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巨乳はカンベン!
(side雛乃)
例年より早い梅雨明け宣言が出されたのは、先週の週末のこと。
週明けの今日は雲一つない快晴で、私は恨めしい気持ちで教室の窓から外を眺めていた。
開け放たれた窓からは、他のクラスが体育の授業で水泳をしている声が聞こえてくる。
まだエアコンの入らない教室は少し蒸し暑い。こんな日は確かにプール日和だが、私は憂鬱で仕方がなかった。
「――真殿。真殿雛乃!」
次の授業のことで頭の中がいっぱいだった私は、名前を呼ばれていることに気づかず、
「ヒナ!ヒナ、呼ばれてるわよ!」
後ろの席に座る安達蛍に背中を突かれて、ハッと我に返った。慌てて正面を向くと、英語の担当である花村先生が、眉間に皴を寄せて私を見ていた。
「よそ見はダメよ。150ページから翻訳してちょうだい」
「は、はい。えっと、150ページは……」
立ち上がりながら英語の教科書をめくっていると、チャイムが鳴った。その音を聞き、花村先生が「あら、もう終了時間?」という顔をする。
「それでは、今日はここまで。Stand up.」
花村先生の号令で皆立ち上がり、礼をする。
タイミングよく授業が終わり、私はほっと息を吐いた。
「ヒナ、さっきは何をぼんやりしていたの?」
蛍が英語の教科書を机の中にしまいながら、私に問いかけた。
「次の授業、嫌だなって思って……」
「なるほど」
蛍はすぐに察したのか、ぽんと手を打った。けれどすぐに、
「でも、早く行かないと遅れるわよ」
机の横に引っ掛けてあったビニールバッグを手に取り、急かすように私の肩を叩く。
「うん。分かってる」
私も蛍と同じように教科書を机の中に押し込むと、ビニールバッグを手に、ふたり連れ立ち、教室を出た。
「水泳の授業なんてこの世から無くなればいいのに」
廊下を足早に歩きながら、唇を尖らせて、蛍に訴える。
蛍は私の胸にちらりと視線を走らせると、苦笑した。そして、今度は自分の胸に手を当て、
「気持ちは分かるわ」
と頷いた。
「お互いに、胸に関しては悩みが多いものね。まあ、私からすると、ヒナの豊かなバストは羨ましい限りだけど」
「全然羨ましくないよ!むしろ、私は蛍の方が羨ましい」
「それ、嫌味?どうせ私はまな板よ」
蛍が軽く私を睨む。蛍の胸は本人曰くまな板のAAカップ。片や私は、中学2年生にしてGカップ。いわゆる巨乳というやつだ。
「こんな胸、何も良いことないよ。走ると痛いし、可愛いブラ売ってないし、何より、目立つし……!」
言っている側から、すれ違う男子がちらちらと私の胸に視線を向けていくのが分かる。
「恥ずかしいばっかりだよ……」
「よしよし」
俯いた私の頭を、蛍が慰めるように撫でた。
「栄養状態がいいってことよ」
「むしろ悪くていい!」
「はいはい……っと、私、ちょっとトイレ」
女子トイレの横を通り過ぎようとして、蛍は気が付いたように足を止めた。
「ヒナ、どうする?」
「私はいい。待ってる」
「ん」
階段横の廊下の壁際で蛍を待っていると、
「なあ、1組の真殿って知ってる?」
突然私の名前が耳に飛び込んできて、びくっと体を震わせた。
「真殿?」
今度は、先ほどの声より少し落ち着いた男子の声が聞こえる。
階段をそっと覗き見ると、男子二人が横並びに並んで上がってくるのが見えた。あれは隣のクラスの男子だ。ひとりは確かサッカー部の杉本君で、以前同じクラスの女子が「格好いい」と騒いでいたことがある。もうひとりは、顔は見たことがあるけれど、名前が思い出せない。
「真殿って、Gカップなんだって。すごくね?グラビアアイドル並みじゃん」
杉本君が笑いながら、興奮したように隣の男子の肩をバンバンと叩いている。
私は羞恥心で顔が真っ赤になるのを感じた。見つからないように頭を引っ込めると、胸元を隠すようにビニールバッグを抱きしめる。
「1組の男子、マジで羨ましいぜ!水泳の授業中なんて、見放題じゃん!」
「お前なぁ……」
もうひとりの男子が、呆れたように溜息をついたのが聞こえた。
「何?お前、反応薄いなぁ。巨乳好きじゃないの?」
「興味ない」
「マジで!?」
杉本君が信じられないというような声を上げる。
「てかさ、お前、真殿のこと分かってる?」
杉本君は、もうひとりの男子が、そもそも、私のことを認識していないのではないかと思ったらしい。
「分かるよ」
彼は淡々とした声でそう言った。
(分かるんだ……)
私は彼と話をした覚えはないのだが、彼は一体どこで私のことを知ったのだろう。やっぱり胸が目立つから、私のことを知っているのだろうか?
