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遊びの時間
猫は空想ができる。
子猫が架空の存在を相手にひとり遊びをすることは好く知られている。自分のしっぽであったり、影であったり、自分が想像した遊び相手であったり、人間には見えない何かであったり。
それはすなわち、我々猫が自分以外の何かを把握する能力に長け、あまつさえ、脳内で何かを創造することさえできるということだ。まさに脳内バーチャルリアリティであろう。
一方で、猫はとても現実的であり、六感を尽くしてあらゆる対象を把握できる。たとえ人間からは見えないものでも、なぜそれが「存在しない」と断言できようか。我々が感じる・認識できるものは、すべて現実に存在しているのだ。お前たちに見えなくてもな。
人間の飼い主である我々猫は、時にはお前たちを遊ばせてやることも大切な責務だと考えている。だからこそ、わざわざ釣り竿や”じゃらし”を持たせてやっているのだ。お前たち、それを振って喜んでいるではないか。
しかし、我々とてそうそう暇があるわけにもいかぬ。大事な寝ることと食べることがあるからな。その合間をぬって、わざわざお前たちを遊ばせてやっていることに、もっと感謝してもらわないとな。
こうしてお前たちが楽しそうにしている姿を観ていると、こちらも飼い主冥利に尽きるというものだが、常に冷静沈着な我々は、遊んでやっている最中にも周囲への警戒を怠らない。
常に四方八方に注意を巡らせ、この平穏な環境が侵略されないかどうかを見張っているのだ。そして侵入者を見つけたら、我々はまず最初に目を使う。睨みをきかせるのだ。いきなり猫パンチを出すなんて野暮なことはしない。
どこかの国がやっているように”遺憾の意”を表明して相手を威嚇するのだ。これは効くぞ。どんな相手でも一発で震え上がる。
そう、今ちょうど、お前の後ろにいる奴に向かってこうしているようにな。
(おしまい)
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