世界の地図

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世界の地図

 触れれば災いを招くと、まことしやかに囁かれる物が、世界には少なからず存在する。  暴いてはいけない王の墓。  死を招くと言う器物。  揃えてはならないオーパーツ。  男――マンフレットは、そう言った物を捜し求めて世界のあちこちを旅していた。旅には特に宛てのようなものはない。彼は自身のある性質のために、そのような物を捜し求めていただけだからだ。  今日の野営は、森を抜けてすぐのところにある野原だった。空には仄白い三日月が浮かんでいる。  焚火に小枝を放り込みながら、マンフレットは呟いた。 「はぁー……世界なんて滅べばいいのに……」 「おめでとうございます。通算二万五千百五回目の『世界なんて滅べばいいのに』です」  横に座っていた男が、マンフレットの呟きに対して即座に切り返す。マンフレットは笑った。 「よく数えているな、ガド」  マンフレットは「滅びたがり」だった。それが彼の性質である。だが、むやみに死にたいと言うわけではない。彼には彼なりのこだわりがあった。だからマンフレットは、触れれば勝手に災いを起こすような、そんな世界の遺物を捜して、旅をしていた。 「何を言ってるんですか。そんなの適当です」 「だろうな」  ガドは素っ気なく返してくる。マンフレットは笑いながら、長い枝を使って、端の方で殆んど燃えずにいる枝を火の中に押し込んだ。  「ガド」と呼んでいるこの男とは、旅の途中で出会った。乗せてもらった商人の荷馬車で一緒になったのが最初だ。てっきり途中で別れていくものだと思っていたが、話している内に興味を持ったらしく、そのまま旅に同行してる。  ガドは自分のことを、考古学に携わる者と名乗っていた。行く先々で遺跡の発掘調査などを手伝っているのだと。マンフレットの旅に興味を持ち、同行するようになったのもそのためなのだそうだ。だが、彼の言うことが真実かどうかは、マンフレットには図りかねている。と言うのも、一緒に旅をするようになってから、彼がそのようなことをしている現場を見たことがなかったからだ。  また、マンフレットを不審にさせるのは、彼の容姿だった。ガドも長らく旅をしているようなのだが、おおよそそれを想像することはできなかった。発掘作業を手伝うと言うのに、ひょろっとした体躯は、日に焼けた様子がいっさい窺えない。肌は白いし、腕は細い。見た目だけなら、机の前で本を読んでいる方がずっと様になるだろう。  ――でも、意外と力はあるんだよな、これが……。  ガドが、おもむろに太めの枝を二つに折って、焚火に放り込んだのを横目に見る。マンフレットは、ガドが放り込んだ枝を焚火の奥の方へと押しやった。  力のこともそうだが、ガドは長らく旅をし、考古学に携わると言うだけあってか、地理や自然のことに対しても博識だった。旅をするには心強いので、マンフレットはそれなりに彼を信頼している。 「そう言えば、私はマンフレットに神話のお話をしましたっけ?」  不意にガドが訊ねてきた。本当に唐突だったので、マンフレットは一瞬なんの話なのかわからず言葉に詰まってしまう。 「え? ……あぁ、君が話してくれた神話だね。この世界は、神が気まぐれに紙に書き込んだ地図だと言う……。時に天変地異が起きたりするのは、神がその地図を書き換えているからだって」  それは、ガドが旅の途中で話してくれた、外つ国の神話だった。以前、どこで聞いたのか訊ねてみたが、それは忘れてしまったと言っていた。  ガドはマンフレットの返事に嬉しそうに頷く。 「そう。それです。このお話の最後を、私はしたでしょうか?」 「最後? 最後って……その神が描いたこの世界の地図って言うのが、実は地上のどこかにある、と言うやつかい? でも、なんだって急にそんなこと……」 「いえね、あなたの口癖を聞いていて思い出したのですよ。その神話のことをね。だって、考えてみてくださいよ。その地図を手に入れてしまえば、あっと言う間に天変地異を起こすことができて、世界は滅亡。あなたのお望みの結末を作れるじゃありませんか」  不思議そうな顔をしたマンフレットに、ガドは名案だとでも言うように語った。それにマンフレットは合点がいく。 「あぁ、なるほど。そう言うことか。確かにその話を聞いた時には、その地図を捜してみようかと考えたこともあったけど……」 「おや。既にお考えでしたか」  ガドはわざとらしく驚いてみせる。 「でも、君から聞いた話しか手がかりがない。君はどこでその神話を耳にしたか覚えてないんだろう? 君がこれまでに訪れた場所を、しらみつぶしに捜していくのは、さすがに骨が折れるよ」  マンフレットは少し困ったような顔で肩を竦めた。 「うーん……。確かにその通りではあるので、そう言われてしまうと、反論の余地がないですね……」  眉をそばめたガドの様子に、マンフレットは思わず吹き出す。 「とても興味深い話ではあったがね。……しかし、なぜ神は地図を地上に落としたんだろうな? 単純に、神が手を滑らせてしまったのか? 