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結局その日もほとんど眠れずに大学へ行くはめになった。
講義中、これでもかといわんばかりの教授の咳払いが聞こえたが、無視して僕は机に突っ伏した。
フラフラしながら帰宅しようとした僕にCが、
「もしかしてまだアレ続いてんの?もしそうなら俺の方でも何か調べとくけど?」
声を出すのも辛かった僕は、無言のまま頷いて、その場を後にした。
バイト先にも休みの連絡を入れ、その日は真っ先に帰宅した。
またあの時間に起こされる気がしたからだ。
だったら早めに寝れば睡眠不足ぐらいは解消できる。
部屋に着くと、僕は着の身着のまま、倒れるようにして布団に突っ伏した。
どれぐらいたっただろうか、不意に、聞き慣れた音が耳に入った。
──カツンカツンカツン……。
飛び跳ねるように布団からお起きた。
瞬時に玄関を向いて身構える。
きた……。
念の為部屋の明かりを付け、そっと扉に忍び寄る。
──カツンカツン……
踊り場から真っ直ぐこちらに向かってくる。
間違いない。
近づく足音。
──カツン……。
部屋の前で止まった。
今だ。
ドアスコープを覗く。
人影だ。
やっぱり誰かのイタズラ!?
──ピンポーン
「うおわぁっ!?」
突然鳴り響く部屋のインターホンに、僕は盛大にその場ですっ転んだ。
「いててててっ……」
しこたま打ち付けた背中をさすっていると、ドアの向こう側から、
「学生さ~ん?」
聞き覚えのある女性の声。
「は、はい!いい、今開けます!」
慌てて立ち上がり、鍵を開けドアを押し開く、やっぱりだ。
「今晩は、学生さん……」
そう言ってドアから顔を出したのは、短めの黒髪と端正な顔立ち、半袖黒のロンTを着た、この事故物件の管理人、小夜子さんだ。
見た目こそ若いが、そのいいしれぬ妖艶な雰囲気は、僕よりも大人の女性といった印象を受ける。
そんな小夜子さんが、何故か片手に持った六本入の缶ケースを持ち上げ、玄関の前で僕を見てニヤリと笑っている。
「ええと……」
言葉に迷っていると、
「上がっていい?」
「えっ?あ、いえ、じゃなくて……は」
「お邪魔しま~す」
言い終えるよりも先に、小夜子さんは俺の横をすり抜けるようにして部屋に上がってきた。
とりあえず鍵をかけ直し部屋に戻ると、小夜子さんは持参した缶ビールをテーブルに置いて座っていた。
「さっき買い物してたらくじ引きで当たっちゃってね、そういえば学生さんの引っ越し祝いまだだったなって思って、はいこれ」
そう言って僕に缶ビールを手渡してきた。
「あ、ありがとうございます、て、ていうかこんな時間に買い物ですか?」
そう言って時計を見るが、僕の予想とは違い時刻はまだ午後十一時だった。
「あれ、まだこんな時間だったんですね、てっきり足音が聞こえたからもう夜中だと」
「足音?」
小首を傾げながら、小夜子さんは聞き返してきた。
「あっ……いやその、騒音というか何というか……霊現象、というか……」
霊現象……自分で言うのも気が引けたが、僕はハッキリとそう口にした。
前回の話ではあるが、僕はここを初めて訪れた時、明らかにおかしな体験をした。
この世にはいない、見てはいけない者の存在を、この目で確認してしまったのだ。
今目の前にいる、この小夜子さんと一緒に。
「何かあったの……?」
僕の顔を覗き込むようにして聞いてくる小夜子さん、突然の至近距離に思わず前回のシガーキスを思い出し、気恥ずかしさから僕は視線を反らした。
「ん?」
きょとんとする小夜子さんに向き直り、僕は咳払いをしつつ心を鎮める。
待てよ……案外こういった話は小夜子さんの方が詳しいのかもしれない。餅は餅屋に聞けというじゃないか。
「あ、あの……小夜子さん、実は、」
僕は思い切ってそう切り出すと、ここ最近頻繁に起こる現象について、小夜子さんに全て話す事にした。
「足音ねえ……」
話し終えた後、小夜子さんは呟くように言った。
僕はそれに黙って頷く。
「つまりその足音の持ち主が知りたいって事?」
「ま、まあそうなんですけど、できればやめさせたいというか、やめてほしいというか、」
「ふ~ん、じゃあ確かめてみるしかなさそうね」
「た、確かめるって簡単に言いますけど、ドアスコープ覗いても誰もいないんですよ?隠れてるわけでもなさそうだし、足音しかしないんです、そんなのどうやって確かめるっていうんですか?」
相手は透明人間のようなものだ、ペンキでもぶっかけて捕らえるとでも言うのだろうか?