「お前こそ、真殿のこと分かってるの?」
彼は杉本君に聞き返した。杉本君はその問いにきょとんとしたように、
「何言ってんの?今、真殿の話してたとこじゃん」
と答える。その返答に、彼は、少しイラっとしたように、
「それ胸の話だろ?じゃなくて、顔。真殿の顔、分かるの?」
再度聞き返した。
「顔?」
杉本君はそう問われて、考え込んでしまったようだ。
しばらく沈黙した後、杉本君は結果的に、
「分からん」
と答えた。
(ひどい。胸ばかり見て、顔は見てないってことなんだ)
私は泣き出したいような気持ちになってしまった。
本当に、この大きすぎる胸が恨めしい。
「だろうね」
もうひとりの男子は、杉本君の回答に、心底呆れたように言った。
「真殿は、色素薄くて、猫っ毛なんだ。そんでもって、笑うと結構可愛い」
(!!!)
私は息を飲んだ。思わず階段を覗き込んだが、ふたりは階上の踊り場を曲がるところで、もうほとんど姿が見えなかった。
「小鳥遊、お前、もしかして、真殿のこと好きなのかよ?」
「別にそういうわけじゃ……」
声も、もう、あまり聞こえない。
(小鳥遊、君……)
この頬の火照りは、今度は羞恥心ではない。心臓が早鐘を打っている。私は胸に灯った熱を、ビニールバッグごと抱き締めた。
「ヒナ、お待たせ」
私が早くなった胸の鼓動を鎮めようと深呼吸をしているところに、用を済ませた蛍がトイレから出て来た。私の様子に気づき、「ん?」という表情になる。
「何かあった?」
怪訝そうに顔を覗き込まれ、私は、思わず勢いよく蛍の両肩を掴むと、
「蛍、私、一目ぼれしたかもしれない!」
と宣言した。
(side由希也)
静かな美術室に、俺が絵筆を走らせる音だけが響いている。
俺の在籍する美術部は、入部当時は他に部員がいたのだが、先輩方の卒業後、新入部員が入ってこなかったこともあって、今や俺ひとり。放課後この美術室は、俺が独占している。まさに俺の城だ。
俺は、スケッチブックに絵の具を乗せながら、ハワイの風景を描いていた。青い海にダイヤモンドヘッド。見本にしている写真は、旅行好きの姉から借りてきたものだ。
先ほどまで、美術部顧問の江野嶋先生が、9月に締め切りのある新聞社主催の絵画展について話しに来ていた。
「小鳥遊、お前の分、もちろんエントリーしておいたからな!」
江野嶋先生は、俺の許可もなく、さっさとエントリーを済ませてしまったらしい。
「しっかり描けよ。期待しているからな!」
言うだけ言うと、「じゃっ!」と言って去って行ってしまった。江野嶋先生は自由人で、顧問とはいえ、全く持ってこれと言った指導を受けたことはない。
俺は筆を置くと、溜息をつき、スケッチブックのページを破った。
この絵は気に入らない。
俺の水彩画は、なぜか俺の理想である鮮やかで透明感のある絵にはならず、いつもくすんだような色合いになってしまう。
画用紙をぐしゃぐしゃに丸めると、教室の隅のごみ箱に向かって放り投げた。すると、画用紙はごみ箱の縁に当たり、ぽとっと外側に落ちた。
「チッ」
俺は舌打ちをすると、椅子から立ち上がった。気だるい気持ちでゴミ箱に向かい、紙くずを拾い上げると、中に放り込む。すると、
「ふん、ふふん、ふん♪」
開け放たれた窓の外から、楽し気な鼻歌が聞こえて来た。カーテン越しにそっと外を覗き見ると、美術室の窓の下、裏庭の花壇のところに、ひとりの女子がいた。ホースを手に、花壇に水を撒いている。花壇には紫の花が咲いていたが、俺には名前は分からない。
けれど、水を撒く彼女の名前は分かる。
(真殿雛乃)
俺は心の中で、彼女の名前を呼んだ。彼女は放課後、いつもここで、ひとりで花壇の世話をしている。
真殿の存在を認識したのは、俺が2年に上がって間もない頃のことだった。
部活の先輩たちが卒業し、たったひとりになった美術室で、俺は今日のように絵を描いていた。すると、
「ふん、ふふん♪」
結構大きな鼻歌が、窓の外から聞こえて来た。
誰だろうと興味を惹かれて窓から下を見下ろすと、制服姿の女子が、裏庭の花壇をスコップで掘り返していた。何か種を植えているようだ。
色素の薄い猫っ毛が、風に吹かれてふわふわと揺れている。2階の窓からでも、豊満なバストが見て取れた。
(もしかして、1組の真殿雛乃……か?)