世界が作り終わったからか? だが、そうなるとこれ以上世界を書き換えることができなくなってしまう。そうしたら、過去にあった天変地異の説明ができない。神は何を考えていたんだろう」  考え始めるマンフレットに、ガドはさらりと言った。 「その地図を手に入れた地上の生き物がどうするのか、見たかったのではないですか?」  その言葉に、マンフレットはさらに怪訝そうな顔をする。 「地図を? 僕達人間の手に渡るかなんてわからないじゃないか。動物に踏み潰されてボロボロになるかもしれないし、水に浸かってもそうだ。もしかしたら地中の奥深くに埋ってしまうかもしれない」 「そこはやはり、神の御業と言うやつでしょう」 「ご都合主義だなぁ」  おどけたように言うガドに、マンフレットは焚火を見ながら苦笑する。ガドは、そんなマンフレットをちらりと横目に見た。少し考える素振りをしてから、また口を開く。 「じゃあ、少し話の方向を変えましょう。マンフレットは、もしその地図が手に入ったらどうしますか?」 「さてね。どうするだろう」  マンフレットの答えは意外にも投げやりだった。ガドは瞬きをする。 「おや。あっさり破り捨てるなどと言うかと思いましたが」  そんな彼に、マンフレットは口をへの字に曲げた。 「いきなりそんなことを言われてもわからないさ。君の言う通り、その地図が地上のどこかにあるとしても、その地図が本物だとする決め手は存在しないだろう? 偽物はいくらでもこさえることができる。これまでにも、そう言った例はいくらでもあったしね」 「まぁ、細かいことはいいじゃありませんか。それに『もしも』と言っているんですから。なんなら、これを本物だと仮定してみてくださいよ」  そう言って、ガドは折り畳まれた紙切れのようなものを差し出した。マンフレットはそれを受け取ると広げる。 「これは……、また、随分と古い地図だね。でも上等だ」  すっかり薄汚れて変色しているように見えるが、それは羊皮紙に描かれた地図だった。マンフレットは、その地図をしげしげと眺める。 「随分前、旅をするのに必要だったので購入したものなんですが、おっしゃる通り古いでしょう? 以前乗せてもらった商人から、古過ぎてもう使い物にならないと言われたんですよ。街の場所も満足に記されていませんし、地形も変わっているんでしょうね」  苦笑しながらガドが説明する。それに、マンフレットは地図から顔を上げた。 「だと言うのに、まだ持っているんだね」  それにガドは少し懐かしむような優しい目線を、マンフレットの手元に向ける。 「えぇ。その古さに味があるので、なんとなく手放せなかったのですよ。それにあなたの言うように、物自体は上等でしょう? まぁ、旅のお守りのようなものですね」 「そうなのか」  ガドの様子につられてマンフレットも目を細めると、改めて地図を見た。まだ三日目の月明かりは心許ない。かと言って焚火の明かりでも、この薄汚れた地図の内容をしっかりと読み解くには不十分だった。濃色のインクで描かれた地形のラインを、なんとかざっくりと視線で追う。 「――いやしかし、街こそ描かれてはいないけれど、地形自体は随分と正確なようにも思えるがね」  そう言いながら、マンフレットはガドに地図を返した。 「おや。これで試してみてくださいと言ったのに」 「ガド。君はさっき自分で、旅のお守りのようなものだと言っていただろう? いくらなんでも、そんな大切なものを粗末にはできないよ」  目を丸くするガドに、マンフレットは苦笑した。そして、一瞬黙り込む。 「……それに、これは今、ふと思ったことだけどね。僕はもし、その地図を手に入れたとしても、多分、自分でそれをどうこうしようとはしないんじゃないかと思うよ」 「……本当に死にたいんですか? あなたは」  呆れた様子で顔をしかめたガドに、マンフレットは言い含めるように口を開いた。 「ガド。これは以前から何度も言っているし、君も何度も聞いていると思うが、僕は別に自殺志願者なわけじゃないんだよ。僕が言うのは、自分達の力じゃどうしようもないような、そんな不可抗力の力によって、突然に世界が滅亡してほしいってことなんだ。天変地異が起きたり、星が降ってきたり、空の上から何者かが攻めてきたりしてね」  マンフレットは空を見上げる。夜空には満天の星が輝いていた。今日のような三日月の日なら、満月の日に比べて、夜空を彩る星々もよく見えるものだ。 「星が降ってきたり、空の上から何者かが攻めてきたりするとは、なんとも空想的ですね。マンフレットは意外と夢みがちなのですね」 「そんな僕が夢みる乙女だとでも言うような言い方はよしておくれよ」  皮肉めいたガドの言葉に、今度はマンフレットが顔をしかめる番だった。そのマンフレットの様子など意に介さぬ様子で、ガドは居住まいを正す。 「では、私の方からもお言葉を返させてもらいますがね、マンフレット。普通『滅びればいいのに』などと言っても、恐らくかなりの確率で自殺志願者か何かにしか思われませんよ。そんな簡単に、自分達の力ではどうしようもできないような、天変地異が起きるわけではないんですから」 「それはそうさ。