頭の中で想像してみて何だかアホらしくなってくる。
「まあ、とりあえずは待つしかないよね、お楽しみはそれからって事で」
そう言うと、小夜子さんは持っていた缶ビールで乾杯の振りをし、そのまま口へと運んだ。
他人事だと思って……何となくやけになった僕は、同じように乾杯の真似をしてビールを喉に流し込んだ。
しばらくして、
「もうそろそろね……」
「えっ?」
思わずテーブルから顔を上げた。
どうやら缶を握ったままウトウトとしていたらしい。
小夜子さんに言われて、僕は目元をこすりながら時計に目をやった。
時計の針は、間もなく午前二時を指そうとしていた。
その時だ、
──ブブーッ、ブブーッ
規則的な機械音と共に、テーブルに置いてあったスマホが明滅した。
着信ではない、LINEだった。
開くと、メッセージの主はCからだった。
─────────────────────
そのアパート、調べたらキリがないぞ、
マジでやばいから、悪いことは言わない
直ぐに引っ越せ!
────────────────午前2:00
「Cの奴、何だって急にこんな」
そういえば今日、大学の帰り際、Cが少し調べてみるとか言っていたような……。
「きた……」
突然、小夜子さんがぼそりと言った時だった。
──カツンカツンカツン……。
あの足音だ。
咄嗟に小夜子さんの方を見ると、もう既にドアの方へと向かっていた。
慌てて後を追おうとしたその瞬間、
──ブブーッ──ブブーッ
またバイブ音だ。
画面通知にはCの名前が。
「こんな時に何なんだよC……の……」
画面に表示された内容を見て、僕は思わず、言葉を失ってしまった。
「嘘……だろ……」
ようやく絞り出した僕の声は、僅かに震えていた。
─────────────────────
その部屋で女の子が殺されてる。
犯人は誘拐する際に、女の子を車で跳ねて拉致ったらしいんだけど、部屋に連れて帰った時には
もう女の子が死んでたらしくって、怖くなって死体をバラバラにして捨てたらしい。
でも足だけが、いくら警察が捜しても見つからなかったらしいんだ。
犯人も途中から気が狂った振りをしたのか、警察がいくら追求しても
話さなかったみたいだ。
ここまで話せばもう分かるだろう?
何でドアスコープ覗いても誰もいなかったか、あれはいなかったんじゃない、見えなかったんだ。
だってあのドアスコープ、足のとこまでは見えないだろ?
いいか?絶対にドア開けて確認するなよ?黙って今直ぐ引っ越せ!
