花火

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「どうしたの?」 「あ、いや、あのビルの屋上に何か見えたような気がして……」 「ふ~ん……はい、これからしよ」 気のせいかな……緊張しているせいなのかもしれない、そう思う事にし、僕は小夜子さんから手渡された花火を手に持ち、用意した蝋燭で花火に火を灯した。 懐かしい、花火なんて最後にしたのは何時だろうか。 バチバチバチと独特な音を立てながら、花火の先端から色とりどりの光の線が飛んだ。 小夜子さんも楽しそうに、手に持った花火をユラユラと揺らしたりしている。 来てよかった。 ふとそう思った時、僕の視界の隅、さっきのビル屋上に、またもや動く人影が映り込んだ。 やっぱり誰かいるのか? そう思い、暗闇にジッと目を凝らす。 雲間からさす月明かりが、程よく辺りを照らし始める。 瞬間、ビルの屋上に人影が揺らめく。 やっぱりいた、人だ。白っぽいネグリジェみたいなものを着た、女性の姿……。 「嘘だろ……」 思わずそう言って、僕は反射的に立ち上がった。 女性は明らかにフェンスを越えて、ビルの淵側に立っていたのだ。 まさか飛び降り!? 「小夜子さん、ビ、ビルの屋上に人が立ってます!飛び降りかも!?」 大きな声を上げ指差すと、小夜子さんは振り返り、ビルの屋上を見上げた。 「人何て……いないよ?」 「えっ?」 返ってきた返事に驚き、もう一度ビルの屋上に振り返る。 月が雲に隠れ暗くてよく見えない。 だが確かに、人影も何もないように見える。 隠れてしまったのか? もう一度よく目を凝らしたが、やはり誰もいなさそうだ。 「す、すみません、見間違いかな……」 頭を捻り小夜子さんに軽く頭を下げる。 「気にしないで、ほら、続きしよ」 「は、はい……」 小夜子さんの言う通りだ。 せっかくのまたとないチャンス、今日という日を無駄にしないためにも、この時を楽しまないと損だ。 気を取り直し、僕と小夜子さんは花火を再開した。 差し入れてくれたビールを飲み、たまにツマミを口にしながら、他愛もない話に花を咲かせ、僕らは花火を楽しんだ。 時折吹く心地よい夜風と、子供の様にコロコロとした笑みを零す小夜子さんの横顔、何ともしれない、良い気分だった。 「次が最後かな……あっ線香花火、私、これ大っ嫌いなんだよね……」 「えっそうなんですか?」 「うん、だってさ、終わり方が寂しいじゃない、最後に落ちる時何か、もう終わっちゃうんだって……ね」 「なるほど」 線香花火が可愛くて綺麗だ、とかはよく聞くが、大嫌いと聞いたのは初めてだ。 でも確かに言われてみると、燃え尽きて落ちる様は、どこか寂しさを感じるのかもしれない。 「どうします?」 袋から線香花火を取り出し小夜子さんに聞いてみた。 「いいよ、しよ」 「じゃあはい、どうぞ」 そう言って、僕は線香花火を小夜子さんに手渡した。 先端を蝋燭の火に灯すと、やがて小さくシュワシュワと音を立て始める。 ぷくぷくと震えながら、線香花火の玉がぷっくりと膨らんだ。 花火の頼りない明かりが、青白い小夜子さんの横顔を照らしている。 来て良かった、本当に。 そう思いながらも、僕はやはりさっきの人影がふと気になった。 見間違いであればいい……。 視線をゆっくりとビルの屋上に向けた、その瞬間。 「えっ?」 僕の視線の先、ビルの淵側から人が、ふらりと落ちた。 まるでスローモーションのようにゆらりと。 手から、線香花火がコンクリートの床に落ちた。 僕はそれを拾いもせず、気が付くと、女性が落ちたであろう場所に、無我夢中で駆け寄っていた。 「はぁはぁっ……」 「どうしたの?」 後ろから呼ぶ声、 「ひ、人が!今人が落ちたんです!