わかっていて、僕は滅べばいいとうそぶいているんだから。けれど、自ら命を絶つだなんてのはナンセンスだ。もし僕がその地図を破り捨てたりしたら、僕にとってそれは自殺と大差ない。それよりならきっと、何も知らない誰かにそれを処分するように伝えて渡すだろうね。いつ起きるかわからないからいいのさ。そうしてある日突然、人類が滅亡した方が断然いい。僕はそう思っているだけの話さ」  ガドの反論に、マンフレットはさも当然と言うように、けろりとした顔で言ってみせた。それにガドは難しそうに目を細める。 「ではマンフレットは、あくまで『こうなったらいいのに』と言う、希望的意見を述べていると?」  ガドが確認してくるので、マンフレットは頷く。 「まぁ、そうなるね。滅びればいいと言って、本当に滅びろなんて思っていないし、ましてや、本当に世界が滅ぶだなんて、もっと思っていないさ。現実逃避のようなものだよ。……でも」 「でも?」  一度言葉を切ったマンフレットに、ガドは訊き返す。マンフレットは暗い目で焚火を見詰める。 「そうだな……時々滅べばいいのにと本気で思うよ」  ひっそりと呟くようなマンフレットの言葉に、ガドは少し考えた後、理解できないと言うかのように返した。 「そう言うものですかね、……どんな時に、滅びればいいと思うのですか?」 「そうだね、例えば……。何もかもうまくいかない時、いくら頑張っても報われない時……金がなくてひもじい思いをしていた時も思ったかな」 「意外とありますね」  ぼんやりと言葉を連ねていたマンフレットに、ガドは呆れたように半眼になる。 「――あぁ。あと」  出尽くしたのか、少しの間黙っていたマンフレットだったが、思い出したように口を開いた。 「信頼を寄せていた相手に裏切られた時も、だな」  続けられた言葉に、ガドはすっと目を細めた。 「……そうですか」  ガドは静かに呟くと、おもむろに立ち上がり、手にしていた地図を焚火の中に投げ入れた。  羊皮紙の地図が、見る間に火に焼かれて灰になっていく。 「いいのかい? 旅のお守りのようなものだと言っていたのに……」 「いいんですよ。もう必要ありませんから」 「え?」  不思議そうに訊き返したマンフレットの声に被せるようにして、急にズズンと音を立てながら地面が大きく揺れた。 「なっ、なんだっ?!」  目を丸くするマンフレットとは対照的に、ガドは落ち着き払ったものだった。 「地震でしょう」 「そりゃあ、そうだろうがっ。こんなに大きい地震は……」  倒れてきそうな物が、近くにないのは幸いだ。だが、未だ続く揺れは、立ち上がることすら覚束なくさせるほどだ。だと言うのに、ガドはそんな揺れを物ともせずに立ち尽くしている。 「動くと危ないですよ。マンフレット」 「君はよくそんなに落ち着いていられるな!」  思わず声を荒げるマンフレットをよそに、ガドは静かに焚火の火を見下ろしている。すると、ふと思い出したかのように彼は空を見上げた。 「あぁ……流星が綺麗ですねぇ」 「え?」  ガドののんびりとした言葉に、マンフレットは疑問符を投げかける。そして、彼にならって空を見上げた。  確かに、三日月と瞬く星だけだった夜空の中に、流れていく星が見える。突如始まった流星群に、マンフレットは思わず呆けてしまう。  確かにこれは綺麗だ。一際大きく光る星が流れていく。それは長く長く尾を引いていった。 「綺麗過ぎて偽物のようですね」  ガドの呟きの直後、遠くで地響きと共に轟音が響いてくる。地震とはまた少し違った揺れだ。先程の流星が、どこかに落ちたのだろうか。  ――何かおかしい。  マンフレットはそう思い始めていた。ガドは相変わらず、まるで足に根でも生えているかのように微動だにせず立っている。 「君は……」 「――あの神話の最後ですけどね、マンフレット」  ガドは空に向けていた目をマンフレットに移した。突然、のんびりと切り出した彼のあまりの場違いさに、マンフレットは言葉が出ない。遠くで微かに、また何かが墜落するような音が聞こえてきた。ガドは微笑む。 「神の描いた地図は、別に神が手を滑らせたから、地上に落ちたわけではないんですよ」  マンフレットは、相変わらず話が呑み込めず、ガドを見上げて茫然としている。見下ろしてくるガドの表情は、どこか哀しそうにも見えた。彼は今の状況とは対照的な穏やかな声で続ける。 「地図を手に、神が自ら地上に降り立ったんです」  ガドの発する言葉を、ゆっくりと呑み込んでいったマンフレットの背筋が凍っていく。 「何……?」  思わず訊き返す最中にも、すぅとマンフレットの肝は冷えていく。あり得ないと思いながらも、駆け抜けていった予感に絶句する。硬直してしまった喉から、マンフレットはなんとか振り絞るように声を出した。 「ガド……君はまさか、最初から……」 「よかったですね、マンフレット……。あなたのお望みの形で、世界が滅びますよ」  空から降り注ぐ流星の夜空を背に、ガドは優しく笑った。 《了》
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