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癒しの時間
猫は他者を癒せる存在である。
たとえお前たちが「睡眠時間を削られたり妨害されたりする」などとばかげた主張をしていても、キッチリとその埋め合わせとして、ペットである人間を精神的に癒してやることができるのである。
“ふれあい”というのはとても大切なもので、我々も生まれた頃から母親の側でそれを感じてきた。身体を寄せ合うことで伝わる体温や、柔らかい皮膚の感覚、ふわふわした体毛の感じなど、接触しているからこそ伝わるものではないか。
聞くところによると、毛のないお前たち人間も、小さい頃に母親に抱かれて伝わる心臓の音に癒されていたというではないか。下等な生き物のくせに我々と同じことをしているとはな。それを知った御先祖様は思いついた。
我々の身体はお前たちに比べたら小さいから心音は伝わりにくい。だから、我々はゴロゴロという音をわざと発生させることで、お前たちに癒しを与えてやっているのだ。ありがたく思うがよい。
また我々は綺麗好きたるゆえ身支度を欠かさない。今でこそ自分で自分の身体全体を舌でケアして清潔に保っておるが、幼き頃はまだ未熟ゆえ、母親やきょうだいにゴシゴシとなめてもらうことも多かった。そして、この他者からのブラッシングにも癒し効果があるというのをお前たちは知らんだろう。
なぜそう思うか?
当たり前ではないか。日々の労働奉仕に癒しを与えてやろうという我々の温情を、お前たちは嫌がるではないか。どうして「舌がザラザラするからなめるのやめて」などと顔を背ける? あれほど心地好いものを嫌がる精神がわからん。
そのくせ、お前たちは奉仕の精神があるのか、やたらと我々の身体をなでまわしたりブラッシングしたりする。こちらとしては癒されるからかまわんのだが、不思議なのは、お前たちも癒されたような顔をしていることだ。
自分がなめられるのではなく我々をなでてそうなるのはなんとも理解しがたいものがある。
まあ、それでお前たちが癒されるのなら、存分になでるがよい。我々としても、自分が心地好いのは悪いことではないからな。
ただし、お腹はやめろおぉぉーーー!!!
不用意にそんな危険なところに手を出したら、猫キック食らわすぞ!
(おしまい)
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