1組の真殿は、クラスメイトの男子たちの間では、とにかく胸がデカイと有名だった。友人の杉本峻がいつも騒いでいるので、俺も名前だけは知っていたが、特に興味もなかったので、彼女がどんな子であるか、気にしたこともなかった。
「早く芽が出ますように~♪元気にお花が咲きますように~♪」
今、花壇にいる真殿は、オリジナルなのか、独特の節をつけて歌いながら、水をかけている。とても楽しそうだ。
(へえ、あんな顔するんだ)
まだ芽の出ていない種を慈しむかのように、優しい眼差しで微笑んでいる。
それから、俺が美術室で絵を描いていると、真殿の鼻歌が裏庭からよく聞こえてくるようになった。彼女はいつも花に話しかけたり歌ったりしていた。妙な女だと思いながらも、歌が聞こえてきたら、窓の外に彼女の姿を探すようになっていて――。
思い立って、俺は先ほど座っていた机まで戻ると、スケッチブックと鉛筆を手に取った。窓辺に戻り、再び真殿の姿に目を向ける。
スケッチブックにざっくりと輪郭を取ると、少しずつ真殿の顔を描いて行った。彼女は今まで一度も2階の窓を見上げたことはない。こうして絵を描く俺に、気づくことはないだろう。
ふと、昼間、移動教室の時に杉本と話した内容が脳裏によみがえって来た。
「真殿って、Gカップなんだって。すごくね?グラビアアイドル並みじゃん」
興奮した杉本が、俺の肩をバンバンと叩いた。
「1組の男子、マジで羨ましいぜ!水泳の授業中なんて、見放題じゃん!」
俺たちは確かに青少年だ。だが俺は女子のカラダにそれほど興味が湧かなかった。けれど杉本の反応こそが、この年頃の男子の真っ当な姿なのだろう。しかし、こうあからさまだと品がない。俺は若干引きながら、溜息をついた。
「お前なぁ……」
俺の冷めた反応に、杉本は、
「何?お前、反応薄いなぁ。巨乳好きじゃないの?」
と目を丸くした。俺はあっさりと、
「興味ない」
と答えた。
「マジで!?」
杉本が信じられないというような声を上げる。そして、ハッとしたように手を打つと、
「てかさ、お前、真殿のこと分かってる?」
と顔を覗き込んできた。
どうやら俺が、真殿のことを知らないと思ったらしい。
「分かるよ」
俺は、淡々とした声を出すと、頷いた。
そして、
「お前こそ、真殿のこと分かってるの?」
と逆に聞き返す。杉本は俺の言葉にきょとんとした顔をすると、
「何言ってんの?今、真殿の話してたとこじゃん」
と答えた。俺は、
「それ胸の話だろ?じゃなくて、顔。真殿の顔、分かるの?」
と再度聞き返した。なんだか妙にイライラする。
「顔?」
杉本は腕を組んで、うーんと唸った。どうやら、真殿の顔を思い出そうと、考え込んでいるようだ。
しばらくして、杉本は、パッと腕を解くと、
「分からん」
と言って肩をすくめた。
「だろうな」
こいつ、いつも真殿の胸ばかり見てるんだろうな。俺は心底呆れて、深い溜息をついた。
「真殿は、色素薄くて、猫っ毛なんだ。そんでもって、笑うと結構可愛い」
どうせ杉本は、真殿の顔なんて興味がないんだろうと思いながら、教えてやる。
すると杉本は、口元ににやりとした笑みを浮かべた。
「小鳥遊、お前、もしかして、真殿のこと好きなのかよ?」
「別にそういうわけじゃない」
俺はつっけんどんに否定した。本当にそういうわけではない。なにせ俺は、
「巨乳はカンベン。俺は貧乳が好きなんだ」
「へっ!?」
杉本が素っ頓狂な声を上げる。そして、哀れな者を見るような眼差しで俺の顔を見つめると、ぽんっと肩に手を置いた。
「巨乳は……ロマンだぞ」
心の底から吐き出された言葉に、俺は再び呆れて、溜息をついた。
(杉本、いい奴なんだけどな……)
ああいうところは、ちょっと付き合いきれない。
そんなことを考えているうちに、真殿のスケッチは、ほぼ完成に近づいていた。あとは体をどう描くかだ。
(最初の位置取り間違えたな。全身入らないから、バストアップでいいか……)
しなやかな首筋、制服の襟元、と描きこんでいく。そして、胸元まで来て、はた、と手を止めた。
(…………)
しばらく考え込んだ後、俺は再度手を動かし始めた。
実物よりも、すっきりとした胸を描く。消しゴムで少し襟元を消し、開襟にすると、鎖骨を描いた。
(俺は、服が泳ぐような、華奢な体が好きだ)
こういうのをフェチというのだろうか。
(……俺、気持ちわりぃ。杉本のこと言えないな)
俺はぱたんとスケッチブックを閉じると、カーテンを閉めて、窓辺から離れた。
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