をした。
(小鳥遊君が、嫉妬?)
目を見開いて彼を見つめると、小鳥遊君はばつが悪そうに、
「真殿が白雪姫で、一ノ瀬が王子だったから、嫌だったんだ。えっと、その……真殿は白雪姫のアニメって見たことある?アニメのエンディングって知ってる?」
と問いかけて来た。
「白雪姫のアニメ?」
小首を傾げて思い浮かべる。
(確か昔のアニメで、最後は、白雪姫が王子様のキスで目覚めるんじゃなかったっけ)
と、思い出して「あっ」と思った。
私の表情の変化で悟ったのか、小鳥遊君は頬を赤くして横を向いた。
「嘘でも、フリでも、真殿が……他の男とキスするところ、見たくないなって思って」
「!!」
鼓動が早くなり、一気に体温が上った。絶対今、私、真っ赤になっている。
「まあ、結果的に、1組の『白雪姫』はコメディだった上、『グリム童話』準拠の内容だったわけだけど」
グリム童話での白雪姫は王子様のキスではなく、棺を担いだ家来が木に躓いたはずみに姫の喉から毒リンゴが飛び出し、目を覚ますのだ。そして悪い継母は、真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされ、死ぬまで踊らされるという、なかなか凄惨な結末なのだった。
「も、もし私が劇に出て白雪姫を演じることになっていても、キスする場面はなかったから!そんなに心配しなくても、だ、大丈夫だったよ?」
照れくさくて、焦り気味につかえながらそう言うと、小鳥遊君はちらりと横目で私を見た。そして、傍らにあったイーゼルをさりげなく動かすと、キャンバスで私たちの顔を隠した。
「小鳥遊君?」
「……目をつぶってよ、真殿」
そう言うと、小鳥遊君は私に顔を近づけると、私が目を閉じるの待たずに、唇に触れるか触れないかのキスをした。
廊下からは、文化祭の喧騒が聞こえてくる。
世界が隔たっているかのように静まり返った美術室で、私はただ自分の鼓動だけを感じていた。
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