3人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
「どうしたの?」
「あ、いや、あのビルの屋上に何か見えたような気がして……」
「ふ~ん……はい、これからしよ」
気のせいかな……緊張しているせいなのかもしれない、そう思う事にし、僕は小夜子さんから手渡された花火を手に持ち、用意した蝋燭で花火に火を灯した。
懐かしい、花火なんて最後にしたのは何時だろうか。
バチバチバチと独特な音を立てながら、花火の先端から色とりどりの光の線が飛んだ。
小夜子さんも楽しそうに、手に持った花火をユラユラと揺らしたりしている。
来てよかった。
ふとそう思った時、僕の視界の隅、さっきのビル屋上に、またもや動く人影が映り込んだ。
やっぱり誰かいるのか?
そう思い、暗闇にジッと目を凝らす。
雲間からさす月明かりが、程よく辺りを照らし始める。
瞬間、ビルの屋上に人影が揺らめく。
やっぱりいた、人だ。白っぽいネグリジェみたいなものを着た、女性の姿……。
「嘘だろ……」
思わずそう言って、僕は反射的に立ち上がった。
女性は明らかにフェンスを越えて、ビルの淵側に立っていたのだ。
まさか飛び降り!?
「小夜子さん、ビ、ビルの屋上に人が立ってます!飛び降りかも!?」
大きな声を上げ指差すと、小夜子さんは振り返り、ビルの屋上を見上げた。
「人何て……いないよ?」
「えっ?」
返ってきた返事に驚き、もう一度ビルの屋上に振り返る。
月が雲に隠れ暗くてよく見えない。
だが確かに、人影も何もないように見える。
隠れてしまったのか?
もう一度よく目を凝らしたが、やはり誰もいなさそうだ。
「す、すみません、見間違いかな……」
頭を捻り小夜子さんに軽く頭を下げる。
「気にしないで、ほら、続きしよ」
「は、はい……」
小夜子さんの言う通りだ。
せっかくのまたとないチャンス、今日という日を無駄にしないためにも、この時を楽しまないと損だ。
気を取り直し、僕と小夜子さんは花火を再開した。
差し入れてくれたビールを飲み、たまにツマミを口にしながら、他愛もない話に花を咲かせ、僕らは花火を楽しんだ。
時折吹く心地よい夜風と、子供の様にコロコロとした笑みを零す小夜子さんの横顔、何ともしれない、良い気分だった。
「次が最後かな……あっ線香花火、私、これ大っ嫌いなんだよね……」
「えっそうなんですか?」
「うん、だってさ、終わり方が寂しいじゃない、最後に落ちる時何か、もう終わっちゃうんだって……ね」
「なるほど」
線香花火が可愛くて綺麗だ、とかはよく聞くが、大嫌いと聞いたのは初めてだ。
でも確かに言われてみると、燃え尽きて落ちる様は、どこか寂しさを感じるのかもしれない。
「どうします?」
袋から線香花火を取り出し小夜子さんに聞いてみた。
「いいよ、しよ」
「じゃあはい、どうぞ」
そう言って、僕は線香花火を小夜子さんに手渡した。
先端を蝋燭の火に灯すと、やがて小さくシュワシュワと音を立て始める。
ぷくぷくと震えながら、線香花火の玉がぷっくりと膨らんだ。
花火の頼りない明かりが、青白い小夜子さんの横顔を照らしている。
来て良かった、本当に。
そう思いながらも、僕はやはりさっきの人影がふと気になった。
見間違いであればいい……。
視線をゆっくりとビルの屋上に向けた、その瞬間。
「えっ?」
僕の視線の先、ビルの淵側から人が、ふらりと落ちた。
まるでスローモーションのようにゆらりと。
手から、線香花火がコンクリートの床に落ちた。
僕はそれを拾いもせず、気が付くと、女性が落ちたであろう場所に、無我夢中で駆け寄っていた。
「はぁはぁっ……」
「どうしたの?」
後ろから呼ぶ声、
「ひ、人が!今人が落ちたんです!ああ、あのビルの屋上から!」
そう言いながら辺りを見回す。
落ちた先には、何も無かった。
いや、考えてみれば音すらしていない。
あの場所から飛び降りれば、間違いなくこのアパートの屋上に落ちてるはず。
飛び降りる瞬間は見た。けれどその先は?