ああ、あのビルの屋上から!」 そう言いながら辺りを見回す。 落ちた先には、何も無かった。 いや、考えてみれば音すらしていない。 あの場所から飛び降りれば、間違いなくこのアパートの屋上に落ちてるはず。 飛び降りる瞬間は見た。けれどその先は? 確認できていない……どういう事だ……? 愕然としながら、整理できない頭の中を必死にまとめようとするが……だめだ、こんなのまとまるわけが無い! 何なんだ今のは!? 今のが見間違いだっていうのか? そんなはずは……。 そう思った時だった。 背後から、小夜子さんの声がボソリと聞こえた。 「人何ていないって……言ったでしょ?」 「えっ……?」 小夜子さんの方に振り返る。 コンクリートの床にしゃがみこむ様な姿で、此方を見ている。 手に持った線香花火が、パチッ、パチパチッ、と掠れるような音を発して、ふっと落ちた。 同時に、後ろから生ぬるい風が吹く。 蝋燭の火がふっと消え、月明かりが叢雲に覆われてゆく。 辺り一面が闇夜に沈んだ。 「さ、小夜子……さん?」 暗闇に声を掛ける。 「そう言えば今日、麻衣ちゃんの命日だったの、忘れてた……」 「麻衣ちゃん……?命日って?」 一体小夜子さんは何の話をしているのだろう? 「うん……前にこの黄昏荘に住んでた子……沢山いなくなっちゃったから……もう色々と忘れちゃってた……」 いなくなった……?小夜子さんは、一体何を言ってるんだ? だいたいさっきの、人何ていないって……つまりそれは……人じゃないって……事……。 考えれば考えるほど、目の前の闇と、心の中に広がる闇が、どんどん大きくなっていくような気がした……。 「ねえ、学生さん……?」 小夜子さんの声、その声に、僕は歩み寄った。 「な、何ですか?」 歩きながら返事を返す。 目が一向に暗闇に慣れない。 声だけを頼りに歩く。 「学生さんは、居なくならいよね……?」 「何を言ってるんですか、僕は、」 言いかけた瞬間、月明かりが一瞬だけ、小夜子さんの姿を捉えた。 いや、小夜子さんだけではなかった。 その背後には、さっき見た、ネグリジェの女……他にも何かいる。けれどそれはよく分からない。真っ暗で、ぐにゃぐにゃと蠢く何か……。 どすんという音と共に痛みが走った。 気が付くと、僕はその場で尻もちをついていた。 その体制で何か言おうとしたが、うまく口が回らない。 カチカチと、口からは歯音が鳴り、そこで僕は、初めて自分が震えている事に気が付いた。 「居なくならないでね、学生さん……」 僕を見下ろし近付く小夜子さん。その背後には一人、二人、三人と、闇に蠢く人影が、小夜子さんにまとわりつくように、群れをなしていた。 その瞬間、僕のか細い意識は、途絶えた……。 しばらくして、僕は心地好い感触に目が覚めた。 ふと、目を開けると、小夜子さんの顔を下から眺めるような視界に気が付いた。 膝枕……? 頭の感触は、どうやら小夜子さんの膝の上だったようだ。 何となく気不味く、僕は薄目をして寝たふりをした。 「……」 突然、真上から鼻歌が聞こえた。 小夜子さんだ。 聞き覚えがある唄。 かごめかごめだ……。 かごめかごめ、かごのなかのとりは、いついつでやる、よあけのばんに、つるとかめがすべった、うしろのしょうめんだーれ。 薄めの視界の先に、かろうじて見て取れる小夜子さんの目元から、冷たい水滴がぽつり、と、僕の頬に落ちた。 泣いている……のか? なぜ、さっき僕にあんな事を言ったのか……なぜ……彼女は泣いているのか……。 今はそれを知る術(すべ)がなかった僕は、目を閉じ、小夜さんのもの悲しげな、かごめの唄に、そっと、耳を澄ませた……。
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