────────────────午前2:01
あの夢……。
そう、昨日見たあの生々しい夢。
僕が、夢の中で跳ねてしまったあの少女……。
いや、あれは犯人の視点だったんだ。
車の中に運び込んでいた、少女の体を……それを……それを少女は訳も分からず見ていたんだ……。
──ガチャリ
不意に、ドアの開く音がした。
玄関に振り向くと、ドアを押し開く小夜子さんの後ろ姿が見えた。
「小夜子さん!!」
思わず叫ぶように呼んだ。
が、小夜子さんはこちらに見向きもせず、黙ったままドアを押し開いた。
ドアが開く。
半開きのドア。石段と扉の段差の隙間に、僅かに見える……か細い足。
瞬間、背後にドサっと鈍い音がした。
グチャッと、何かが歪な音を立てる。
振り向くと、そこには両手両足を失った、血だらけのあの少女の頭と胴体が、横たわっていた。
血の水溜りに沈むようにして。
そして僕を見つめ……いや、背後から足音と共に迫る両足を、少女はジッと見つめながら、口を大きく広げ……絶叫した。
「学生さん、学生さんってば」
「んんっ?」
肩を揺さぶられ、僕は顔をしかめながら目を覚ました。
カーテンの隙間からは明るい日の光が、僅かに漏れている。
外からはおはよう、と、近所の人が挨拶を交わす声が響いていた。
チュンチュンと、窓側で鳴く鳥達が羽ばたく音で、ようやく僕の意識は覚醒した。
昨日のあれは……思い出した瞬間、僕はトイレに駆け込んでいた。
嗚咽を繰り返し思う存分もどした後、僕は顔を洗い、部屋に戻った。
小夜子さんは……まだ居た。
「あの、僕、昨日は……」
「あの子、自分の足見つけたみたい、もう大丈夫だと思うよ、多分ね……」
「は、はあ……」
僕は釈然としないながらも、小夜子さんに短く返事を返した。
いや、むしろこのまま小夜子さんに契約を解消を伝え、今すぐこの部屋から出て行きたいとさえ思った。
だがそうなると借金が……。
現実と非現実の堺で板挟みに合うとは……もはや何もかも捨てて逃げ出したい気分だ。
「学生さん、よく頑張ったね、ご褒美」
「えっ?」
ご褒美?そう思った瞬間だった。
鼻孔をくすぐる良い匂いと共に、僕は柔らかくも温かい何かに包まれていた。
それが、小夜子さんに抱きしめられているという事だと、僕の脳が気付くのに、かなりの時間を要した。
正確には、両手で頭を抱き寄せられている、が正しいのだが、そんな事はもはやどうでも良かった。
「じゃっまたね、学生さん」
そう言って、小夜子さんは僕から手を離し立ち上がると、玄関へと歩き出した。
慌てて後を追い玄関まで見送ると、つま先をトントンと軽く鳴らし、小夜子さんは口を開いた。
「煙草、代えたんだ?」
「あ、……は、はい……」
「ふう~ん……」
すると小夜子さんは子供っぽい笑みを零しながら、ポケットから何かを取り出した。
煙草だ。セブンスター。
小夜子さんはそこから煙草を二本取り出すと、一本を自分に、もう一本を僕に咥えさせた。
「えっ?」
ドキリとした。まさか……。
小夜子さんは煙草をポケットにしまうと、今度はジッポライターを手にしていた。
火を灯し、それを僕の煙草の先端に運んだ。
モクモクと僕の煙草から煙が立ち昇る。
それを確認して、小夜子さんはジッポライターをポケットにしまった。
これはまさか……前回の……逆!?
小夜子さんは咥えた煙草の先端を、僕にわざと突き出すようにして唇を尖らせた。
こ、これは……あまりの事に、僕の頭がオーバーヒートを起こしかける。
どうすればいい?どっちが正解なんだ??
一人慌てふためいていると、
「ブーッ、時間切れ、またね、学生さん……」
「えっ……ええっ!?」
思わず言った瞬間、開いた僕の口から煙草が零れ落ちた、が、寸前で小夜子さんはそれを綺麗に拾い上げると、僕を見て小さく笑った後、それを自分の口に咥え、今度こそ部屋の前から去って行ってしまった。
呆然としながら、何とかフラフラした足取りで部屋に戻ると、僕は訳の分からない高揚感のまま、昨夜きていたCのラインメッセージに返事を打った。
────────────────────
昨日はありがとな。
でも悪い!
しばらくは、ここを離れられそうにない。
また遊びにおいでよ。
────────────────午前8:00
打ち終わると同時に、僕は大学もバイトもサボり、布団の中で一日中、悶々とした時間を過ごした。
そうそう、あれ以来あの足音は聞こえなくなったが、Cからはずっと、既読無視をくらっている
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