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鎖国の集落【サンゴー】
それから数ヶ月後、いか・ぼっこはこの村に戸籍を移して男の子を出産した。早速立ち合った助産師によりすぐさま司祭たい・てっぺきにも伝えられ、いか家自宅は宗教の決まりに則って祭壇が設置された。
これから何が起こるのか彼女には全く見当がつかず、産後の疲労で体もほとんど動かなかった。周囲の者たちは皆めでたいと楽しそうな表情を浮かべているので悪いことではないのだろうが、産まれたばかりの我が子を取り上げ祭壇に祀られたことでどうしても不安を拭いきれない。
『司祭様、この子にはどのようなお名前を?』
その言葉に彼女は耳を疑った。この村では我が子の名まで司祭が決めるというのか? 郷である【ヒジキタウン】では夫婦が事前に性別に合わせた名前を数種類考えるのが当たり前だったので、彼女も郷の慣例に従って亡き夫と二人で数種類の名前を考えていた。
郷も含め近隣の国では【親から子への最初のプレゼント】として夫婦が子に名を付けるのが一般的だ。よって夫婦は知恵を絞って名前を考え、一生涯幸多く暮らせるよう願いを込める。例え良さそうな命名でも、夫婦以外の人間から頂戴するのはタブーとされていおり彼女にとってもそれが常識であった。
『暫し待たれよ、神のお告げを待っておるところじゃ』
このままでは夫の遺志を残せない、それを阻止したい彼女はあのと司祭を呼び止めていた。
『子の名前は親が付けるのではないのですか?』
『『『『『はぁっ?』』』』』
その場にいた全員がぼっこに注目する。
『何罰当たりなこと言ってんだい?』
『あんた司祭様を愚弄なさる気かい?』
『こんな栄誉なことが一体どこにあるんだい?』
『バカな言い分も大概にしな』
『ヤダねぇこれだからガイジンは……』
『よさぬか、赤子の前で母を愚弄するでない』
司祭てっぺきは周囲の者たちを注意する。
『しかし司祭様、今の発言はあんまりです』
そう言った一人の言葉にそうだそうだと声が上がり始める。司祭は右腕を前に出してそれを制し、床についているぼっこの前で腰を落とした。
『不本意かも知れぬがここでは神が命名するのじゃ、そなたが考えた名はあだ名にするというのはいかがかの? 公では神が付けた名を、家ではそなたが付けた名を使うのじゃ』
『分かりました……』
これ以上波風を立てるのもと司祭の妥協案に彼女は頷いた。それを確認してから祭壇に戻った司祭は、ひざまづいて分厚い書物をおもむろに開く。
『ならば始めるとしよう』
『『『『『はっ! 司祭様っ!』』』』』
その場にいた者全員が司祭を真似てひざまづき、男性の声による呪文が始まった。唱っているのは司祭、この村で文字の読み書きができるのは司祭の親族のみである。学校教育が定着している環境で育ったぼっこはそれにも驚いたものだが、地元民にしてみると読み書き計算のできる彼女は奇異な存在に映っていた。
彼女は心の中でひたすら祈る、私たち夫婦の願いが通じますようにと。気付けばかねてより首にぶら下げている夫の形見となったお守りを握り締めていた。
『神のお告げを賜った、この子の名は【ぽんこつ】と命名す』
司祭の声に彼女はハッと顔を上げた。
『『『『『おー素晴らしきお名前』』』』』
村人たちは皆司祭に向け喝采の言葉をかけ、どこからともなく拍手が湧き起こった。ぼっこはお守りの中から小さな紙を取り出し、それを広げて涙を浮かべる。
『ぼっこよ、気に入って頂けたか?』
『はい』
彼女は再び歩み寄った司祭に紙を見せた。そこには走り書きであったが【命名 ぽんこつ】と書かれており、彼もまた驚きの表情を隠せなかった。
『なんと! 神が願いを聞き入れたというのか……』
『とんでもないことにございます司祭様!』
司祭のそばにいた村人が危機感を募らせている。
『そうとは限らぬ。見よ、この子の穏やかな表情を。仮にそうだとしても、我ら大人が優しく見守り大切に育てていけば事は良き方向に進むはずじゃ』
司祭は祭壇に祀られた新生児【ぽんこつ】をぼっこに返す。彼女は我が子を優しく抱きかかえ、にっこりと微笑みかけた。その刹那我が子の違和に気付いたものの、それを敢えて口に出さないでおく。
そういうことだったのか……
赤子【ぽんこつ】の額には横一線のシワがくっきりと刻み込まれている。彼女は悟った、郷で受け取った予言の意味を。
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