確認できていない……どういう事だ……?
愕然としながら、整理できない頭の中を必死にまとめようとするが……だめだ、こんなのまとまるわけが無い!
何なんだ今のは!?
今のが見間違いだっていうのか?
そんなはずは……。
そう思った時だった。
背後から、小夜子さんの声がボソリと聞こえた。
「人何ていないって……言ったでしょ?」
「えっ……?」
小夜子さんの方に振り返る。
コンクリートの床にしゃがみこむ様な姿で、此方を見ている。
手に持った線香花火が、パチッ、パチパチッ、と掠れるような音を発して、ふっと落ちた。
同時に、後ろから生ぬるい風が吹く。
蝋燭の火がふっと消え、月明かりが叢雲に覆われてゆく。
辺り一面が闇夜に沈んだ。
「さ、小夜子……さん?」
暗闇に声を掛ける。
「そう言えば今日、麻衣ちゃんの命日だったの、忘れてた……」
「麻衣ちゃん……?命日って?」
一体小夜子さんは何の話をしているのだろう?
「うん……前にこの黄昏荘に住んでた子……沢山いなくなっちゃったから……もう色々と忘れちゃってた……」
いなくなった……?小夜子さんは、一体何を言ってるんだ?
だいたいさっきの、人何ていないって……つまりそれは……人じゃないって……事……。
考えれば考えるほど、目の前の闇と、心の中に広がる闇が、どんどん大きくなっていくような気がした……。
「ねえ、学生さん……?」
小夜子さんの声、その声に、僕は歩み寄った。
「な、何ですか?」
歩きながら返事を返す。
目が一向に暗闇に慣れない。
声だけを頼りに歩く。
「学生さんは、居なくならいよね……?」
「何を言ってるんですか、僕は、」
言いかけた瞬間、月明かりが一瞬だけ、小夜子さんの姿を捉えた。
いや、小夜子さんだけではなかった。
その背後には、さっき見た、ネグリジェの女……他にも何かいる。けれどそれはよく分からない。真っ暗で、ぐにゃぐにゃと蠢く何か……。
どすんという音と共に痛みが走った。
気が付くと、僕はその場で尻もちをついていた。
その体制で何か言おうとしたが、うまく口が回らない。
カチカチと、口からは歯音が鳴り、そこで僕は、初めて自分が震えている事に気が付いた。
「居なくならないでね、学生さん……」
僕を見下ろし近付く小夜子さん。その背後には一人、二人、三人と、闇に蠢く人影が、小夜子さんにまとわりつくように、群れをなしていた。
その瞬間、僕のか細い意識は、途絶えた……。
しばらくして、僕は心地好い感触に目が覚めた。
ふと、目を開けると、小夜子さんの顔を下から眺めるような視界に気が付いた。
膝枕……?
頭の感触は、どうやら小夜子さんの膝の上だったようだ。
何となく気不味く、僕は薄目をして寝たふりをした。
「……」
突然、真上から鼻歌が聞こえた。
小夜子さんだ。
聞き覚えがある唄。
かごめかごめだ……。
かごめかごめ、かごのなかのとりは、いついつでやる、よあけのばんに、つるとかめがすべった、うしろのしょうめんだーれ。
薄めの視界の先に、かろうじて見て取れる小夜子さんの目元から、冷たい水滴がぽつり、と、僕の頬に落ちた。
泣いている……のか?
なぜ、さっき僕にあんな事を言ったのか……なぜ……彼女は泣いているのか……。
今はそれを知る術(すべ)がなかった僕は、目を閉じ、小夜さんのもの悲しげな、かごめの唄に、そっと、耳を澄ませた……。
最初のコメントを投稿しよう!